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アルジェリア (ALGERIA)

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アルジェリア (ALGERIA) : 

正式国名、「アルジェリア民主人民共和国(Democratic and People's Republic of Algeria) 」。アフリカ北西部、マグリブに位置する地中海に面した共和国。面積、2,381,740平方`(日本の6.3倍)。人口(2013年)、37,800,000人。人口密度、15人/平方`。首都は、アルジェ。その他、主要都市は、オラン、コンスタンティーヌ、アンナバ、BeJaiaベジャイア、Skikdaスキクダなど。

人種、アラブ人80%、ベルベル人20%(ベルベル人は、先住民で族山岳地帯を中心に住む)。主要言語はアラビア語とベルベル語だが、公用語はアラビア語である。宗教は、99%がイスラム教で、そのほとんどがスンナ派である。古代ギリシャ・ローマによる支配を経験したことから、キリスト教・ラテン文化の影響を残している。

東にチュニジアリビアと、南東にニジェールと、南西にマリモーリタニアと、西にモロッコサハラ・アラブ(西サハラ)と国境を接し、北は地中海に面する。地中海を隔てて北に旧宗主国のフランスがある。アフリカ世界と地中海世界とアラブ世界の一員であり、アフリカ連合とアラブ連盟、地中海連合、アラブ・マグレブ連合に加盟している。

2011年7月9日の南スーダン独立によりスーダンが分割(縮小)されたが、アフリカ大陸で最も領土が広い国であり、世界でも10番目の広大な国土を持つ。その大半(約88%)はサハラ砂漠である。海岸に並行して2,000b級のアトラス山脈が走り、乾燥した高原地帯を形成している。南部はアハガル高原で、火山性のホガール山地には、最高峰の「タハト山(2,918b)」がそびえる。北部の地中海沿岸は温暖で雨量も多く、草原等も広がる肥沃な平原地帯で、国民の約95%がこの地域に居住している。

地中海沿岸部は温帯で典型的な地中海性気候である。平均気温は夏が20〜25℃、冬は10〜12℃で、アトラス高原はステップ気候になる。アトラス高原から南に行くにつれて冬と夏、昼夜の温度差が激しくなり、降水量が少なくなる。また、夏には暑く乾燥したシロッコが吹き、その風は海岸部にまで及ぶ。降水量は沿岸部で年間500_前後。東に行くにつれ降水量は多くなりコンスタンティーヌで1,000_近くまで及ぶ。山岳地帯では、冬になると雪が振り、吹雪になる事もある。

1956年、サハラ砂漠に豊富な油田が発見され、石油と天然ガスで総輸出額のほとんどを占める。主要産業は国有化されているが、徐々に市場経済に移行中。膨大な対外債務があるが、天然ガスや石油を産出し、近年の原油価格上昇で貿易黒字が増大している。それ以外にも鉄鉱石やリン鉱石などを産する。国内産業は農業が主で、小麦、オレンジなどを産する。EU諸国からも近い為一人当たりのGDPも他のアフリカ諸国と比べて高い。フランスにいる100万人以上の出稼ぎ労働者からの送金も大きな外貨収入源である。

交通インフラは、2000年代に入り国土を横断するアルジェリア東西高速道路計画が事業化しており、国内の物流が画期的に向上する事から経済対策の切り札として期待されている。

古くはフェニキア人・バンダル人・ベルベル人の土地で、新石器時代の住人は、「タッシリ・ナジェール遺跡」を遺した。紀元前には内陸部にベルベル人が、沿岸部にはカルタゴの植民都市が存在したが、多くの戦いででカルタゴは滅亡し、ベルベル人の「ヌミディア王国」も、最終的に「ユリウス・カエサル」の征服によってローマ共和国の属州となった。その後ゲルマン系ヴァンダル族の征服、東ローマ帝国の征服を受けた。

7〜8世紀に「ウマイヤ朝」等アラブ人イスラーム勢力が侵入し、イスラーム化が進行した。内陸部に「ルスタム朝」が栄え、住民のアラブ化も進み、11世紀のヒラール族の侵入によって農村部でのアラブ化が決定的になった。西から進出した「ムラービト朝」、「ムワッヒド朝」の支配を経た後に、 1229年に「ハフス朝」が成立し、1236年に「ザイヤーン朝」が成立した。

