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モザンビーク (MOZAMBIQUE)

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モザンビーク (MOZAMBIQUE):

公式国名、モザンビーク共和国(Republic of Mozambique)。アフリカ大陸南東部にあるモザンビーク海峡に面する人民共和国。面積、801,590平方`(日本の約2.1倍)。人口(2011年)、23,920,000人。人口密度、23人/平方`。2008年の人口調査結果が22,894,000人で、順調に増加している。首都は、マプト(マプート)

人種は、マクア人・ロムウェ人が40%と、マコンデ人、シャンガーン人、ショナ人、スワジ人等のバントゥー系黒人の諸民族が国民全体の99.66%を構成し、その他メスチーソ(黒人と白人の混血。ムラート)が0.2%、インド人(印僑)が0.08%、ポルトガル系モザンビーク人を主とする白人が0.06%とごく少数の非黒人系マイノリティが存在する。

2007年現在では1,500人〜12,000人に達する規模の中国系コミュニティが存在するとも推定されている。2010年代初頭より、経済的停滞が続く旧宗主国ポルトガルから経済的に勃興を遂げつつあるモザンビークに専門職従事者の移住が進んでおり、首都マプトには約2万人のポルトガル人が存在すると推定されている。

言語は、公用語はポルトガル語。その他、バントゥー諸語(マクア語、セナ語、ツォンガ語、ニュングウェ語、チェワ語、ショナ語、ロムウェ語、マコンデ語、ツワ語、ロンガ語、チョピ語、ヤオ語、コティ語、ンワニ語等)や、北部ではスワヒリ語も用いられる。英連邦に加盟している国では唯一、英語を公用語としていない。

宗教は、1997年のセンサスによれば、カトリック教会が23.8%、ザイオニスト教会が17.5%、イスラームが17.8%、その他が17.8%、無宗教が23.1%である。

港湾都市としては、首都でもある「マプト=マプート」。その他、「ベイラ」「ナカラ」といった港湾都市もある。また、モザンビーク共和国、北部のモザンビーク海峡とモスリル湾の間に同国名の由来となった「モザンビーク島」という島が存在する。この島は、かつてポルトガルの植民地だった時代にモザンビークの中心的な都市として機能していた歴史的価値が認められ、1991年に◆『モザンビーク島』の名称で、同国唯一のユネスコの世界(文化)遺産に登録されている。

アフリカ大陸南東部に位置し「モザンビーク海峡」に面する。南に南アフリカ共和国、南西にスワジランド、西にジンバブエ、北西にザンビアマラウイ、北にタンザニアと国境を接し、モザンビーク海峡を隔てて東にマダガスカルコモロが存在する。

モザンビークの行政区分は、10州、及び、州と同格の1市に分かれる。国土の中央を大河「ザンベジ川」が流れ、国土は川によって地勢上二つの地域に分かれる。川の北ではなだらかな海岸線が内陸部に入って丘陵や低い台地となり、更に西に進むと「ミオンボ森林」に覆われた「ニアサ高原」や「ナムリ高原(シレ高原)」、「アンゴニア高原」、「テテ高原」、「マコンデ台地」の様な険しい高原となる。「ニアサ湖(マラウイ湖)」の景色シウタ湖」、「シルワ湖」と三つの湖が存在し、いずれも北部に位置する。

南部は丘陵性の草原が広がる。低地は広く、「マショナランド台地」と「レンボ山地」が深南部に存在する。沿岸部は多数の河川の下流平野が発達している。国内最高峰は「ビンガ山(2,436b)」。五つの大きな河川が流れており、最も大きく重要なものは「ザンベジ川」である。

気候は熱帯雨林気候とサバナ気候に分かれるが、北部は熱帯モンスーン気候。首都のマプトが位置する南部は南部は亜熱帯モンスーン気候で冬季は平均気温が20℃以下まで下がり、5〜9月までは比較的しのぎ易い。南下するにつれて降水量は減少する。11〜3月が暑い雨季、4〜10月が涼しい乾期となる。内陸の山岳高原部は乾燥が激しくステップ気候となる。

産業は、第一次産品の生産が主だが、鉄鉱石やマンガン、チタン(重砂)などの鉱産資源も多い。日本向け輸出はエビが多い。1980年代は内政の失敗に加え、内戦や旱魃などで経済は壊滅状態に陥った。内戦終結後も、1999年、2000年と続いて起きた大洪水等の自然災害等で経済は打撃を受けていたが、1990年代後半以降から経済が急速に発展しており、1996〜2006年までに年平均8%の経済成長を達成した。

日本の三菱商事も出資したアルミ精錬事業の「モザール社」は、2000年より事業を開始した。国内最大級企業で、オーストラリアのアルミナを原料として輸入し、南アからの豊富・安価な電力をもとに精錬の後にアルミニウムとして輸出している。

2010年、首都マプトで、パンの値段が30%引き揚げられた事への抗議がきっかけとなり暴動が発生した。警官隊が発砲し、子ども2人を含む市民7人が死亡した。政府は、デモ隊が築いたバリケードを取り除く為に軍隊を導入した。民間テレビ局STVは、10人が死亡し、27人が重軽傷を負い、140人が拘束されたと報道している。因みに、この国は国民の70%が貧困ライン以下で、世界で最も貧しい国の一つであるといわれており、失業率も54%に達している。

