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エジプト (EGYPT)

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エジプト (EGYPT) :

公式国名、「エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt)」。アフリカ東北部、地中海、紅海に面し、一部はアジアに跨る共和国。総面積、1,001,450平方`(日本の約2.7倍)。総人口(2012年)、82,056,378人。人口密度、76人/平方`。住民はナイル河谷およびデルタ地帯、スエズ運河に沿う地帯に集中する。首都は「カイロ」

西にリビア、南にスーダン、北東にイスラエルと隣接し、北は地中海、東は紅海に面している。南南から北に流れる世界最長(全長1,545`)の大河「ナイル川」が国土を貫流し河口で広大なデルタを形成して地中海に注ぐ。その河谷とデルタ地帯(ナイル・デルタ)の他は、国土の大部分が砂漠である。ナイル河口の東に地中海と紅海を結ぶ「スエズ運河」がある。主要港は、「アレクサンドリア」「ポート・サイド」「スエズ」「スクナ」など。

人種は、アラブ系エジプト人99%。住民はアラブ人がほとんどを占める。その他にベドウィン(遊牧民)やベルベル人、ヌビア人、アルメニア人、ローマ人、トルコ人、ギリシャ人などの少数民族。言語は、公用語がアラビア語、実際に用いられているのはアラビア語エジプト方言である。他には地域的にヌビア諸語。宗教は、イスラム教(スンナ派)90%、キリスト教その他10%。

気候は、国土の大半はサハラ砂漠に属し北部の沿岸地帯だけが地中海性気候で、他は総て酷暑乾燥の砂漠気候である。夏には日中の気温は40℃を超え、50℃になることもある。降雨はわずかに地中海岸で年間数日あるにすぎない。冬の平均気温は下エジプトで13〜14℃、上エジプトで16℃程度である。4〜5月には砂漠から「ハムシーン」と呼ばれる砂嵐を伴った熱波が襲来する。2013年12月には、カイロ市内で降雪・積雪があり観測史上初ということで注目された。

西部砂漠には海抜0b以下という地域が多く、面積18,000平方`の広さをもつカッターラ低地は海面より133bも低くい。シナイ半島の北部は砂漠、南部は山地になっており、エジプト最高峰の「カテリーナ山(2,637b)」や、旧約聖書でモーセが十戒をさずかったといわれる「シナイ山(2,285b)」がある。シナイ半島とナイル河谷との間はスエズ湾が大きく湾入して細くくびれており、ここがアフリカ大陸とユーラシア大陸の境目とされている。この細い部分は低地である為、スエズ運河が建設され、紅海と地中海、ひいてはヨーロッパとアジアを結ぶ大動脈となっている。

耕地面積はわずかであるが、小麦、とうもろこしと良質の綿花を栽培する。食糧の1/3は輸入に頼っている。外貨獲得源としては、原油、スエズ運河通行料・出稼ぎ者からの送金がある。土地改革、民間企業の国有化等によって社会主義化が進められ、鉄鋼、石油、電力など工業も発達している。更にピラミッドなど数多くの歴史的遺産に支えられ、年間240万人の観光客が訪れる。

エジプトは、ナイル川流域を中心に古代文明が栄え、紀元前4,000年頃、統一国家を形成、後マケドニア、ローマ、サラセン、トルコ、イギリスの支配下に置かれ、1922年イギリスより独立。

1958年、アラブ連合共和国を経て、1970年に急死した「ガマール・アブドゥル=ナーセル」の後任となった「アンワル・アッ=サーダート」は、社会主義的経済政策の転換、イスラエルとの融和等、体制の切り替えを進め、1971年には、国家連合崩壊後もエジプトの国号「エジプト・アラブ共和国」に改称したが、自らが進める政治的自由化によってイスラム主義がかえって勢力を伸張させ、体制に対する抵抗が激化し、サーダート自身も1981年にイスラム過激派のジハード団によって暗殺された。

代わって副大統領から大統領に昇格した「ホスニー・ムバーラク」は、対米協調外交を進める一方、イスラム主義運動を厳しく弾圧して国内外の安定化をはかる等、開発独裁的な政権を20年以上にわたって維持した。大統領就任と同時に発令した非常事態法は、ムバーラクが追放されるまで30年以上に渡って継続された。

エジプトには「アルカイダ」を中心にしたイスラム過激派が未だ多く潜伏しており、外国人等を狙ったテロも後を絶たない。1997年にはイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客を襲撃したル「クソール事件」等が発生している。

