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シエラレオネ (SIERRA LEONE)

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シエラレオネ (SIERRA LEONE) : 

公式国名、シエラレオネ共和国(Republic of Sierra Leone)。西アフリカの西部、大西洋岸に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。面積、71,740平方`(北海道の90%)。人口(2016年)、6,592,000人。人口密度、82人/平方`。2008年には5,696,000人であったので、8年間に16%近く増加している。通過はレオン。首都は、フリータウン

住民は、アフリカ系民族(最大部族のテムネ族とメンデ族の2部族を中心にリンバ族、ロッコ族、マリンケ族/マンディンカ族、スースー族、ヴァイ族等)が90%以上で、クリオと呼ばれるクレオール(イギリスや北アメリカやジャマイカなど解放奴隷の子孫や現地民族と白人との混血(ムラート)等)が約3%〜5%がである。このほか少数だがレバノン人(レバノン系シエラレオネ人)等アジア人やヨーロッパ人である。

言語は、公用語は英語で、その他にテムネ語やメンデ語などの各現地部族語、クリオ語と呼ばれる英語を母体にしたクレオール語などが使われる。

宗教は、イスラム教(特に北部および西部地)が60%で、伝統的宗教(特に南東部地)が30%、キリスト教(特に西部地)が10%である。暴力に発展する様な宗教対立は殆ど稀で、アフリカでは珍しく基本的にイスラム教徒とキリスト教徒は協力し合って平和的に交流して共存している。

国名は、ポルトガル語の「ライオンの山」をスペイン語に翻訳した言葉から来ている。「ライオンの山」と名付けられた理由については、諸説ある。現在のフリータウン付近にいたポルトガル人が、山の方からライオンの様に轟く雷鳴が聞こえた為名付けたという説や、山から海へ吹き降ろす風がライオンの咆哮に似ているので名付けたという説等がある。

北にギニア、南東にリベリアと国境を接し、南西は大西洋に面する。奴隷制から解放された黒人達の移住地として1808年にイギリスの植民地となり、1961年に独立した。約10年以上続いた内戦による影響とで、2014年度でも平均寿命46歳と世界で最も平均寿命が短い国の一つとなっている。

海岸線は、首都フリータウンがあるフリータウン半島部以外はマングローブの林に覆われている。シエラレオネの残りの地域はたいてい木々に囲まれた海抜300b級の高原地帯で、国の東部は山間地である。北東部のギニアとの国境地帯に低い山地が広がり、中央部は起伏に富んだ高原で急流が多い。フリータウン半島の近くにあるバナナ島バンス島、ヨーク島やタートル諸島(シェルブロ島)等の島々もある。国内最高峰は東部山間地の海抜1,948 bの「ロマ・マンサ」である。

全体が熱帯雨林に覆われ、高温多湿の典型的な熱帯雨林気候である。気候は熱帯性で、1月〜4月までが乾季、5月〜12月までは雨期となる。特に1月は極度の乾燥季となる。年間降水量は多いところでは5,000_に達する。このため風土病が多く、かつては「白人の墓場」ともよばれた。

空の交通の玄関口としては、フリータウンから入り江を渡ったルンギの北緯8度36分59秒 西経13度11分43秒に「ルンギ国際空港」がある。国際線は、コートジボワールの「エール・コートジボワール」がアビジャンモンロビア間、ナイジェリアの「アリクエア」がアクララゴス間、ケニアの「ケニア航空」がナイロビ、アクラ間、モロッコの「ロイヤル・エア・モロッコ」がカサブランカ、モンロビア間、フランスの「エールフランス」がパリ間、ベルギーの「ブリュッセル航空」がブリュッセル間を定期首肯している。国内線は、Air LeoneEagle AirParamount AirlinesSierra National Airlinesが運航している。

2013年のシエラレオネのGDPは世界平均の10%にも届かない水準にある。1930年にダイヤモンドが発見されて以来、ダイヤモンド採掘を基盤とした輸出国である。シエラレオネ特別企業合同は、25年間ダイヤモンドの探査権を独占し、利益の多くを政府に上納していた。しかし、同時に大部分のダイヤモンドが密輸出されている。南西部が最もダイヤモンドの埋蔵量が多い地域であり、これを巡って過去に内戦が発生している。

フリータウン郊外にあるウェリントン工業団地は1960年にシエラレオネ政府により、国内の経済発展の計画の一環として、生産を始める為に開発されたエリアであり、1960年代から1970年代初頭にかけてこの工業団地はシエラレオネの重要な経済区域の一つであった。

内戦終結後、政府は再びダイヤモンド産業の発展に力を入れており、2007年就任した「アーネスト・コロマ」(Ernest Bai Koroma大統領はダイヤモンド採掘や研磨産業を育てようとしている。

ダイヤモンドの他に、ボーキサイトや金紅石(ルチル)、ジルコンなどの鉱物の産出国でもある。ボーキサイトは1963年以来、シエラレオネ鉱石・金属会社により採掘が始められている。チタンを含むルチルの採掘は1967年に始まったが、1971年中止された。しかし1979年にシエラチルズ社が生産を再開した。シエラレオネで有名なビール「スタービール」を生産するビール会社シエラレオネ・ビール・リミテッドは1961年10月にこの工業団地にて設立された。

