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リビア = リビヤ (LIBYA)

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リビア = リビヤ (LIBYA) : 

アフリカ北部、地中海に面する国で、東にエジプト、南東にスーダン、南にチャドとニジェール、西にアルジェリア、北西にチュニジアと国境を接し、北は地中海に面し、海を隔てて旧宗主国のイタリアが存在する。面積、1,759,540平方`(日本の約4.6倍)。人口(2000年)、5,115,450人が、2008年調査で、6,420,000人と急増化している。人種、アラブ人、ベルベル族、トゥアレグ族。言語、アラビア語(公用語)。宗教、イスラム教スンニ派97%。首都は、トリポリである。

アフリカ世界と地中海世界とアラブ世界の一員であり、アフリカ連合とアラブ連盟に加盟している。アラブ・マグレブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国に含まれる。

国土の大部分はリビア砂漠。国土の90%が砂漠で、南のチャド国境付近を除いて高い山のない平坦な地形である。西部のトリポリタニアは200〜300bの高原状台地、東部のシレナイカは平野、南部のフェザンは高原状の砂漠地帯である。沿岸部は地中海性気候で夏は高温乾燥、冬は温暖で雨もある。内陸部は年中高温乾燥の砂漠気候でほとんど降水がない。

農業は地中海沿岸で穀物、果実、綿花が栽培されているが、耕地は全土の3%以下にすぎない。オアシスでは遊牧がおこなわれている。経済の柱は1959年に発見された石油で、現在は世界有数の産油国である。原油の輸出から、石油関連産業、セメント工業へと発展している。公的サービスはほとんど無料になっている。

第二次世界大戦後、英仏の共同統治領であったが、1949年の国連の決議により、1951年にキレナイカ、トリポリタニア、フェッザーンの3州による連合王国として独立する以前は農牧業を主産業とする貧しい農業国だったが、独立後の1955年から油田開発が進められ、1959年にリビアは産油国となった。王政時代はオクシデンタル・ペトロリウム社等の国際石油資本により石油開発が進められたが、1969年の革命後に石油は国有化された。

リビア政府が起こしたパンナム機爆破事件により1992〜1999年まで国際連合の経済制裁が続き、リビア経済は疲弊。経済制裁の解除に伴い、一度は撤退した石油関連を筆頭とした外国資本が次々と流入し、それにあわせて経済状況が急激に回復した。

独立以前から皮革や繊維、じゅうたん、金属細工などの軽工業が行われていた。国土の1.2%が耕地となっており、現在でも農業や牧畜に従事する国民も多い。地中海農業やオアシス農業が主な農法であり、1969年革命後の社会主義政権は農業の産業化に力を入れ、深層地下水をパイプラインで輸送して灌漑を進めている。

古代にはフェニキア人、カルタゴ、ローマ帝国、東ローマ帝国の支配を受けた。7世紀にアラブ人のウマイヤ朝に征服され、イスラム教が広がった。その後16世紀にオスマン帝国に併合された。1711年に土着化したトリポリ総督のトルコ系軍人が自立し、カラマンリー朝が成立した。19世紀初頭にカラマンリー朝はアメリカ合衆国と第一次バーバリ戦争を繰り広げた。その後イギリスとフランスによるこの地への干渉が始まった為、オスマン帝国はリビアを再征服し、1835年にカラマンリー朝は滅亡した。

1969年、ナセル主義者だった27歳の「ムアンマル・アル=カッザーフィー」によるクーデターにより、トルコに滞在中だった国王イドリース1世は退位し、カダフィ(カッザーフィー)大佐を事実上の元首とする共和国が成立した。

その後は対外的にはソビエト連邦に接近して援助を受けた。1970年代〜1990年代まで数々のテロを支援し、アメリカやイギリス等の欧米諸国と敵対した。1985年に発生した西ヨーロッパでの一連のテロ事件により経済制裁を受け、1986年にはアメリカ軍にり空爆(リビア爆撃)されたが、その報復として1988年にパンナム機を爆破した「パンアメリカン航空103便爆破事件」を起こしている。

2001年の同時多発テロ事件以降は、一転してアメリカと協調路線をとる一方、アフリカ連合内で主導権を握ろうとした。2011年にはカダフィ打倒を旗印にした反体制派(後のリビア国民評議会)と政権側との間で内戦状態になり、徐々に政権側の攻勢で評議会側の拠点ベンガジ進攻寸前となり、見かねた国際社会が、NATO(北大西洋条約機構)を中心に、評議会側を軍事的に支援し劣勢は回避され、同年8月23日には評議会側が首都トリポリを制圧。その後約2ヶ月間にわたって逃走を続けていたカダフィ本人も10月20日に「スルト(シルト)」で射殺されたと発表され、42年間続いたカダフィ政権は完全に崩壊した。

