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ナイジェリア(NIGERIA)

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ナイジェリア(NIGERIA) : 

公式国名、ナイジェリア連邦共和国(Federal Republic of Nigeria)。アフリカ中西部、ギニア湾に面し湾の最奥地に位置する連邦共和国。イギリス連邦加盟国である。アフリカ随一の大国。面積、923,768平方`(日本の約2.5倍)。人口(2013年)、174,507,539人。人口密度、188.9人/平方`。人種、北部のハウサ人およびフラニ人29%、南西部のヨルバ人21%、南東部のイボ人18%、イジョ人 10%、カヌリ人4%、イビビオ人3.5%、ティブ人2.5%等、250におよぶ部族からなる。言語、英語(公用語)、ハウサ語、ヨルバ語、イボ語。宗教、イスラーム教50%、キリスト教40%、土地固有の伝統信仰10%。首都は「アブジャ」。

最大の都市は「ラゴス」。ラゴス近隣にある港湾都市「アパパ」。また、かつての内陸との中継地点で現在再興中の「ポートハーコート」等の都市がある。

北にニジェール、北東に「チャド湖」を挟みチャド、東にカメルーン、西にベナンと国境を接する。南は大西洋のギニア湾に面し、その最奥地に位置する。中央のジョス高原と東部国境のアダマワ高原を除けば、海抜500bを越えない平坦地で、同国の二大河川であるニジェール川ベヌエ川は中部のコギ州ロコジャ付近で合流し、南流して世界最大のデルタであるニジェールデルタを形成し、大西洋に臨む。

最高地点は南東部のマンビラ高原チャパル・ワッディ山の2,419bである。国土は多様で、南部は熱帯雨林で、広大なマングローブが分布している。北部はサヘルと呼ばれる半砂漠で湖水面積縮小の著しいチャド湖がある。北の国境、南の沿岸沿いを除いた地域にはのサバナが広がっている。

気候は、南部は高温多湿の熱帯雨林気候で5〜10月の雨季には特に雨量が多く、年間約2,000_の降雨があるマングローブが生い茂りカメルーンにかけて中型のサルであるドリルの唯一の生息域であり、世界でも顕著な多種の蝶が見られるなど生物多様性の場所だが、熱帯風土病も多い。北上するにつれて乾燥し雨季が短くなる。北部はサバナ気候で、年間降水量500〜1,500_。国境付近では乾燥気候となる。

アフリカ最大の人口を擁する国であり、乾燥地帯でキャラバン貿易を通じてイスラム教を受容した北部と、熱帯雨林地帯でアニミズムを信仰し、後にヨーロッパの影響を受けキリスト教が広がった南部との間に大きな違いがある。住民部族間の対立が激しく、南部のニジェールデルタでは豊富に石油を産出するが、この石油を巡って内戦や内紛が繰り返される等、国内対立の原因ともなっている。

ナイジェリアは連邦制を採用しており、36の州と連邦首都地区によって構成される。州は更に774の地方行政区域に分割されている。独立時は北部州、東部州、西部州の3州体制であったが、民族対立の先鋭化を招いた為、徐々に細分化されていった。

世界有数の産油国であり、かつては、肥沃な土壌ではトロピカルフルーツや野菜の生産が盛んだった。南部では輸出用作物としてカカオやアブラヤシ、サトウキビ、自給用としてキャッサバ、ヤムイモが栽培され、北部では輸出用作物として落花生、自給用としてトウジンビエ、トウモロコシがおもに栽培され、それぞれ世界有数の生産国であった。しかし、政府歳入の80%を石油に頼る過度の石油依存により、カカオを除く在来の輸出農業は衰退した。更に政治の腐敗、放漫財政と巨額の累積債務の為、経済は低迷を続けている。国内の市場そのものは大きいが、国民の大多数が貧困に苦しんでいる為、購買力が低く市場を生かされていない。それでも国内市場向けの産業は少しずつ成長している。

紀元前5世紀〜2世紀、国土の中央部のジョス高原で、土偶で知られる初期鉄器文化「ノク文化」が繁栄した。9世紀頃、国土の南東部、ニジェールデルタの付け根付近の「イボ=ウクゥ」で、青銅器製品を多量に伴う王墓が造られた。この地方では、「イボ族」その他「イビビオ族」の様な集団による人口の多い村々のネットワークが、平等主義と民主主義の概念によって管理されていた。10〜15世紀頃に、国土の南西部に、青銅製等の素晴らしい彫刻で知られる「イフェ王国」と、ソープストーンの塑像で知られる「エシエ文化」が栄えた。これらの大胆なフォルムの彫刻は後に19世紀ヨーロッパに紹介され、20世紀美術に多大な影響を与えた。14〜18世紀に渡って南部に「ベニン王国」が繁栄し、15世紀末に来航したポルトガル人から銃を取り入れ軍事力と王権を強化した。

