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ナミビア (NAMIBIA)

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ナミビア (NAMIBIA) : 

公式国名、ナミビア共和国(Republic of Namibia)。アフリカ南西部にある共和国。国名は、1968年国際連合が南西アフリカを独立させようとして与えたもので、大西洋岸のナミブ砂漠に由来する。面積、825,418平方`(日本の2.2倍)。人口(2012年)、2,260,000人。民族構成は黒人87.5%、白人6%、混血人6.5%。人種は、オヴァンボ人約50%、カバンゴ人9%、ヘレロ人7%、ダマラ人7%、ナマ人5%、カプリヴィアン人4%、ブッシュマン3%、バスター人2%、ツワナ人0.5%。白人はドイツ系、オランダ系の子孫であるアフリカーナー等から成るナミビア白人によって構成され、その他に在ナミビア中国人が存在する。言語、英語、アフリカーンス(ともに公用語)、独語、その他部族語。宗教、キリスト教80〜90%(内、ルター派50%)、原始宗教10〜20%。首都、ウィントフック

イギリス連邦加盟国。アフリカ南西部の大西洋岸に位置し、北にアンゴラ、北東にザンビア、東にボツワナ、南に南アフリカ共和国と国境を接する。天然の良港「ウォルビスベイ」がある。行政区分としては、「カプリビ州」、「エロンゴ州」、「ハルダプ州」、「カラス州」、「カバンゴ州」、「ホマス州」、「クネネ州」、「オハングウェナ州」、「オマヘケ州」、「オムサティ州」、「オシャナ州」、「オシコト州」、「オチョソンデュパ州」の13州で構成されている。

国土の大半は砂漠と高原で、大西洋岸には世界で最も古いといわれる幅100`の「ナミブ砂漠」が広がり、その東側は海抜1,000〜2,000bの「ナミブ高原」が国土の半分以上を占めている。東南部は「カラハリ砂漠」である。北部にはアフリカ最大の塩湖である「エトーシャ塩湖」、北部国境に「クネネ川」が流れ、北東部には長さ450`の「カプリビ回廊」がある。南部国境に「オレンジ川」が流れる。最高地点はナミブ砂漠北部の「ブランドバーグ山(標高2606b)」である。白亜紀の大陸分裂に伴うマグマ噴出で出来た花崗岩の貫入山塊である。

極端な乾燥気候で寒暑の差が激しい。特に沿岸部の乾燥が著しく、北東部の内陸へ進むとやや降水量が増え、アンゴラ国境付近ではステップがみられる。ナミビアは年間300日が晴天で、6月〜8月の冬期は乾燥し、9月〜11月が小雨季、2月〜4月が大雨季である。年間降雨量は120_以下。場所により様々で旱魃も多い。海岸の気候は北上するベンゲラ海流の影響が大きく、乾燥と低温をもたらし、濃霧を発生する。

自給的な農牧業はわずかにおこなわれ、漁業もおこなわれている。狩猟採集生活を続けている者も多い。地下資源はダイヤモンド、ウラン、銅、金、亜鉛等が豊富で、経済は、牧畜や、ダイヤモンド、ウラン、亜鉛などの鉱業が主。しかしこれらの採掘は南アフリカなど外国資本に握られている。経済的には南アフリカへの依存度が高い。

人口の少なさ、鉱物資源の豊富さ、整備されたインフラによって、アフリカでは比較的豊かな国であるが、貧富の差が世界一激しと言われており、ジニ係数は世界一である。これは先進諸国並みに豊かな白人層といまだに、貧しい黒人や伝統的な生活を送る農村部の部族との落差が大きいためである。しかし、治安はアフリカ諸国でも有数に良好である。

現在のナミビアの領域には元々はコイサン人(コイコイ人、ナマ人、サン人など)が居住していたようである。14世紀にはバントゥー系民族の拡大に伴い、バントゥー系諸民族が支配する様になっていた。16〜17世紀にかけて、ヘレロ人、ダマラ人、オカヴァンゴ人などが定着した。

1840年にイギリスがケープ植民地との往来の為にウォルビスベイ一帯の領有を開始したが、その他の地域には支配は及ばなかった。ケープ植民地からの圧力を受けて、それまで相互に対立していた現在のナミビアに相当する地域に住む諸民族は、1858年にワハナス平和条約を結び、共同で外国からの植民地化に立ち向かう事を宣言した。この平和条約の効力は弱かったものの、現在のナミビア民族形成の端緒として評価されている。

1883年、ドイツ帝国の商人アドルフ・リューデリッツの部下が、在地のベタニア人の首長からアングラ・ペクエナの地を購入した。翌1884年にドイツ帝国はウォルビスベイ以外の地域について、この土地を足がかりにドイツ領南西アフリカとして保護領化を宣言した。

ドイツからは弁務官や、総督が南西アフリカに派遣され、以後ドイツによる南西アフリカ人の文明化の使命や、商業上の利害に基づいて植民地化を進めた。他方、ナミビアの人々はこのドイツによる植民地化の動きを黙認したわけではなく、1902年には北部のオヴァンボ人の土地の首長はイギリスに手紙を書き、ドイツの植民地化に抵抗することを宣言している。

