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リベリア (LIBERIA)

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リベリア(LIBERIA): 

公式国名、リベリア共和国(Republic of Liberia)。西アフリカの南西端に位置し大西洋に面した共和制国家。国名は、奴隷解放による「Liberty(自由)」に因む。面積、111,370平方`日本約3分の1)。人口(2012年)、4,200,000人。人口密度、30人/平方`。人種、スーダン系緒族(クペレ族19%、バッサ族14%、グレボ族9%)、アメリカ系黒人5%。言語、英語(公用語)、各民族語。宗教、原始宗教40%、キリスト教40%、イスラム教20%。首都は、モンロビア

北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国である。1989〜2003年にかけて断続的に2度も起きた内戦により、戦争一色の無秩序な国と化していた。

海岸部は幅50`の平地、内陸部は標高200〜300bの丘陵地である。北部は標高1,000bのギニア山地となる。平地は森林とサバナに覆われ湿地が散在している。内陸部は熱帯雨林が広がる。6本の大きな河川が平行して大西洋に流入し、海岸の多くはサンゴ礁やマングローブの密林で覆われている。内陸部(国土の1%)は草原で農地は限られている。

気候は高温多湿の熱帯モンスーン気候で年中高温多湿。「ハルマッタン」と呼ばれる砂混じりの熱風が吹く時がある。雨期と乾期に分かれ、南西モンスーンの吹く6〜12月が雨季で特に雨量が多い。1〜5月は相対的に乾季とされるがあまり乾燥しない。

ダイヤモンド・鉄鉱石・天然ゴム等に恵まれ、産業は天然ゴムが柱であったが、現在は鉄鋼石に代わっている。隣国シエラレオネと接するボミヒルズでは鉄鉱石が採掘され、ニンバ山にも推定10億dの鉄鉱石が埋蔵されていると言われている。他、ダイヤモンドや金なども発掘されるが、ダイアモンドは密輸出もされている。農作物ではアブラヤシやコーヒー、ココア、米、サトウキビなどが栽培されている。工業では、農産物加工と石油精製がおこなわれる。

船舶に対する優遇税制をとる為、便宜的にリベリア船籍を取得する船舶が多く、便宜置籍船の登録料も収入源の1つで商船保有量は世界屈指である。これら船舶の登録料が外貨獲得源になっている。しかし、内戦による混乱と海外からの援助の減少から経済は波綻状態にある。

「胡椒海岸」と呼ばれる穀物や胡椒(こしょう)の積出地であったが、奴隷狩りが行われたため人口が激減。19世紀奴隷制度の廃止で、「アメリカ植民地協会」はこの地に解放奴隷を送り込み、帰還入植地を建国、リベリア共和国として1847年に独立させ、アフリカ初の共和国となった。

独立以来、先住部族は移民アメリコ・ライベリアンから差別され、圧政が敷かれた。20世紀となる頃には、差別と圧政への抵抗が強くなり、また産業が脆弱で、財政が悪化した。1926年にアメリカのファイアストーン社とゴム農園用地を99年間貸与する契約を結び、代替に財政援助を受けたが、1931年にリベリアのゴム・プランテーションの労働は奴隷制と変わらないと国際連盟に告発された。

国際連盟は調査団を派遣し、国際的非難には、ある程度の根拠がある事、そして副大統領の関与をほのめかした為、キング大統領も衝撃を受け、1930年に大統領を辞任。更に、1930年代の経済不況でリベリアは破綻寸前となったが、1934年にはファイアストーン社の新しいゴム農園が生産を開始し、国家は持ちこたえた。

1942年、第二次世界大戦中、アメリカの援助により、アメリカ空軍の着陸のため空港の建設と港湾施設が改築。 1944年、ウィリアム・V・S・タブマンが大統領に当選(5年任期で再選もする)。タブマン大統領はアメリコ・ライベリアンと先住部族との経済的、政治的、社会的な大きな格差を緩和する事で、国家の統一を図り独裁的な政治運営を行い、国内は概ね安定した。

1971年、タブマン大統領死去により、副大統領だったウィリアム・R・トルバートが大統領になり、タブマンの跡を継ぎ、総てのリベリア人の平等を表明、縁故主義的支配廃止等を進めたが、1974年にソ連からの経済援助を受け入れる等、関係強化をしようとした為、アメリカと疎遠状態となる。

最大の経済援助国はアメリカであったが、1980年代にドウ政権はアメリカからの援助資金の多くを不正に、私用等に用いていた為、経済はうまくいかず、財政難を抱えていた。アメリカは、1992年には経済支援の失敗の経験と内戦から、リベリアとの関係に見切りを付けた。

1997年以降のテーラー政権下では、アメリカはシエラレオネ内戦での反乱軍への武器輸出を批判し、リベリア産のダイヤモンド等の輸出を禁止する厳しい圧力を掛けた。経済は内戦前から悪化しており、財政難も抱えていたが、1989年以降の内戦によって経済は崩壊状態となり、内戦が終わっても経済は悪化したままであった。

1980年、軍事クーデターが発生。1984年新憲法を制定。1985年、大統領選選挙が行われたが軍事クーデター未遂事件が発覚し、多数の死亡者と逮捕者を出す。1986年に民政復帰したが、1989年、リベリア愛国戦線(NPFL)が武力蜂起し、内戦状態となる。1990年、大統領暗殺事件が起こり、NPFLでも内部抗争が続いた。

1997年に、NPFLの「チャールズ・テーラー」が大統領就任して第3共和制が成立したが、悪政に対し2003年、反政府勢力「リベリア民主和解連合(LURD)」と、「リベリア民主運動(MODEL)」が蜂起し、首都へ侵攻する。

6月には政府と停戦合意するが、「ブッシュ米大統領」に、対リベリア平和維持部隊への米軍の参加を求める声が高まり、7月リベリアの沖合いに米海軍を配置、8月には米軍を始めとする平和維持軍が上陸。テーラー大統領はナイジェリアに亡命。9月の「国連安保理決議1509」により、国際連合「リベリア・ミッション (UNMIL)」 が派遣された。

2005年、暫定統治下で大統領選が行われ、国連開発計画の元アフリカ局長「エレン・ジョンソン・サーリーフ」が、アフリカ初の選挙による女性大統領となった。

2006年、戦争犯罪等で起訴されていたテーラー前大統領が、亡命先のナイジェリアで身柄を拘束され、リベリア経由でシエラレオネに移送された。その後、オランダのハーグにある国際刑事裁判所で開かれた「シエラレオネ国際戦犯法廷」で、2012年、国連設置法廷で史上初の国家元首経験者に対する有罪判決が下されている。

ギニアとコートジボワールにまたがる、ニンバ山(標高1,752b)の主要部分の「国立公園」は、熱帯雨林のエリアとサバンナのエリアを持ち、ダイカー、ジャコウネコ、ニシコモチヒキガエルなど、200種以上の地域特有の生物種を含む500種以上の動物と2,000種以上の植物が生息している。1981年にギニアに含まれる範囲が『ニンバ山厳正自然保護区』の名称で、ユネスコの世界遺産に登録され、翌年にコートジボワール領内も拡張登録されたが、リベリアからの難民の流入に加え、ニンバ山が鉄鉱石の鉱脈を持ち、リベリア側では採掘の為の開発が行われて来た事等から、1992年に危機遺産に登録された。

※ 「リベリア」の風景はこちら

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2014年05月06日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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