16世紀に入ると東からはオスマン帝国、西からはスペインの進出が進んだが、1550年に「オスマン帝国」が「ザイヤーン朝」を滅ぼし、トルコ人による支配体制が築かれた。

1830年にフランスが、アルジェを占領し、1847年に全アルジェリアを支配した。アルジェリア北岸にはアルジェ県、オラン県、コンスタンティーヌ県が置かれ、これら三県はフランス本土と同等の扱いを受け、多くのヨーロッパ人がフランス領アルジェリアに入植した。

1916年にトゥアレグ族が蜂起し、フランス軍が鎮圧したものの第一次世界大戦が終わると独立運動が激化し始めた。また、第二次世界大戦中の1942年以降は反ヴィシー政権の拠点となり、「シャルル・ド・ゴール」を首班とする「フランス共和国」臨時政府もアルジェで結成された。

第二次世界大戦が終結すると独立運動が再び激化し始め、1954年「アルジェリア民族解放戦線(FLN)」が結成され、武装独立闘争で激しいゲリラ戦が続いた。1958年、カイロに「アルジェリア共和国」臨時政府を樹立。この現地人と入植者の対立による「アルジェリア戦争」で、100万人に及ぶ死者を出した。

1962年7月に「アルジェリア民主人民共和国」として独立を達成し、8月に誕生した初代の「ベン・ベラ」大統領は社会主義政策を採り、キューバ革命後のキューバと共に非同盟運動と世界革命路線を推進した。一方、域内アガデス州のアーリットとアクータ鉱山から産出するウランを巡って、「トゥアレグ抵抗運動」が勃発した。産出するウランの一部は日本に出荷されている。1963年10月、西サハラ国境(ティンドゥフ県、ベシャール県)をり「砂戦争」でモロッコとも交戦した。

1965年の無血クーデターによりアルジェリア型社会主義化が推進。1979年、重工業中心の経済開発と国民生活の向上を目指す政策を推進。1986年、国民投票で新国民憲章が承認、社会主義とイスラム教が国家の2本柱と定まるが、1992年の軍部クーデターで混乱状態となる。1995年、国連の監視の中で初の複数候補による大統領選挙が行なわれた。

1999年に行われた大統領選挙で「アブデルアジズ・ブーテフリカ」大統領が選出された。一時、国情が沈静化しつつあったものの、北部や東部ではイスラーム・マグリブ地域の「アル=カーイダ組織」によるテロが頻発し、犠牲者が多数出て、その後も国家非常事態宣言は発令されたままの状況が続いた。

2009年大統領選挙が行われ、「ブーテフリカ統領」が3選された。「アルジェリア騒乱(2010〜2011年)」が発生した事もあり、発令より19年が経過した2011年2月になってようやく国家非常事態宣言が解除された。2013年1月、イリジ県イナメナスにある天然ガス関連施設で「イナメナス人質事件」が起こった。

観光は、1990年代のイスラム原理主義過激派によるテロにより観光者は激減、アルジェリア観光は壊滅的な被害を受けたが、2000年代に入るとテロが沈静化し、それに伴い徐々に再び観光客は増加しているが、それでも全盛期までには至っておらず、日本の外務省海外安全情報でも未だにアルジェリア全土の危険を喚起している。

観光地としては、「アルジェ(特にカスバ等)」、古代ローマの遺跡観光等が有名である。

アルジェリア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、複合遺産が1件存在する。

◎『文化遺産』は、 ◆「ベニ・ハンマードの城塞(1980年)」、 ◆「ムザブの谷(1982年)」、 ◆「ジェミラ(1982年)」、 ◆「ティパサ(1982年)」、 ◆「ティムガッド(1982年)」、 ◆「アルジェのカスバ(1992年)」。

◎『複合遺産』は、 ◆「タッシリ・ナジェール(1982年)」である。

※ アルジェリアの風景はこちら

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2015年02月23日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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