石炭や天然ガスなど有機鉱物資源には比較的に恵まれている。石炭の埋蔵量は約7億dで主要鉱産物の一つである。2003年には南アフリカ企業による陸上ガス田が生産開始し、南アと輸出用ガスパイプラインで結ばれる等、同国からの投資が近年増えている。

約300万年前から人類が居住し生活していた。紀元前後には、サン(ブッシュマン)が居住していたが、バントゥー系アフリカ人諸部族が広範囲に分布する様になった。紀元前1世紀にはギリシャ人・ローマ人が沿岸部住民と交易するようになった。

8世紀にはアラブ商人が金・銀を求めて港に現れるようになった。 この地域での歴史は、11〜19世紀の部族連合国の王の称号からアラブ人の商人が通称した、モノモタパ王国にさかのぼる。現在のジンバブエを中心に栄えたモノモタパ王国は現在のモザンビーク領のソファラを拠点にアラブ商人と香辛料や象牙、金等の交易を行っており、中国の陶磁器やインドの綿製品も手に入れていた。

1498年にポルトガル人が喜望峰を越えてこの地に到達したのをきっかけに、16世紀初頭より、ポルトガルの植民が始まり、17世紀半ばにはポルトガルの植民地支配が確立し、ポルトガル領東アフリカの首都は「モザンビーク島」に置かれた。モザンビークからは遥か遠くのブラジルにまで黒人奴隷が連行された。1782年に「ロウレンソ・マルケス」が建設された。

19世紀に入り、1858年にポルトガル領では奴隷制度が廃止されたものの、劣悪な労働環境による契約労働制により事実上の奴隷労働制度が続いた。19世紀末に進んだアフリカ分割の中でポルトガルはモザンビークとアンゴラを横断しようとする「バラ色地図」計画を発表したが、1890年にイギリスの圧力に屈したポルトガルはザンビアとジンバブエとマラウイの領有を諦め、1891年の条約で現在のモザンビークの領域が確立された。

また、同1891年にポルトガル領東アフリカ総督はイギリス・フランス資本のモザンビーク会社・ニアサ会社・ザンベジア会社に開発の権利と司法権を除く自治権を与えた。この為、独立後にイギリス連邦の加盟国となっている。また、ポルトガルの圧政に対し、先住民による抵抗運動が頻発したが、それらは全てポルトガル軍により鎮圧された。

1898年にモザンビーク島からロウレンソ・マルケスに植民地の首都が遷都され、以降ロウレンソ・マルケスはポルトガル領東アフリカの首都となった。

その後、第二次世界大戦が終結し、脱植民地化時代に入るとアフリカ諸国のヨーロッパ諸国からの独立の波がモザンビークにも押し寄せた。ポルトガルの政権は1951年にモザンビーク等のアフリカ植民地を「海外州」と呼び変え、植民地支配に対する国際社会の非難を避けようとした。

1959年のポルトガルの開発計画により、モザンビークには3,800万ポンドが投資された。更に、リンポポ川流域へのポルトガル人の入植や、港湾の能力拡大の為の鉄道建設が進められたが、モザンビーク植民地の慢性的なポルトガルへの輸入超過を補う為に南アフリカ連邦の鉱山への黒人労働者の出稼ぎによって経済は支えられた。

しかし、形式上の本国との対等の地位と、事実上の植民地政策の矛盾は隠せるものではなく、モザンビークでも1964年、「モザンビーク解放戦線(FRELIMO)」がタンザニアを拠点に武装闘争を開始し、独立戦争が始まった。ソ連の援助を受けていたFRELIMOは冷戦構造の中で西側諸国の脅威であり、ポルトガル軍も強権を以て解放軍に対処した。

約10年を経てポルトガル本国でのカーネーション革命がきっかけとなり、1975年に「ザンビーク人民共和国」として完全独立を果たした。独立後も1977〜1992年まで内戦が続いた。農業の中心であったプランテーションはポルトガル人の帰国によりなくなり、更に内戦と干ばつで産業は崩壊している。100万人を越える飢餓難民が発生した。

1995年に南アフリカやジンバブエ等、周辺の英語圏諸国との経済的結びつきを深める為、それまでオブザーバーとして参加していた「イギリス連邦」に正式に加盟した。翌1996年にはポルトガル語世界(ルゾフォニア)との結びつきを深める為に「ポルトガル語諸国共同体」にも加盟した。

1998年、南アフリカと日本の主要な投資で誕生した「モザール社」が経済発展の原動力となり、安定した政治と年率8%に及ぶ高度な経済成長を実現した。温厚な調整力や、モザンビークを安定に導いた「ジョアキン・アルベルト・シサノ」大統領のリーダーシップは国際社会からも認められ、2003年にはアフリカ連合の第2代総会議長に選出された。

他方、HIV/AIDSの蔓延や、慢性的な医師不足の改善は進まず、国民の教育水準も低いままに留まった。2005年と2009年の大統領選挙では、与党FRELIMO「アルマンド・ゲブーザ」が新たに大統領に就任した。

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2017年01月16日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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