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トーゴ (TOGO)

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トーゴ (TOGO) :

正式名称、「トーゴ共和国(Republic of Togo)」。西アフリカに位置する共和制国家。面積、56,785平方b。人口(2008年)、661万9千人。住民は、アフリカ系が99%であり、主な民族は「エウェ族」、「ミナ族」、「カブレ族」等である。言語は、フランス語が公用語だが、エウェ語やカビエ語等が主要言語。宗教は、伝統的宗教が51%、キリスト教が29%、イスラム教が20%である。東にベナン、北にブルキナファソ、西にガーナと国境を接し、南は大西洋のギニア湾に面する。大統領制を採用する立憲国家である。首都は「ロメ」。

地方行政区画は、「サバナ州」、「カラ州」、「中央州」、「高原州」、「沿岸州」の5州で構成され、州は首都の「ロメ」と30の県に分かれている。

北部はなだらかに起伏するサバナで、中部は丘陵である。南部は高原だが、海岸平野は潟と沼沢からなる。南部は高温多湿の熱帯性気候。北部はサバナ気候で南部より雨量は少なく、湿度も低い。海岸は熱帯で平均気温27℃、北部は乾燥した熱帯サバンナで平均気温30℃である。南部では4〜7月と10 〜11月が雨季だが降雨量はあまり多くない。

主要産業は、農業で国内総生産 (GDP) の約39%、労働人口の約64%を占める。いも類、綿花等を生産し、綿花、コーヒー、ココアが輸出額の30%を占める。鉱物資源は、リン鉱石で、1969年時点には14万3千dだったが、1991年には296万5千dまで採掘量が増加し、世界シェア10位に達した。しかし、資源の枯渇も早く、2003年時点には53万dまで減少し、主要産品はセメントに取って代わられている。未開発の資源として鉄鉱石が確認されている。鉄を40%含む為、最高品位ではないものの採算が取れるとされている。推定埋蔵量は9,500万d。 

世界最貧国の一つで、経済は、外国からの援助に依存しているが、欧州連合 (EU) は、1998年6月の「ニャシンベ・エヤデマ」大統領当選を認めず、7月から協力停止を発表した。日本はトーゴへのODAを実施し、現在もそれは続いている。資金援助の他にも、放送器材を提供して国営放送を支え、トーゴから綿花や魚介類を輸入している。

15世紀末にポルトガル人が渡来し、16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られることになり、19世紀まで奴隷の供給地とされていた。1884年にドイツの探検家「グスタフ・ナハティガル」によって海岸地域が保護下におかれ、1885年トーゴ全域がドイツ保護領「トーゴラント」と宣言された。第一次世界大戦にドイツが敗戦すると、イギリスとフランスによる委任統治とされ、1957年に西部のイギリス領「トーゴランド」は後のガーナとなる英領「ゴールドコースト」と併合された。

1956年、自治権を獲得し、フランス領地域が1960年に独立、1963年のクーデターで「シルバヌス・オリンピオ」初代大統領が暗殺され、「ニコラ・グルニツキー」元首相が大統領就任。しかし1967年1月、「ニャシンベ・エヤデマ」陸軍中佐がグルニツキー大統領を追放し、4月には自ら大統領就任。1979年の民政移管に伴う大統領選で「エヤデマ」大統領が当選。

1991年、実権はエヤデマ大統領から「ジョセフ・コクー・コフィゴー」首相に移ったが、大統領派の軍が反発し首相官邸を襲撃。国民統一暫定政府を樹立。「トーゴ人民連合 (RPT) 」による一党独裁から複数政党制へ移行後初めての大統領選が1993年行われ、エヤデマ大統領が再当選。

1998年の大統領選でもエヤデマ大統領が当選したが、野党陣営は不正があったとして反発。2002年、CAR等4つの主要野党は対RPT連合の結成で合意、与野党の対立が深まった。2002年の議会選でも、野党がボイコットした為、RPTが圧勝し、ほぼRPT支配下の議会は、大統領の3選禁止事項を撤廃する憲法改正案を可決した。2005年、エヤデマ大統領が病気療養のためフランスに向かう途中、心臓発作で死去。同大統領は、死去するまでのおよそ40年近く政権の座にあり、アフリカ最長政権の大統領として事実上独裁に近い体制を敷き君臨した。

トーゴ共和国憲法では大統領死去の際の代行職には国会議長が就くとされているが、「ナンジャ」陸軍参謀長は、エヤデマ大統領の息子「フォール・ニャシンベ」設備・鉱業・電気通信相が代行職に就いたと発表。軍が陸海空全ての国境を閉鎖し、外遊中だったウタラ議長が国内に戻れなくした「権力世襲」「憲法違反」の措置であると「西アフリカ諸国経済共同体 (ECOWAS) 」や「アフリカ連合 (AU) 」等の国際社会から非難され、ニャシンベ大統領は辞任。

議会の「ボンフォー・アッバス」副議長が暫定大統領に就任したが、大統領選でニャシンベが当選した。しかし、選挙に不正があったとする野党側との対立で154人が死亡する流血事件に発展した。2010年、大統領選挙が行われ、事実上ニャシンベ大統領と、「変化の力同盟党」の「ジャン=ピエール・ファーブル」総書記の一騎打ちとみられたが、抗議デモがあった他は流血沙汰には至らず、選管はニャシンベ大統領が60.9%の票を獲得したと発表した。

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2012年04月24日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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