密林によって外部の文化から阻まれた南部と異なり、北部では「キャラバン交易(サハラ交易)」を通じ北アフリカから物資や文化の伝播があり、イスラム教を受容した。チャド湖周辺には12〜13世紀頃のキャラバン交易路の利益と軍事力で「カネム・ボルヌ帝国」が全盛を迎え19世紀まで続いた。また同じくチャド湖の西方に「ハウサ諸王国・都市国家群」が繁栄し、中でも19世紀にはフラニ族のイスラム神学者がソコトの街を首都に、北部一帯に「フラニ帝国(ソコト・カリフ国)」を建国した。

1472年に、ポルトガル人が奴隷貿易の拠点とした。17〜19世紀、ポルトガル人、イギリス人を主体とするヨーロッパの貿易商人達が、南北アメリカ大陸へ送る奴隷の増加に伴い海岸に多くの港を建設し、海岸部を「奴隷海岸」と呼んだ。19世紀、イギリス軍が奴隷売買を禁止し商品貿易に取ってかわられた。1886年にイギリス政府は貿易会社「王立ニジェール会社」として、ナイジェリア一帯の支配を開始し、19世紀末に周囲の諸王国は総てイギリスに滅ぼされ、植民地化された。1903年には、イギリスとフランスに分割された。

1960年、第一次大戦後旧ドイツ帝国植民地でイギリスの信託統治領となっていた西カメルーンの北部を編入して、夫々が広範な自治権を有する北部州・西部州・東部州の3地域の連邦制国家として、完全独立を果たした。独立時は、英連邦王国の一つであったが、1963年に連邦共和国憲法を制定し、大統領制に移行、西部州から中西部州を分割し、全4地域にしたが、議会では3地域の代表が激しく対立しあい、人口の多い北部優位は動かず、それが東部との対立を深め、内政は混迷を深めていった。

この混乱の結果、1966年の軍事クーデター以降、1999年までクーデターによる軍事政権と共和政への移行を3度繰り返した。2003年の選挙では、かつてのクーデター軍人で初の民主的選挙で大統領になった「オルシェグン・オバサンジョ」が再選されたが、民主派の希望でもあった司法長官「ボラ・イゲ」の2001年の暗殺に関わった疑いと、ナイジェリアの汚職と腐敗が彼の時代になって最悪になったと言われ、国民の感情は好悪半ばしている。

オバサンジョは腐敗政治家を次々逮捕しているが依然政府の腐敗は深刻で、多くの頭脳流出を招いている。2006年、オバサンジョの3選を可能にしようとした憲法改正が否決されたが、2007年2月、アブバカル副大統領が大統領選挙の候補者名から除外され、4月にアブバカルの立候補を最高裁が容認。選挙管理委員会は大統領選挙で、国民民主党の「ウマル・ムサ・ヤラドゥア」が当選したと発表したが、国際選挙監視団は不正投票があったとして有効性を疑問視した。

2009年、ボコ・ハラムが勃発。2010年、ヤラドゥアが病死し、副大統領の「グッドラック・ジョナサン」がヤラドゥアの任期の残り1年を受けて大統領に就任。2011年の大統領選挙で、イスラム教徒が多い北部出身の「ムハンマド・ブハリ」を下して当選したが、カドゥナ州など北部地域で暴動やキリスト教施設等への襲撃が発生し、多数の死者や避難民が生じた。

ナイジェリアにはユネスコの世界遺産として、文化遺産が2件ある。 ◆『スクルの文化的景観』: ナイジェリア北東部アダマワ高原のベヌエ川沿いにある「スクル」の小集落は、古来製鉄が盛んで、製鉄所の遺構等がある7.644平方`の集落の一部で、自然の地形をうまく活かし、宗教的存在でもある首長「 (Hidi) の宮殿」を丘の上に仰ぎ、その眼下に段々畑が広がる景観を生み出している。1912年から10年にわたって近隣の部族に荒らされ、首長の宮殿も廃墟と化したが、この小集落には様々な遺跡が残り、彼らが長い間積み重ねて来た土地利用の様式や共同体の土着文化を伝えている事から、1999年に世界遺産に登録された。 ◆『オシュン=オショグボの聖なる木立』: オシュン州の州都「オショグボ」にある、ヨルバ人の宗教的な意味を持つ原生林で、1965年にナイジェリアの史跡になった。後に範囲が拡大され、現在では75fが保護区域に指定され、2005年に世界遺産に登録された。オシュン川の名前は元々豊穣の女神「オシュン」に由来している。ヨルバ人の神話では、オシュン川はこの女神が姿を変えたものだとされ、川沿いの原生林には女神オシュンが棲み、そこに社を建てて祀る事で、人々は恵みを受け取れると信じられていた。

「ナイジェリア」の風景はこちら

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2015年04月17日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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