仕向地ミニ情報 | アフリカ
国際輸送のエキスパート ジー・ティー・シー エイシア株式会社

ジンバブエ (Republic of Zimbabwe)

XML RSS

ジンバブエ (ZIMBABWE) : 

公式国名、ジンバブエ共和国(Republic of Zimbabwe)。旧名、「ローデシア(Rhodesia)」。面積、390,580平方`(日本とほぼ同じ)。人口(2012年)、13,720,000人。人口密度、32人/平方`。2008年の人口推計が12,523,000人であり、わずか4年間で1割近く急増加している。アフリカ大陸南部の内陸に位置する共和制の国家。旧イギリス植民地で、2003年に脱退するまでイギリス連邦の加盟国であった。首都は「ハラレ(ハラーレ)」。同国第二の都市は「ブラワヨ(ブーラワーヨ)」

人種は、ショナ人が71%、ンデベレ人が16%、その他のアフリカ系(バントゥー系のVenda、Tonga、シャンガーン人、Kalanga、Sotho、Ndau、Nambya)が11%、残りはヨーロッパ人やアジア人などである。言語は、公用語は英語だが、ショナ語、北ンデベレ語などが主に使われる。宗教は、キリスト教と部族宗教の混合が50%、キリスト教が25%、部族宗教が24%、イスラム教などが1%となっている。

内陸国であり、モザンビークザンビアボツワナ南アフリカ共和国に隣接する。国土の大半は標高800〜1,000bの台地状の高原で、西部はカラハリ砂漠に続く台地。北西部のザンビア国境には「カリバ湖」があり、国境を貫流するザンベジ川にはアフリカ最大の「ビクトリア・フォールズ(滝)」がある。

気候は熱帯性であるが、高地の為やや温暖である。雨季は11月〜3月の夏季にかけて続く。地形は高原が大部分を占める。南部は乾燥気候となっている。東部は山岳地帯である。国内最低地点はルンデ川サビ川の合流地点で標高162 b、最高地点はンヤンガニ山(旧インヤンガニ山)で標高2,592 b。

石炭、クロム鉱石、アスベスト、金、ニッケル、銅、鉄鉱石、バナジウム、リチウム、錫、プラチナ族金属を産する。

2013年のジンバブエのGDPは隣接する南アフリカ共和国やボツワナと比べると大幅に低い水準にある。かつては農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済を有する国家であった。白人大規模農家による非常に効率的な農業が行われており、外貨収入の半数を農産物の輸出で得ている農業国として、ヨーロッパから「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたほどであった。特にコムギの生産性は高く、1980年代〜1990年代にかけては10e当りの単収は550`〜600`にものぼり、ヨーロッパ諸国と肩を並べ世界最高水準に達していた。

しかし、その恩恵を本来の国民である住民が受ける事はなく、彼らは貧困に喘ぎ続ける状況にあった。また、国土の90%以上を所有していた白人農場主には、欧米の本国に住みながらの不在地主も多かった。

なお、農場主と地元民との交渉による自主的な返還も多く、すべての土地が強制的に収用されたわけではない。基幹産業の農業の崩壊によって生じた外貨不足は、更に部品を輸入で調達していた工業にも打撃を与え、経済は極度に悪化した。2002年には経済成長率は-12.1%を記録した。 旱魃により食糧不足が深刻化し、加えて欧米各国による経済制裁が影響し、2003年末には600%のインフレが発生。2006年4月には1,000%以上に達した。2007年8月23日、ジンバブエ政府が国内の外資系企業に対して株式の過半数を「ジンバブエの黒人」に譲渡するよう義務付ける法案を国会に提出、9月26日に通過した。

12世紀頃、リンポポ川中流域にマプングヴエ王国が成立し、次いで13〜14世紀中には、グレート・ジンバブエと呼ばれている王国が栄えた。その遺跡から、中国製陶器が発見されており、かなり大規模な交易を行っていた様である。15世紀頃、グレートジンバブエは放棄され、代わってザンベジ川中流域にモノモタパ王国、現ブラワヨ周辺のカミ遺跡を首都としてトルワ王国が興り、覇権を握った。