2012年7月7日に60年ぶりに議会選挙が行われが、9月11日、米領事館襲撃事件が発生し、J・クリストファー・スティーブンス大使はじめ関係者4人が死亡するなど、国内は不安定な情勢が続いている。旧カダフィ政権を支持する「緑のレジスタンス」が活動を開始。ミスラタ刑務所を襲撃して145人の守衛を殺害するなど、ゲリラ的な攻撃を行った。

2014年、各地でイスラム系武装勢力の攻勢が活発化し、政府の支配権が弱まった。特に2014年6月25日に行われたリビア国民議会選挙の結果世俗派が圧勝し、不服とするイスラム勢力が攻勢をかけ、同年7月14日にはそれまで民兵が掌握していたトリポリ国際空港がイスラム勢力に奪取され、その後も空港周辺において双方がロケット砲を打ち合う大がかりな戦闘が続いた。

同月28日には、市街地と空港を結ぶ道路の途中にある大型石油貯蔵施設が被災し大規模な火災が発生。また7月31日にはベンガジの特殊部隊本部が陥落が、一連の戦闘の結果、世俗派政府・議会は首都トリポリにおける実効支配権を喪失し、東部の港湾都市トブルクに退去。一方新たに首都を掌握したイスラム勢力は独自の政府・議会を設立し、これ以降国内に二つの政府・議会が並立し正当性を争う事態となっている。

また、この政治の空白をついて過激派組織が勢力を拡大させている。2014年10月上旬には、過激派組織ISILの旗をはためかせた20台近くの四輪駆動車が同国東部の市街地を行進し、勢力を誇示した。また2015年2月には、エジプトから出稼ぎに来ていたコプト教徒21人を斬首する映像を公開した。

2015年現在、リビア国内はトリポリを拠点とするイスラム勢力系の新国民議会とトブルクを拠点とする世俗派のリビア国民代議院による二つの政府・議会が存在し、それぞれから元首、首相を選出している。国際社会からはトブルク政府が正当性を認められているのに対し、トリポリ政府はトルコやカタールの支援を受けていると指摘されている。また東部のキレナイカ地方は独自の自治政府「キレナイカ暫定評議会(CCL)」により統治されており、中央政府の支配が行き届いていない。更にはISILやアルカイダ等のイスラーム過激派が勢力を伸張させた事から各地で内戦が激化しており、事実上の無政府状態となっている。

リビアには、ユネスコに登録された『世界(文化)遺産』が5件存在する。それらの概要は、 ◆『レプティス・マグナの考古学遺跡』首都トリポリの東130`に位置する「アル・クムス市」にある古代ローマ時代の傑出した都市遺跡である。トリポリタニアの三都の一つであったと同時に、アフリカ初のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスを輩出した都市として知られ、その治世に絶頂期を迎えた。「マグナ」は「偉大な」という意味だが、チュニジアにもレプティスという町があった事から、区別する為に付加されていた。北アフリカ屈指のローマ都市遺跡として、1982年にはユネスコの世界遺産に登録された。 ◆『サブラータの考古学遺跡 』古代トリポリタニアの三都市のうち、最西端に位置した都市。現在のリビアの北西端ザウィア市に位置する。トリポリ(かつてのオエア)の西約65`の地中海沿岸に存在した都市で、その遺跡群は1982年に登録された。 ◆『キュレネの考古学遺跡』現リビア領内にあった古代ギリシャ都市で、この地方にあった5つのギリシャ都市の中で最大・最重要を誇った。現在のリビア東部の事を「キレナイカ」と呼ぶのは、キュレネに因むものである。現存する遺跡の多くは、ローマの植民都市となった際に再建されたものであり、ローマ都市として再建されたギリシャ都市の優れた遺跡として、1982年に登録されている。 ◆『タドラルト・アカクスの岩石芸術遺跡群』サハラの一部にあたるリビア西部の砂漠地帯。アルジェリア国境に近く、「ガット(Ghat)」の町にも近い。「タドラルト」は現地の言葉で「山」を意味する。この地域の特色は先史時代の岩絵が多数現存している事で1985年に登録されている。アカクスの景観は砂丘、アーチ状岩石、峡谷、山と変化に富んでいる。主要なランドマークはAfzejareのアーチとTin Khlegaのアーチである。 ◆『ガダーミスの旧市街』トリポリの約600`南西に位置するリビアのオアシス都市である。オアシスには、7,000人ものトゥアレグが住む。町の中でも、古くからある壁に囲まれた区域は、1986年に登録されている。

「リビア」の風景はこちら

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2015年08月15日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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