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ベナン(BENIN)

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ベナン(BENIN): 

公式国名、ベナン共和国(Republic of Benin)。アフリカ西部、ギニア湾に面する人民共和国。面積は、112,620平方`(日本の約1/3)。人口(2013年)、9,877,292人。人口密度、87.7人/平方`。2000年の人口推計は6,394,919人で、12年間に55%近く増加している。ほとんどの人口は南の海岸平野地帯のポルトノボコトヌーに集中している。通貨は、ユーロと連動するCFAフラン。首都は「ポルトノボ」。最大の都市は「コトヌー」。

民族は、ベナンには約42民族が居住し、特に中南部のフォン人25%、南部のアジャ人6%、南部のヨルバ人12%、北部のバリバ人12%等が大多数を占め、他にプール人、ソンバ人がいる。言語は、フランス語が公用語であり、その他にフォン語、ヨルバ語などそれぞれの民族の言葉が話されている。宗教(2002年)は、がキリスト教徒42.8%(カトリック27.1%、Celestial Church of Christ5%、メソジスト3.2%、その他7.5%)、ムスリム24.4%、ヴォドゥン17.3%、地域伝統信仰6%、その他8.49%。

主な高等教育機関としては、「国立ベナン大学(現、国立アボメ・カラビ大学)」や「国立パラク大学」が挙げられる。日本との関わりでは、北野武の付き人、タレントで2012年にベナン駐日特命全権大使に就任した「ゾマホン・ルフィン」により、「たけし小学校」やアフリカではまだ珍しい日本語学校である「たけし日本語学校」が設立されている。「たけし日本語学校」は2003年に最初の卒業生「ローソン・レオポルト」を輩出したのを皮切りに、現在に至るまで多くの卒業生・日本留学生を輩出している。

西アフリカに位置する共和制国家で、南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、北東にニジェール、東にナイジェリアと国境を接し、南は大西洋のギニア湾のベニン湾に面している。北東のニジェールとはニジェール川が境となっており、南部のベニン湾岸は平野で、南から北へ進むに連れて徐々に標高が高くなり、北部は標高200〜500bの高原状の地形である。北部に源を発するウェメ川が国土を南北に貫流している。

ベナンの気候は、高温多湿であり、北部はほとんどがサバンナと半乾燥の高地である。南部は一年に4〜7月と9〜11月の二度の雨期があり、雨量が増加する。中部はサバナ気候、北部は乾燥気候で、5〜9月が雨季である。

経済は、低開発であり続け、国民の大半が従事する農業に依存している。商品作物としては、プランテーションにより産する、綿花、パームオイルなどの輸出用農業生産のほか、自給用のトウモロコシなどが栽培されている。綿花が輸出の第1位を占めGDPの40%、公式輸出収入の80%を占めている。社会主義時代には農業を基盤とした国家建設を進めていた為、食糧自給率は高く、過去7年間で実質成長率は平均5%だったが、急速な人口増加はこの増加を相殺している。インフレーションはこの数年間で終息した。

経済は、世界屈指の原油埋蔵量を誇るギニア湾に面しているが、油層に恵まれない為か1980年代に小規模な海底油田が開発されて以降、開発は停滞している。石油製品の国内消費量の大部分は、隣国のナイジェリアに頼っている。1989年、経済の行詰りからマルクス・レーニン主義を放棄した。現在の成長をさらに持続する為に、ベナンは更に多くの外資導入を計画しており、観光をより強調し、新食糧生産システムと農産品の開発を促進し、新しい情報技術とコミュニケーション技術を奨励している。

コトヌー湾にはベナン唯一の海港「コトヌー港」と国際空港「コトヌー・カジェフォウン空港」が存在する。ベナンは2車線のアスファルトで舗装された道路で隣国と結ばれている。携帯電話サービスは全土を通して様々な業者により、利用可能である。ADSL接続は一部地域で利用可能である。ベナンは1998年から衛星接続によって、2001年から単線の海底ケーブルSAT-3/WASCによってインターネットと接続しており、データの値段は非常に高額である。代替として2011年の「Africa Coast to Europe」の開通が予期されている。

16世紀にフォン人の居住地区であった現在のベナンに相当する地域に、ポルトガル人が来航している。17世紀にダホメ王国が成立し、ヨーロッパ人の商人との奴隷貿易を主な収入源にして銃火器を輸入し、1730年に現ナイジェリアのオヨ王国によって服属させられたものの、その後も18世紀を通して周辺の国を軍事的に攻撃して繁栄した。

19世紀に入ってヨーロッパ諸国によるアフリカの本格的な植民地化が進むと奴隷貿易が徐々に廃止され始めた為、ダホメ王国の財政基盤に影響が及んだ。アフリカ分割の中でフランスがダホメ王国に目を付け、「第1次フランス=ダホメ戦争」及び「第2次フランス=ダホメ戦争」によって、最終的には1894年にフランスに征服され、1904年フランスの植民地、フランス領西アフリカの一部である、フランス領ダホメ(1904年〜1958年)となった。

1960年に自治共和国からダホメ共和国(1958年〜1975年)として独立したが、バリバ人、ヨルバ人、フォン人などによる民族抗争が続いて政情は動揺し、クーデターも頻発した。1972年の建国後5度目の政変でマチュー・ケレク政権が成立し、1975年11月に国名をベナン人民共和国に改称した。

内政的にはベナン人民革命党(PRPB)の一党制に基づく社会主義路線を標榜、外交的には中華人民共和国に近づいたが、経済運営に失敗し1990年代の社会主義陣営の崩壊を受け、1990年に国名をベナン共和国に改称し、複数政党制、三権分立、大統領制を骨子とする新憲法が国民投票で制定された。

翌年の大統領選挙ではケレク政権は敗北して退陣、変わって前首相のニセフォール・ソグロが大統領に選ばれ、議会もソグロ派が多数を占めた。1996年の大統領選挙ではケレクが大統領に復帰し、2006年3月の選挙でヤイ・ボニが当選し大統領となった。

『アボメイの王宮群』は、1985年に登録されたベナンで唯一のユネスコ世界遺産である。ダホメ王国時代には首都であったアボメイに、歴代12人の王たちが築き上げた12の王宮は、奴隷貿易などを一手に握り、中央集権的な権勢を誇った王達の治世を偲ばせる歴史的遺構である。この王宮群は、フォン人達によって築かれた土製の建築物群であり、1985年に世界遺産に登録されたる。同時に危機遺産にも登録された。全体が現存しているのは2つの王宮のみである。世界遺産基金の支援も受けて、ベナン当局が行ってきた復旧作業が一段落したことから、2007年6月に危機遺産リストからは除去された。

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2017年04月18日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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