農業では米、アブラヤシ、ラッカセイ、コーヒー、ココアなどが主に行われているが、穀物は輸入に頼っている。漁業はフリータウン半島などで盛んである。

生活様式はイギリス化されて、教育・文化の水準が高いが、経済の衰退で教育施設は老朽化し、内戦の影響で、破壊されているのが目立つ。主な高等教育機関としては、フリータウンに1827年にイギリスの教会宣教師協会によって設立された、西アフリカで最古の高等教育機関であるフォーラー・ベイ・カレッジ(FBC)が存在する。1876年にイギリスのダラム大学と提携し、1959年にシエラレオネ大学となってイギリス王国から許可を得た。1967年に同大学はフォーラー・ベイ・カレッジ(FBC)とモヤンバにンジャラ・カレッジの2校として設立された。

中等教育機関は主に1904年に設立されたアルバート・アカデミーや、1922年設立のシエラレオネで最古のカトリック系の中等教育のセント・エドワード中等学校があり、1866年にフランスとイタリアアイルランドのカトリックの司祭によりセント・エドワード小学校が設立された事によるものである。他にシエラレオネで最古のカトリック系の女子学校アニー・ウォルシュ・メモリアル学校等もある。

首都のフリータウンはその名が示す通り、イギリスや北アメリカ、ジャマイカから移住してきた解放奴隷が建設した街である為、クレオール文化的混合を色濃く残す。内陸地方の現地部族は現地の伝統文化を守って暮らしている。フリータウンにある「セントジョーンズ・マルーン教会」は、1820年にジャマイカ系の解放奴隷マルーンの入植者達が築き上げたシエラレオネ最古のプロテスタント系の教会であり、1947年6月1日の記念碑と遺物条例で、1956年に国家遺産に指定されている。また2007年に教会の創立200周年が祝われた。

シエラレオネがはじめて文献に登場したのは、1447年にポルトガルの探検家がこの地に停泊した時である。1462年にはポルトガル人によって現在のシエラレオネ半島が「獅子の山」と名付けられ、やがてこの地域全体をさす言葉となった。16〜19世紀前半にかけてこの地域で奴隷狩りが行われ、欧米の拠点としてはイギリスの小規模な城塞が海岸部に点在する程度であった。

18世紀後半に入るとイギリスでは奴隷廃止運動が盛んになり、運動の指導者のひとりであるグランビル・シャープはアフリカに解放された奴隷の定住地を作ることを計画。1787年に奴隷制度廃止主義者等が、テムネ族の「トム王」から土地を貰い「自由の国」を目指しイギリスの解放奴隷等のシエラレオネへの入植が始まり、フォーラー・ベイ付近グランビルタウンに入植したが、トム王の後継者「ジミー王」による攻撃やマラリアなどの病気により多くが死に失敗していた。

1791年、グランビルタウンはクラインタウンと改名し、再建設されるがこれも結局成功しなかった。1792年、イギリス軍人ジョン・クラークソン中尉により、イギリスやカナダのノヴァスコシア州やジャマイカ等で奴隷制度から解放され黒人達の移住地として再びフリータウンの名で建設された。

アメリカ独立戦争で、カナダのノヴァスコシア州に移されていたイギリスの為に戦った元奴隷の黒人達がフリータウンの代表的な創立者である。入植しに来た黒人達は当初、フリータウンのセトラータウンと呼ばれる地域に移住した。1800年になると、ジャマイカの逃亡奴隷マルーン550人もフリータウンに移住しマルーンタウン地域を設立した。

1997年、「シエラレオネ内戦」が激化し、暫定政権がフリータウンを支配し、反政府軍である「革命統一戦線(RUF)」と手を結び、フリータウンにもRUFが侵入し略奪作戦が始まり、市民の家を無差別襲撃、あらゆる財産を略奪した。

市民は暫定政権とRUFに抵抗し、「西アフリカ諸国経済共同体監視団(ECOMOG)」が暫定軍事政権を崩壊させたが、1999年、再び息を吹き返したRUFがフリータウンに侵入し、殺人・略奪・強姦の限りをつくした。ECOMOGはRUFへの攻撃において、RUFと一般市民の区別がつかなかった為、無差別攻撃となって仕舞い多くの市民が巻き込まれ、フリータウンのコノート病院の前は死体の山となり、2週間にわたり戦闘と殺戮が続いたが、ECOMOGが再びRUFを駆逐した。

それまで無関心であった国際社会がようやくシエラレオネ内戦の調停に介入し「ロメ和平合意」が行われ、政府が新政権にRUFを受け入れ、RUF指導者「アハメド・フォディ・サンコー」を副大統領としたが、同年、サンコーはフリータウンの自宅で抗議市民らに拘束されシエラレオネ警察に引き渡された。

「シエラレオネ」の風景はこちら

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2017年04月15日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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