16〜17世紀にかけて、ポルトガル人の侵入に苦しむが、撃退。地方首長国の分立状態となる。19世紀後半にイギリス南アフリカ会社に統治された後、第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれ、イギリス領南ローデシアとなった。国土のほとんどは白人農場主の私有地となり、住民達は先祖の墓参りの自由すらなかった。

第二次世界大戦が終結し、世界が脱植民地化時代に突入すると、南ローデシアでも1960年代から黒人による独立運動が本格的に展開されたが、民族解放までの道のりは険しく、1965年には世界中から非難を浴びる中で植民地政府首相イアン・スミスが白人中心のローデシア共和国の独立を宣言し、人種差別政策を推し進めた。これに対して黒人側もスミス政権打倒と黒人国家の樹立を目指してゲリラ戦を展開する「ローデシア紛争」となったが、イギリスの調停により100議席中20議席を白人の固定枠とする事で合意し紛争は終結した。

1980年の総選挙の結果、ジンバブエ共和国が成立しが。1987年からは議院内閣制を廃して大統領制に移行し、首相職も廃止され、それまで首相だったロバート・ムガベが大統領に就任した。2015年現在も引き続きムガベが大統領職にあり、劣悪な経済事情に加えて、大統領の独裁政権下で秘密警察による監視や反体制派への暴力など言論の統制を受ける事から「世界最悪の独裁国家」と評される。

1999年、コンゴ民主共和国(以後、コンゴと表記)のローラン・カビラ大統領と親交のあったムガベは内戦「第二次コンゴ戦争」が勃発したコンゴにカビラ大統領(派兵直後にカビラ大統領が暗殺された)を支えるという名目で約1万人の軍を派兵したが、真の目的としてコンゴにある自ら一族所有のダイヤモンド鉱山を守る事や、ダイヤモンドのほか銅や金などのコンゴの地下資源を狙う目的があった。

その為、ジンバブエの経済や医療、教育などが悪化し、ムガベへの国際批判が相次いだ。ムガベは、初めは黒人と白人の融和政策を進め、国際的にも歓迎されたが、イギリスのマスメディア等は、ムガベは内外からの批判を避ける目的で白人農場を強制収用する政策にすり替えて行ったとしている。

2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配する「ファスト・トラック」が開始された結果、白人地主が持っていた農業技術が失われ、食糧危機や第二次世界大戦後の世界最悪となる同国通貨のハイパーインフレーションが発生した。こうした経済混乱に独裁政権に対する不満と相まって、治安の悪化も問題となっている。また、言論の統制などの強権的な政策は、外国や人権団体などから批判を受けている。

2005年5月には「ムラムバツビナ作戦」により地方の貧しい都市地域と周辺都市地域を標的に大規模な強制退去と住居破壊を行い、更には2007年3月、警察によって活動家「ギフト・タンダレ」が暗殺されている。同年8月には、コレラの大流行が始まり、患者総数91,164人、死者総数4,037人に達している。2009年2月初めのピーク時には一週間で新患者数8,008人を超えた。

2008年7月、国際連合安全保障理事会にジンバブエ政府非難と、ムガベら政権幹部の資産凍結・渡航禁止などの制裁決議案が提出されたが、中国ロシアが内政問題であるとして拒否権を発動し、否決された。

2009年2月、連立政権が樹立しMDCツァンギライ議長が首相に就任したため独裁体制に区切りがついた形だが、現地の英国大使館が地元紙に「ムガベ大統領が退陣しない限り意味がない」という広告を出すなど、懐疑論も強く残っている。