また、白人入植者から土地を奪われたヘレロ人やナマ人も他の諸民族の反植民地運動に同調し、1904年1月にヘレロ人の首長に率いられて蜂起した。この戦争に際してドイツ軍司令官は同年10月にヘレロ人抹殺を発令し、1905年4月にはナマ人の抹殺も命じている。この戦争は1907年にドイツと結んだイギリス軍の兵士によって、反乱の有力指導者が射殺された事を以て終結したが、この戦争でヘレロ人の80%以上、ナマ人の50%以上が殺害され「ヘレロ人とナマ人のジェノサイド」と認定されている。

戦後、ドイツ当局は「部族別居留地」制度を敷いて分割統治策を打ち出し、後の南アフリカ支配下でのアパルトヘイト政策の先鞭を付けた。1910年にはイギリスがウォルビスベイ一帯をドイツに奪われる事を防ぐ為に、南アフリカ連邦の一部としたが、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ドイツがイギリス領ウォルビスベイ一帯を占領した。

第一次世界大戦は継続し、ドイツによるウォルビスベイ占領の翌1915年には南アフリカ連邦が南西アフリカ全体を再占領した。戦後、1921年に国際連盟によって南西アフリカは南アフリカ連邦の委任統治領とされ、委任統治を足がかりに国際法上違法な併合を行い、ウォルビスベイも南西アフリカの一部とされた。

その後第二次世界大戦までは南アの委任統治が行われ、1922年にはコイ人によるボンデルスワルトの反乱が、1924年にはカラードによる反乱が発生したが共に敗れ、1928年の時点で28,000人に達した白人入植者によって、黒人先住民が支配される体制が敷かれ続けた[7]。第二次世界大戦後の1946年に南アは国際連盟が解散したのに乗じ、委任統治をさせていた国際連盟がなくなったことから、委任統治の終了と併合を宣言した。しかし、国際的には認められず、国際法上不法占領にあたる、とみなされた。

1959年12月10日にウィントフックで発生した強制立ち退き反対を訴える黒人のデモに対し、警官隊が発砲し、11人が殺害された事件(ウィントフックの虐殺)以後、民族解放運動が高揚した。1960年の国連総会で、南アの委任統治終了と信託統治領に移行させるとした決議が可決されるが、南アは決議を拒否し実効支配が継続された。1962年にナミビアの民族解放組織として南西アフリカ人民機構 (SWAPO) が形成され、南アフリカへの圧力となった。

1966年に南アフリカ共和国は本国と同様にナミビアにもバントゥースタンを設置し、アパルトヘイト政策を行った。脱植民地化時代におけるこの露骨に人種主義的な政策は、国際的な非難とそれに伴う南アへの経済制裁やナミビア国内での独立運動の高揚を招いた。同年7月の1966年には南西アフリカ人民機構 (SWAPO) の武装蜂起によってナミビア独立戦争(1966〜1990年)が始まった。

1968年には国連総会が、南西アフリカからナミビアと改称した上で、国連ナミビア委員会の統治下におく旨を決議した。1971年に鉱山労働者がストライキを行ったが、翌1972年に南アフリカ国防軍の出動によって鎮圧された。1973年には国連がSWAPOを承認した。1975年に前年のカーネーション革命によってポルトガル領だったアンゴラが独立し、アンゴラ内戦が勃発すると、ナミビアはアンゴラに直接介入する南アフリカ国防軍の拠点となり、ナミビアとアンゴラの国境付近では南アフリカ国防軍とアンゴラ軍やキューバ軍との対峙が続いた。

1982年にアメリカ合衆国のロナルド・レーガン大統領と南アフリカ政府はキューバ軍のアンゴラからの撤退とナミビアの独立を交換条件とするリンケージ政策(英語版)を打ち出していた。1988年2月のクイト・クアナヴァレの戦いでアンゴラ=キューバ=SWAPO連合軍に南アフリカ軍の攻勢が阻止されると、南アフリカはアンゴラからの撤退を表明した。南アフリカの撤退とキューバの疲弊は全紛争当事者へのこのリンケージ政策の履行を可能にした。 1988年12月22日のニューヨーク協定(英語版)でリンケージ政策は関係各国に承認された。

1989年、国連監視下でナミビアでは選挙が行われSWAPOが過半数を制した。1990年3月に制憲議会で憲法を制定した後独立を達成した。初代大統領にはSWAPO議長のサム・ヌジョマが就任した。1994年には、南アが1977年に併合し南ア領として支配していた港町ウォルビスベイ一帯も返還された。

※「ナミビア」の風景はこちら

<信託統治: 第一次世界大戦後に成立した国際連盟下の委任統治規定に修正を加えたもので、信託領土には 1)国際連盟の委任統治地域、 2)第二次世界大戦の結果として枢軸国から分離された地域、 3)領有国が自発的に信託統治の下におく地域の三種がある。国連の信託統治理事会が監督にあたる。>

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2014年04月03日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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