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タンザニア(TANZANIA)

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タンザニア(TANZANIA): 

公式国名、タンザニア連合共和国(United Republic of Tanzania)。旧名、タンガニーカ(Tanganyika)。面積、945,087平方`(ナイジェリアとほぼ等しく、日本の約2.5倍)。人口(2012年)、46,220,000人。人口密度、39人/平方`。2000年の推計人口が35,306,126人で、わずか12年で3割以上増加している。通貨は、タンザニア・シリング。法律上の首都は、ドドマ(Dodoma)。実質的な首都機能都市は、ダルエスサラーム

中央アフリカ東部の共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。ケニアウガンダルワンダブルンジザンビアマラウイモザンビークと国境を接し、タンガニーカ湖対岸にはコンゴ民主共和国があり、またインド洋に面している。

東アフリカ大陸部のタンガニーカとインド洋島嶼部のザンジバルから構成され、ザンジバルは中央政府から強い自治権を確保したザンジバル革命政府によって統治されている。また、アフリカでも有数の大自然に恵まれ、文化的にもスワヒリ語を公用語とし、アフリカ在来の言語が大きな役割を果たしている数少ない国家である。

民族は、99%がアフリカ系黒人で、その内バントゥー系黒人(バントゥー語集団)が95%を占め、1%程のヨーロッパ系、アラブ系、インド系の市民が存在する。主な民族はスクマ人、ハヤ人、ニャキュサ人、ニャムウェジ人、チャガ人、マコンデ族などである。それ以外にはトングェ族、ハッザ族などが存在する。言語は、スワヒリ語と英語が公用語である。宗教は、タンガニーカではキリスト教が30%、イスラム教が35%、伝統的宗教が35%である。ザンジバルではほぼ100%がイスラム教である。

交通は、あまり発達しておらず、輸送インフラも貧弱である。国内道路のうち旧首都ダルエスサラームからキリマンジャロ山麓のアルーシャまでは舗装道路が通じているものの、他は未舗装の悪路である部分も多い。鉄道は、タンザニア鉄道タンザン鉄道の2社があり、前者はダルエスサラームから北へ向かいタンガやアルーシャを結ぶ路線と、西へ向かい首都ドドマ、タボラを通ってタンガニーカ湖畔のキゴマへ向かう路線、タボラから北へ向かいビクトリア湖畔のムワンザへと向かう3路線を運行している。後者は1976年に建設され、ダルエスサラームから南西へ向かい、マラウイ国境近くのムベヤを通ってザンビア領のカピリムポシまでを結んでいる。

水運は、タンガニーカとザンジバル間で活発である他、ビクトリア湖やタンガニーカ湖に国際フェリーが就航しており、ケニアやウガンダ、コンゴ民主共和国とを結んでいる。沿岸では未だにダウ船での輸送もおこなわれている。

空の玄関口は、ダルエスサラームに初代大統領「ジュリウス・ニエレレ」の名に因んだ「ジュリウス・ニエレレ国際空港」があり、タンザニアの起点となっており「エア・タンザニア」、「コースタル・アビエーション」、「プレシジョンエア」、「ザンエアー」とイギリスの「ファストジェット」が国内線を運航している。空運はかつて国営の「タンザニア航空」の独占であったが、自由化により中小の航空会社が多く設立される様になった。

国際線は、タンザニアの「エア・タンザニア」、「コースタル・アビエーション」、「プレシジョンエア」の他、マラウイの「エア・マラウイ」、ジンバブエの「エア・ジンバブエ」、コモロの「コモロ・エア・サービス」と「コモロ・アビエーション」、エジプトの「エジプト航空」、エチオピアの「エチオピア航空」、ケニアの「ケニア航空」、モザンビークの「LLAMモザンビーク航空」、オマーンの「オマーン・エア」、ルワンダの「ルワンダ航空」、南アフリカ共和国の「南アフリカ航空」、アラブ首長国連邦の「エミレーツ航空」、カタールの「カタール航空」、トルコの「ターキッシュ・エアラインズ」、イギリスの「ブリティッシュ・エアウェイズ」と「コムエアー」、オランダの「KLMオランダ航空」、スイスの「スイス インターナショナル エアラインズ」がそれぞれ自国間などと定期就航している。

主な高等教育機関としては、「ダルエスサラーム大学」「ソコイネ農業大学」の名が挙げられる。

タンザニアは、大陸のタンガニーカと約50`沖合いのウングジャ島(ザンジバル島)ペンバ島からなるザンジバル諸島で構成される。大陸側の中央部は大半が標高900〜1,200bのサバナ高原が広がる。これらはアフリカ大地溝帯が形成したもので、南部は高原状の低平地である。

北東部国境付近に標高5,895bのアフリカ最高峰「キリマンジャロ山」があり、山頂に氷雪を頂いている。北部の国境を形成しているアフリカ第一の「ビクトリア湖」、西部にアフリカで最も深い「タンガニーカ湖」がある。この南の「ニアサ湖(マラウィ湖)」を含めアフリカ三大湖が存在する。

気候は、国土の大半がサバナ気候に属し、中央部がステップ気候、南部と北部の高原部が温暖冬季少雨気候である。降水量は海岸部やビクトリア湖岸、キリマンジャロ周辺では1,000_を超えるが、内陸部では500_程度のところが多い。中央の高原部は降水量が少ないサバナ気候。更に内陸の山岳地帯は、気温の年較差が小さく湿潤で降雨も平均した熱帯性の山岳気候である。海岸地帯の低地は高温多雨の熱帯気候で蒸し暑い。3〜5月が雨季、7〜10月が乾季である。