ジンバブエには、ユネスコの世界遺産に登録された文化遺産が3件、自然遺産が1件存在し、ザンビアにまたがって1件の自然遺産が登録されている。それらの内訳は、 

◎『文化遺産』としては、 ◆『国史跡グレート・ジンバブエ遺跡』: 1986年に登録。ハラレから南方300`のジンバブエ高原の南端、サビ川の上流の標高約1,000bに位置する大規模な石造建築遺跡。通称「グレート・ジンバブエ」。推定面積は、周囲の集落を含めると東西1.5`、南北1.5`の約2平方`に及ぶ。直方体の花崗岩のブロックを積み上げた円ないし楕円形の「エンクロージャー(囲壁)」と呼ばれる建物の組み合わせである。エンクロージャー群は、北側に「アクロポリス」又は「丘上廃墟」と呼ばれる建造物群とその南方に広がる「谷の遺跡」、そして最も有名な「グレートエンクロージャー(大囲壁)」に分けられる。 ◆『国史跡カミ遺跡群』: 1986年に登録。標高1,000bのジンバブェ高原の西部、ブラワヨ近郊にある石造遺跡群。15世紀中葉に「トルワ王国」の首都となり、15世紀中葉〜17世紀頃まで機能していた建造物は、花崗岩を直方体に切り出して交互に積み重ねている。建物の壁の上部には、チェッカー板の様に空間を開けたり、色の異なる石材を用いて装飾にしている。 ◆『マトボの丘群』: 2003年に登録。ジンバブエ南部のブラワーヨの約35`南から先に広がる花崗岩質の小丘群と渓谷からなる地域。これらは地表に押し出されてきた花崗岩によって20億年以上前に形成されたものである。丘が並ぶ地域は3,100平方`に及び、その内440平方`がジンバブエ最古の「国立公園」である。国立公園の一部は、クロサイやシロサイも含めた狩猟動物も保護されている。国立公園は、岩々が絶妙のバランスで積み重なっている奇観やムポポマ川渓谷沿いの絶景等、約100平方` におよぶ美しい景観地域が含まれている。

◎『自然遺産』としては、 ◆『マナ・プールズ国立公園、サピサファリ地域、チュウォールサファリ地域』: 国立公園を含むジンバブエ西部の野生生物保護地域。一帯は、ザンベジ川下流の氾濫原にあたり、雨季になるたびに一面が湖の様になる。ザンベジ川中流域の蛇行地帯に4つの大きな湖が形成され、これらの湖が乾き、後退するに従って、水を求めて大型動物が集まり、アフリカ屈指の景勝地・狩猟地になる。川に面している地域、島々、砂丘、ため池などを含み、マホガニー、イチジク、エボニー、バオバブなどの森林が隣接しているこの一帯は、アフリカ南部でも最も開発の手が入っていない国立公園の一つである。1984年に登録された。この一帯は、ジンバブエのなかでカバ、ワニのほか、ゾウやバッファローなどの乾季の大型哺乳類が集まる地域としては最大級のものとなっている。 ◆『モシ・オ・トゥニャ/ヴィクトリアの滝』: ジンバブエ共和国とザンビア共和国の国境にある滝。1989年に登録されている。1855年、ヨーロッパ人として初めてイギリスの宣教師で探検家の「デイヴィッド・リヴィングストン」により発見された。ジンバブエでは「ヴィクトリアフォールズ」、ザンビアでは「モシ・オ・トゥニャ」が公式名称である。落差と幅の両面から見た滝の規模としては、「イグアスの滝」と並んで世界最大である。

<旧ローデシア: イギリスの南アフリカ植民地経営者セシル・ローズ(C.J.Rhodes)にちなむ。アフリカ大陸南部の内陸にあったイギリスの旧植民地。ザンベジ川により南北に分かれ、1964年北ローデシアは独立してザンビア共和国となり、南ローデシアは、1965年に独立宣言し、1980年ジンバブエ社会主義共和国として独立。>

「ジンバブエ」の風景はこちら

※それでは、GTC ASIAのFCL・LCLコンテナ小口混載(コンソリデーション)・国際複合一貫輸送サービスのご利用を宜しくお願い致します。

2017年03月22日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

Copyright 2007- GTC ASIA CORPORATION. All rights reserved