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ガーナ (GHANA)

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ガーナ (GHANA) : 

公式国名、ガーナ共和国(Republic of Ghana)。アフリカ西部、ギニア湾に面する共和国。面積、239,460平方`(日本の約2/3)。人口(2012年)、25,500,000人。人口密度、87人/平方`。首都は「アクラ」。主な都市として、「セコンディ・タコラディ」」、「テマ」等がある。

住民の人種(2000年)は、アカン人45.3%、モシ・ダゴンバ人15.2%、エウェ人が11.7%、ガー人4%、グルマ人3.6%、グルシ人2.6%、マンデ・ブサンガ人1%、その他の民族が1.4%、ヨーロッパ人やアラブ人などその他が7.8%。言語は、英語(公用語)、その他アカン語、ダバニ語、エウェ語、ガー語などが使われる。

宗教(2000年)は、キリスト教徒68.8%(ペンテコステ派24.1%、プロテスタント18.6%、カトリック15.1%、その他のキリスト教11.5%)、イスラム教徒15.9%、伝統宗教8.5%、その他の宗教0.7%、無宗教6.1%。

西アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。脱植民地化が活発であった最中の1957年に、サハラ以南のアフリカにおいて初めて現地人が中心となってヨーロッパの宗主国から独立を達成した国家である。

かつて、イギリス領ゴールド・コーストと呼ばれていたが、独立に際して国名を「ガーナ」に変更した。初代大統領「ンクルマ」は、アフリカ統一運動を推進した事で有名である。かつてゴールド・コーストと呼ばれた海岸を保有しており、ダイヤモンドや金を産出する。カカオ豆の産地としても有名。2010年12月から沖合油田で原油生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。

ギニア湾に面しており、「ヴォルタ川」(Volta)流域の低地が国土の大半を占める為、最高標高点は885bに過ぎない。海岸から内陸へ100`までは海岸平野、西部は森林高原地域、東部はヴォルタ川流域の平坦地に分けられる。ヴォルタ川水系の面積は国土面積の67%を占める。特に1965年にヴォルタ川をせき止めて作った「アコソンボダム」が有名で、ダムによって作られた「ヴォルタ湖」は面積8,400平方`で世界最大の人造湖である。その他、隕石の衝突により出来たとされる自然湖としては「ボスムトゥイ湖」が存在する。

ケッペンの気候区分によれば、中東部では熱帯気候を示し、平均気温は25℃以上ある。一方南部は亜熱帯高圧帯に近づく為、乾季と雨季が明瞭になりステップ気候となる。12〜3月はサハラ砂漠からの乾燥した北東風の為に乾季に、4〜10月はギニア湾からの南西貿易風の為に雨季となる。中部、北部はサバナ気候である。

交通は、同国におけるハブ空港である「コトカ国際空港」があり、アフリカの近辺国や欧米との航空路線も多く運航されている。国内の交通機関としては、鉄道による移動も多く、テマタコラディ、クマシなどへの鉄道路線が延びている。2016年現在、旅客列車はアクラ近郊の2路線(テマ等)のみ運航しているが、週末は運休している。トーゴ国境のアフラオへはトロトロ(ワゴンタイプのバス)で4時間、クマシへは大型バスで4時間(毎時2本程度)である。

経済は、農業・鉱業等などの一次産業に依存し、特にカカオは世界有数の産出量を誇る。独立直後から債務超過に悩んでいたが、1983年以降、構造調整を実施して経済の再建に取り組んだ結果、1980年代後半から平均5%のGDP成長率を達成しアフリカにおける構造調整の優等生として評価されてきた。2013年時点のガーナの経済は、世界的に下位に位置するが、近年は原油の商業生産が始まったことにより著しく経済成長している。

アコソンボダムによる水力発電で電力の輸出を行っている。同国の総発電量のうち水力の割合は6割強を占める。オイルショック以降の原油高の後には、この電力によるアルミニウム精錬も行い、アルミニウムの輸出は総輸出額の7%を占める。

2007年6月から沖合で、サブサハラ最大級といわれる大規模な油田がいくつか発見され、政府によると合計埋蔵量は最大18億バレルで、現在日量10万バレルを生産中、ガスの生産も予定されている。石油が招きがちな貧富の格差や政情不安を回避して安定した発展を続けていけるかが注目される。

