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フリータウン (FREETOWN) - シエラレオネ (SIERRA LEONE)

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フリータウン (FREETOWN) : 

西アフリカのシエラレオネ共和国の首都。市域面積、357平方`。人口(2006年)、1,070,200人。同国最大の都市である。西アフリカ沿岸第一の良港。同国南西部のフリータウン半島に位置し、シエラレオネ川の西に大西洋を臨む港湾都市。クィーン・エリザベス2世・キー(埠頭)は、フリータウン最大の公共交通機関である。イギリスの解放奴隷が建設した欧米型の都市で、かつて西アフリカの経済や文化の中心地だった。

フリータウン港の航空写真:

国名は、ポルトガル語の「ライオンの山」をスペイン語に翻訳した言葉から来ている。「ライオンの山」と名付けられた理由については、諸説ある。現在のフリータウン付近にいたポルトガル人が、山の方からライオンの様に轟く雷鳴が聞こえた為名付けたという説や、山から海へ吹き降ろす風がライオンの咆哮に似ているので名付けたという説等がある。

シエラレオネの他の地域と同様、雨季は5〜10月、乾季は11〜4月。熱帯気候である。雨季の始めと終わりには激しい雷雨に見舞われる。雨季の膨大な降水量によって熱帯モンスーン気候に分類される。湿度の高い11〜2月の間は、名高い「ハルマッタン(サハラ砂漠から吹く大変乾燥した貿易風)」によっていくらか和らぎ、その時期が一年で最も涼しい期間である。平均気温は一年中21〜31℃である。

シエラレオネから輸出されるダイヤモンド、チタン等の豊富な鉱産資源は、その大半がフリータウン港から輸出される等、海運業が盛ん。産業は軽工業が中心で、食品加工が主だが、ダイヤモンド加工も行なわれる。但し、最近終了した内戦の影響で市街は壊滅的な打撃を受け、また国連により、反政府勢力支配地域から産出されるダイヤモンドの禁輸措置がとられた事で、海運業も行き詰まりを見せた。現在は、禁輸措置は解除されたが、都市の復興と貧困対策が課題となっている。

1787年に奴隷制度廃止主義者等により、「奴隷貿易廃止促進協会」が結成され、「自由の国」をスローガンとしたイギリスの解放奴隷の黒人等によるシエラレオネの入植計画が始まり町建設の為、現地部族テムネ族の「トム王」から土地を貰いフォーラー・ベイ付近グランビルタウンに入植したが、トム王の後継者「ジミー王」による攻撃やマラリアなどの病気により多くの入植者が死に、失敗していた。

1791年、グランビルタウンはクラインタウンと改名し、再建設されるがこれも結局成功しなかった。1792年、イギリス軍人「ジョン・クラークソン」中尉により、イギリスや北アメリカ(カナダのノヴァスコシア州)やジャマイカ等の奴隷制度から解放され自由になった黒人達の移住地として再びシエラレオネでフリータウンが建設された。

ジョン・クラークソンは、アメリカ独立戦争で、カナダのノヴァスコシア州に移されていたイギリスの為に戦った元奴隷の黒人達をシエラレオネに移住させ、ノヴァスコシアの解放奴隷の黒人等がフリータウン植民地の代表的な創立者である。ノヴァスコシア州から入植しに来た黒人達は当初、フリータウンのセトラータウンと呼ばれる地域に移住し、彼等は「ノヴァスコシアン・セトラーズ」と呼ばれていた。1800年になると、ジャマイカの逃亡奴隷マルーン550人もフリータウンに移住しマルーンタウン地域を設立した。

1997年、「シエラレオネ内戦」が激化し、当時政権にあったアフマド・テジャン・カバーが内戦により海外亡命したため、暫定政権がフリータウンを支配。暫定政権は反政府軍であるRUFとも手を結び、それまで内戦の影響が比較的少なかったフリータウンにもRUFが侵入。「分捕り作戦」と称したRUFによる略奪作戦が始まり、RUFはフリータウン市民の家を無差別襲撃、あらゆる財産を略奪した。

一般市民は暫定政権への協力を拒み、RUFに抵抗し、ECOMOGが暫定軍事政権を崩壊させたが、1999年、再び息を吹き返したRUFがフリータウンに侵入。殺人・略奪・強姦の限りをつくした。ECOMOGはRUFへの攻撃において、RUFと一般市民の区別がつかなかったため結果的に無差別攻撃となってしまい、多くの市民が巻き込まれて殺害され、フリータウンのコノート病院の前は死体の山となってしまったが、2週間にわたり戦闘と殺戮が続いたが、ECOMOGが再びRUFを駆逐した。

