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ガンビア(GAMBIA)

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ガンビア(GAMBIA) : 

アフリカ大陸の西端、西アフリカ西岸に位置する共和国で、イギリス連邦加盟国である。公式国名、ガンビア共和国(Republic of the Gambia)。北大西洋に面し、ガンビア川の河口を除き、三方をセネガル共和国に囲まれる。面積、11,300平方`(岐阜県と同規模)。人口(2011年)、1,780,000人。人口密度、137人/平方`。首都は、バンジュール

住民の人種構成(2003年)は、マンディンカ人42%、フラ人18%、ウォロフ人16%、ジョラ人10%、セラフリ人2%、その他のアフリカ系民族4%、非アフリカ人1%。多くの民族集団に分かれており、アクと呼ばれる解放奴隷のクレオール人も少数だがいる。言語は英語が公用語であるが、マンディンカ語、フラニ語、ウォロフ語等が日常的に使われている。宗教は、イスラム教90%、キリスト教8%、アフリカ在来宗教が2%となっている。

行政区分は、ガンビア川上流地方(Upper River)、ガンビア川中流地方(Central River)、ガンビア川下流地方(Lower River)、ノースバンク地方(North Bank)、西部地方(Western)の5地方と1市(首都、バンジュール)で構成されている。

西アフリカの西端、「ガンビア川」の低地に沿った細長い大陸部と、河口の先端に半島状に突きだしたガンビア川の河口に突きだした半島状の「セントマリー島」、その他無人島になっているチタボン島、タラレカ島、ラミン島などからなる。ガンビア川の両側に国土を有し、最大幅は48`に過ぎない。ガンビアはもともとイギリス領であったが、セネガルはフランス領で、イギリスとフランスが1889年に、ガンビア川の約200㍄をイギリス領とする事で合意した。アフリカ大陸最小の国で1,300平方`をガンビア川が占める。

河口部は熱帯雨林気候で、中流域はサバナ気候。6〜10月は雨季で南西モンスーンが多量の雨をもたらす。11〜5月は乾季で温度も比較的低く夜間はしのぎ易い。農業が主要産業で落花生、米が主要生産品で、落花生とパーム油が大量に生産され主要輸出品となっていたが、モノカルチャーから脱却する為に水産業に力を入れ、魚介類を日本へ輸出している。近年観光業が盛んになり、英語が通じる事もあってヨーロッパ諸国から気軽に行ける観光地となっている。

隣国のセネガルと関係が深く、かつて1982〜1989年までセネガンビア国家連合を形成していたが、方向性の不一致により解散した。しかし現在は再び良好な関係にある。パレスチナを国家承認しており、イスラエルの存在を認めていない。背景として国民のほとんどがイスラム教徒である為、同じイスラム教徒であるパレスチナ人に対して非常に同情的であることが挙げられる。

また、大統領「ヤヒヤ・ジャメ」は厳格なイスラーム主義者かつ、徹底した反米・反イスラエル主義者でもあり、「ガザ紛争 (2008〜2009年)」時にはイスラエルを激しく非難している。この為、同じ反米路線を採る国で、イランシリアベネズエラ等の国との関係を強化している。

また世界で数少ない、中華民国(台湾)の承認国でもある。しかし、2013年11月15日、ガンビアは台湾と国交を断絶した事が判明した。「国家の戦略的利益のため」としている。

バンジュールにあるバンジュール国際空港(ユンダン国際空港)はアメリカのスペースシャトルが不時着出来る様、NASAが1989年に改修した。ガンビア川は、3,000d級の船舶が内陸のジャンジャンブレアまで行く事が出来る。バンジュール港はアフリカ西海岸で有数の天然港である。

「バンジュール港」の航空写真:

10〜13世紀頃まで「ガーナ王国」に属していた。その後15世紀までは「マリ帝国」に属した。13世紀に「マリンケ族」の商人がイスラム教を広め、18世紀まで強い影響力を持っていた。15世紀中頃、ポルトガル人が下流域に商業拠点を建設。16世紀にイギリスが進出し、フランスと争った末、1783年にイギリスの植民地となる。

1959年にダウダ・ジャワラが、「人民進歩党(PPP)」を結成。1963年、ジャワラが首相になり、自治権を獲得。1965年に英王を元首とする立憲君主国(英連邦王国)として独立。1970年共和制に移行し、再びジャワラが大統領に就任した。

1981年に軍副将軍によるクーデターが起こるも、セネガル軍の介入により鎮圧される。1982年セネガルとセネガンビア国家連合を形成したが、1989年、両国の関係悪化に伴い国家連合を解体した。1994年ヤヒヤ・ジャメ中尉による無血軍事クーデターが発生し、長期政権のジャワラ大統領はセネガルへと亡命している。

軍政となったが1996年に大統領選挙、1997年に国民議会選挙の実施により民政へと復帰した。現在は隣国のセネガルと再び良好な関係にある。

ガンビア国内には、ユネスコの世界遺産に登録された文化遺産が2件登録されている。

『クンタ・キンテ島と関連遺跡群 』: 奴隷貿易が行われていた植民地支配の痕跡をとどめる遺構の数々で、2003年に世界遺産に登録されている。ガンビア川の河口から30`程上流に浮かぶクンタ・キンテ島(旧名、セント・ジェームス島)は、

ゴレ島と共に西アフリカにおける奴隷貿易の中心地となってきた歴史を持ち、日本では負の世界遺産の一つと位置付けられる事がある。但し、この物件はそれだけにとどまらず、ヨーロッパと西アフリカの交流の諸段階の様子を伝えている事も、登録理由の一つとなった。登録当初は『ジェームズ島と関連遺跡群』だったが、島の改名に伴って2011年に現在の名称に変更された。

『セネガンビアの環状列石』: セネガル、ガンビア両国に跨るセネガンビア地域で見られる環状列石群で、39,000平方`に分布しており、遺跡の総数は、1,965ヶ所で、16,790基の石碑及び石柱が発見されている。また、1,045ヶ所の環状列石、3,448ヶ所の石をめぐらせた墓と石を使わない墓があり、9,093個の石が、石を使用した墓や環状列石を伴う墓に用いられている。また、単独の石碑ないし石柱は、3,204ヶ所確認されている。その内の一部が2006年に世界遺産に登録されている。

「ガンビア」の風景はこちら

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2014年12月16日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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