2011年1月、近隣諸国の民主化運動が波及し、30年以上に渡って独裁体制を敷いてきたムバーラクの辞任を求める大規模なデモが発生。同2月には大統領支持派によるデモも発生して騒乱となり、国内主要都市で大混乱をまねいた。大統領辞任を求める声は日に日に高まり、2月11日、ムバーラクは大統領を辞任し、全権が「エジプト軍最高評議会」に委譲された。

同年12月7日には「カマール・ガンズーリ」を暫定首相とする政権が発足。その後2011年12月〜2012年1月にかけて人民議会選挙が、2012年5月〜6月にかけて大統領選挙が実施され「ムハンマド・ムルシー」が当選し、同年6月30日の大統領に就任したが、人民議会は大統領選挙決選投票直前に、選挙法が違憲との理由で裁判所から解散命令を出され、立法権は軍最高評議会が有する事となった。

2012年11月以降、新憲法の制定等をめぐって反政府デモ「2012年-13年エジプト抗議運動」や暴動が頻発した。ムルシー政権は、政権への不満が大規模な暴動に発展するにつれて、当初の警察改革を進める代わりに既存の組織を温存する方向に転換した。

ムハンマド・イブラヒーム」が内相に就任した2013年1月以降は、治安部隊による政治家やデモ隊への攻撃が激化。1月末には当局との衝突でデモ参加者など40人以上が死亡した。ムルシー政権は発足後約1年後の2013年7月3日、軍部によるクーデターによって終焉を迎えた。なお、イブラヒームは、クーデター後に成立したベブラーウィー暫定内閣でも続投している。

2014年5月26〜28日に行われた大統領選挙に当選した「アブドルファッターフ・アッ=シーシー」が6月8日、大統領に就任した。

2015年3月13日、エジプト当局はカイロの東側に向こう5〜7年で、450億jを投じて新しい行政首都の建設を計画している事を明らかにした。行政と経済の中心となる新首都はカイロと紅海の間に建設され、広さは約700平方`で、米ニューヨークのマンハッタンのおよそ12倍の面積の予定している。

ユネスコの世界遺産に登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件登録されている。それらの内訳は、

◎『文化遺産』としては、 ◆『メンフィスとその墓地遺跡』: ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯が、1979年に登録された。主なピラミッドとして、「クフ王のピラミッド」「カフラー王のピラミッド」「メンカウラー王のピラミッド」「ジェゼル王の階段ピラミッド」「ペピ1世のピラミッド」「メルエンラー1世のピラミッド」「スネフェル王の赤いピラミッド」「スネフェル王の屈折ピラミッド」がある。 ◆『古代都市テーベとその墓地遺跡』: 1979年に登録。 ◆『アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群』: エジプト南部のナイル川流域にある、古代エジプト文明の遺跡。1960年代、エジプトでナイル川流域に「アスワン・ハイ・ダム」の建設計画が持ち上がったが、このダムが完成すると、「ヌビア遺跡」が水没する危機が懸念され、これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60ヶ国の援助により、技術支援、考古学調査支援等が行われた。ヌビア遺跡群も1979年に登録された。 ◆『カイロ歴史地区』: 1979年に登録された。登録名は当初「イスラーム都市カイロ」だったが、2007年に「カイロ歴史地区」に名称変更された。 ◆『アブ・メナ』: アレクサンドリアの南西45`に位置する、古代エジプトにおけるキリスト教巡礼の中心的存在だった都市の遺跡。1979年に登録された。その遺構はほとんど残っていないが、バシリカのような大建築物の土台は、今でもはっきりと識別できる。 ◆『聖カトリ−ナ修道院地域』: エジプト、シナイ山の麓にある峡谷の河口、シナイ半島に位置する正教会の修道院と周辺地域。聖カタリ−ナ修道院は「聖カテリナ修道院」「聖カトリーナ修道院」「聖エカテリニ修道院」とも称され2002年に登録されている。

◎『自然遺産』は、 ◆『ワディ・アル・ヒタン』: エジプトのファイユーム県にある新生代古第三紀の堆積層。「クジラ谷」等と意訳され別称される当地は、その名のとおり、進化過程の早期にあたるクジラ類(バシロサウルス科)の化石が多数発掘される事で地質学的に著名で2005年に登録された。

※「エジプト」の風景はこちら

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2017年02月21日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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