それまで無関心であった国際社会が紛争ダイヤモンド問題に目を向け始めた事を切っ掛けに、ようやくシエラレオネ内戦の調停に介入し「ロメ和平合意」が行われ、政府が新政権にRUFを受け入れ、RUF指導者「アハメド・フォディ・サンコー」を副大統領としたが、同年、サンコーはフリータウンの自宅で抗議する市民らによって拘束されシエラレオネ警察に引き渡された。

市内の見所は、樹齢500年の町のシンボルである「コットン・ツリー」と呼ばれる木がある。この地に辿り着いた解放奴隷たちがこの木の下で休んでいたと言われている。コットン・ツリーからすぐ東には皆殺し作戦と呼ばれた戦乱の傷跡を残す裁判所があり、更に近くには植民地時代の建物「ステート・ハウス」がある。コットン・ツリーの西には国立博物館があり、小規模だがシエラレオネに関する資料や格部族の仮面や伝統工芸が展示してある。

ジャマイカ系の解放奴隷マルーンが建てた「セントジョーンズ・マルーン教会」は1820年に建てられたフリータウン最古の教会である。他の教会や聖堂やモスクも市内で見かける。ビクトリア・パーク市場、イースト・ストリート市場、キングジミー市場などがフリータウンの主な市場である。

市内の南にある「レイチェスター・ヒル」と言う丘がありフリータウンを一望出来、「クリオ・ハウス」と言う木造建造物がある。この建造物はイギリスやジャマイカ等からこの地に来た解放奴隷等が住んでいた歴史のある古い家である。2007年イギリスの奴隷貿易禁止する法律が成立してから200周年に従い街にある通り等はアフリカの奴隷廃止運動家の名に変える事が提案された。シャーロット通りはアミスタッド号反乱のシンケ・ピエの名に変更され、ウォータールー通りは、元奴隷で奴隷解放運動家のオラウダ・エクイアノの名に変更された。

市内にあるシエラレオネ大学のフォーラー・ベイ・カレッジは、1827年に教会宣教師協会によって、主に神学の教育の為に設立された。イギリスのダラム大学とは1876年以来、姉妹校となっている。西アフリカ英語系の最等教育機関で最古の大学であるこの大学は別名「西アフリカのアテネ」とも言われている。

「フリータウン」の景色

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シエラレオネ (SIERRA LEONE) : 

公式国名、シエラレオネ共和国(Republic of Sierra Leone)。西アフリカの西部、大西洋岸に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。面積、7万1,740平方`(北海道の90%)。人口(2008年)、569万6千人。人種、スーダン系緒族(メンデ族35%、テムネ族32%、リンバ族8%、コノ族6%)。言語、英語(公用語)、クレオール語、メンデ語、テムネ語。宗教、イスラム教60%、原始宗教30%、キリスト教10%。首都は、フリータウン。

北にギニア、南東にリベリアと国境を接し、南西は大西洋に面する。奴隷制から解放された黒人達の移住地として1808年にイギリスの植民地となり、1961年に独立した。かつて、約10年近く続いた内戦により、世界で最も平均寿命が短い国の一つとなっていた。現在はシエラレオネの平均寿命が伸び,エイズ禍が深刻な南部アフリカ諸国が平均寿命の下位を占めている。

海岸地帯は沖積平野に湿地帯とマングローブ林が広がる。北東部のギニアとの国境地帯に低い山地が広がり、中央部は起伏に富んだ高原で急流が多い。全体が熱帯雨林に覆われ、高温多湿の典型的な熱帯雨林気候。5〜10月が雨季、11〜4月が乾季で、年間降水量は多いところでは5,000_に達する。このため風土病が多く、かつては「白人の墓場」ともよばれた。

1930年にダイヤモンドが発見されて以来、ダイヤモンド採掘を基盤とした輸出国である。シエラレオネ特別企業合同は、25年間ダイヤモンドの探査権を独占し、利益の多くを政府に上納していた。しかし、同時に大部分のダイヤモンドが密輸出されている。南西部が最もダイヤモンドの埋蔵量が多い地域であり、これを巡って過去に内戦が発生している。内戦終結後、政府は再びダイヤモンド産業の発展に力を入れており、2007年就任した「アーネスト・コロマ」大統領はダイヤモンド採掘や研磨産業を育てようとしている。

農業では米、アブラヤシ、ラッカセイ、コーヒー、ココアなどが主に行われているが、穀物は輸入に頼っている。漁業はフリータウン半島などで盛んである。生活様式はイギリス化されて、教育・文化の水準が高い。

「シエラレオネ」の景色

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2012年04月24日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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