この地域の起源は、紀元前2,000年紀の「キンタンポ文化」の出現である。新石器時代後期に位置づけられるこの文化の人々は、森林とサヴァンナの境界地帯に住み、交易を行いつつも狩猟と採集によって暮らしていた。2世紀頃から「ハニ遺跡」で製鉄がおこなわれた事がわかっている。13〜16世紀は「ベゴー」をはじめ幾つかの町がサハラ交易の一端を担ったと想われる。また、西方からアカン人、モシ人、エウェ人、ガン人が移住し、先住民と対立しその後圧迫していった。

15世紀にはポルトガル人が到来し、エルミナ等に城塞を築き、奴隷貿易の拠点とした。その後、金が産出する事が判ると「黄金海岸」と呼ばれる様になった。その後、ドイツ人やデンマーク人、イギリス人、オランダ人が来航し、金と奴隷の貿易を奴隷制が廃止される19世紀まで続けた。大西洋三角貿易により多くの人々がアメリカ大陸に連行され、1776年に独立したアメリカ合衆国では、労働力として使われた。

17世紀には奴隷貿易で力を蓄え、ヨーロッパ人から購入した銃火器で周辺の民族に対して優位に立ったアシャンティ人が「アシャンティ王国」を建設し、大いに繁栄したが、19世紀に入り、アフリカの植民地化が進んだ事や、コスト面で採算の取れない状況となり奴隷貿易が衰退すると、王国の財政基盤は揺らいだ。イギリスは、1824年からの四次に渡る「アングロ・アシャンティ戦争」の末に、1902年にアシャンティ王国を滅ぼし、この地は「英領ゴールド・コースト」としてイギリス帝国に編入されたが、19世紀末〜20世紀半ばにかけてに民族主義の気運が高まり、「ナイジェリア」、「シエラレオネ」等「英領西アフリカ」の各地域が同調した。

イギリスは第二次世界大戦に連合国の一国として勝利したが、国力は衰退し、これを受けて1947年には独立を目的とした「黄金海岸会議」が設立され、「クワメ・ンクルマ」が1949年には「会議人民党」を設立した。部族間の争いを越えて独立を標榜する会議人民党は人々の広範な支持を得て、1951年の選挙では圧倒的過半数を占める第一党となり、1956年にはンクルマの下に自治政府が成立。翌1957年に隣の「英領トーゴランド」と合わせて独立を達成し、ブラック・アフリカ初の独立国となった。

独立当初は、イギリス国王を立憲君主に頂く英連邦王国であったが、1960年に共和制へ移行し、ンクルマが初代大統領となり、汎アフリカ主義を掲げて、冷戦下の社会主義圏やギニアとの友好関係を強化し、財政強化に努めたが、債務超過など失政を招き1966年にクーデターで失脚した。政権を掌握した国家解放評議会は、1969年には選挙を実施し、「コフィ・ブシア」が首相に選ばれ民政に移管したが、アカン人中心主義的な政策が国内の諸民族の反発を招き、1972年にもクーデターを起きたが、国情は安定せず、経済停滞から幾度か政変が発生した。

1979年に軍事クーデターを起こした「ジェリー・ローリングス」空軍大尉が政権を掌握し、1981年に完全な軍政を敷いた。ローリングスはガーナ経済再建の為にIMFや世界銀行の構造調整計画を受け入れ、所得格差の拡大と共に、ガーナ経済と政治の安定化を達成した。ローリングスは複数政党制を認め1992年の選挙で大統領に選出され、軍政から民政移管した。

ローリングスは2001年まで大統領を務め、後任には選挙に勝利した新愛国党の「ジョン・アジェクム・クフォー」が大統領に就任した。政情が安定し、自由選挙により平和的に政権が移譲されるようになった事から、現在は西アフリカにおける数少ない議会制民主主義国として知られるようになった。

2009年に国民民主会議から「ジョン・アッタ・ミルズ」が大統領に就任した。2012年7月24日、ミルズは首都アクラの病院で急死。副大統領の「ジョン・ドラマニ・マハマ」が大統領に昇格した。

ガーナ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件ある。 ◆『ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群 (ガーナのベナン湾沿いの要塞群)』: ガーナ(旧ゴールドコースト)の沿岸部にあるイギリスやオランダなど西洋諸国がかつて建造した、多くの西洋式の要塞群の内、遺産名の4州に残る15世紀末〜18世紀初頭に建造された11件が1979年に登録された。 ◆『アシャンティの伝統的建築物群』: ガーナ第二の都市「クマシ」近郊のアシャンティ州内に存在する、かつて「アシャンティ王国」を築いて繁栄を誇ったアシャンティ人達の伝統文化を伝える貴重な建造物群が、1980年に登録された。

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2017年02月24日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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