植生は、海岸部に熱帯半落葉降雨林が、内陸部にミオンボ(またはミヨンボ)と呼ばれる熱帯広葉雨緑乾燥林が広がっている。生態学上貴重な野生公園が数多くある。北の有名な「ンゴロンゴロ保全地域」と「セレンゲティ国立公園」、そして南に「セルース猟獣保護区」と「ミクミ国立公園」、西の「ゴンベ渓流国立公園」はジェーン・グドール博士チンパンジーを研究した所である。タンザニア政府観光省が南西部ルクワ地域にある「カランボ滝」を観光拠点にしようと努めている。この滝はザンビアとタンザニアの国境、タンガニーカ湖南端にあり、落差はヴィクトリアの滝の2倍の235bで、アフリカ第2の規模である。

経済は、1980年代中盤まで、ウジャマー社会主義を標榜したが、失敗に終わり生活必需品の供給すら滞る状態となった。1985年に、IMFの勧告を受け入れ、自由経済へと舵を切って以後経済は緩やかに回復へと向かい、1995年、国営企業の民営化などと、南アフリカ共和国などからの投資の拡大により、1995〜2005年までの経済成長率は平均5%を記録した。

タンザニア経済は、農業に立脚しており、GDPの半分以上は農業によってもたらされている。キリマンジャロ・コーヒーは上質のコーヒーとして世界中で愛好される主要輸出品である。他に茶が栽培されている。ビクトリア湖周辺では、漁業と綿花栽培を中心とした農業が盛んに行われている。ビクトリア湖で捕獲されるスズキに食感が似た淡水魚「ナイルパーチ」は加工され、世界各地に輸出されている。他に、カシューナッツ等も主要輸出品となっている。

一方、経済の根幹を成しているのが香辛料の元になる「クローブ(丁字)」の栽培で、2015年現在ではザンジバルの主要な輸出品となっている。クローブの90%はペンバ島で栽培され、このことがウングジャ島とペンバ島の対立の一因ともなっている。

鉱業では、宝石のタンザナイトを産出することで有名で、金はアフリカでは南ア、ガーナに次ぐ産出がある。また、超塩基性岩に伴うNi-PGE鉱床が存在し、ニッケル・コバルト・銅が採掘されている。また、南部海域のガス田から天然ガスが生産されダルエスサラームと地方での発電に使われているが、タンザニアの電力の多くは水力発電によって賄われている為、旱魃の影響を受けやすく、水不足が電力不足に直結している。

タンザニアの観光業は成長を続けており、観光業はGDPの16%を占め、金の輸出についで第2位の外貨獲得産業となっている。2004年にタンザニアに入国した観光客数は583,000人で、1995年の2倍に達した。観光客の目的はンゴロンゴロ保全地域やセレンゲティ国立公園などでのサファリ、キリマンジャロへの登山、ザンジバル島のストーン・タウンなど歴史遺産やザンジバルでのビーチリゾートなど多岐に渡っている。

有史以前の250〜200万年前にホモ・ハビリスが現在のタンザニアに相当する地域(Olduvai)に存在していた事が確認されている。紀元前10世紀頃に、現在のカメルーンに相当する地域からバントゥー系民族がタンザニアの森林部に移住した。

7世紀にアラビア半島でイスラム教が成立した後、アラブ人やペルシア人が東アフリカのインド洋沿岸部に渡来し、スワヒリ文明を築きあげた。10〜16世紀初頭にかけて、タンザニアにはキルワ島やマフィア島、バガモヨ等のスワヒリ都市が栄えた。

1498年にポルトガルの航海者がインド航路を開拓し、インド洋におけるポルトガルの覇権が始まった。ポルトガルは1505年にキルワ王国を滅ぼした後、東アフリカの各地を制圧したが、アラブ勢力の拡大に伴って、ポルトガル勢力は1698年に現在のタンザニア領から駆逐され、南方のモザンビーク島にまで撤退。その後19世紀に入るとオマーン帝国が島嶼部と沿岸地方を自らの勢力圏に置いた後、1830年代にザンジバルに王宮ストーンタウンを建設し、帝国の本拠地を移した。

1856年、本国のオマーン・スルタン国とは別に「ザンジバル・スルタン国(1856年〜1964年)」が成立し、クローヴなどの香辛料の交易や奴隷貿易で栄え、東アフリカ最大の奴隷市場となった。

1880年代にアフリカ分割が始まると、1885年に大陸部にドイツ東アフリカ会社の植民地「ドイツ領東アフリカ」が成立。19世紀後半からインド洋に進出していたイギリスは、1890にドイツと条約を締結し、沿岸地方はドイツ、島嶼部をイギリスの保護国とした。ザンジバル・スルタン国は、政変に伴う1896年のイギリスとの戦争で敗北しした。

一方、大陸部のタンガニーカでは、ドイツは沿岸地方で発生した反乱の鎮圧に手こずり、本国ドイツから総督の派遣を受ける統治形態へと変わった。19世紀末、領域内部には部族国家が複数存在し、中でも二大勢力のンゴニ族とヘヘ族が、相争っていた為、数年がかりで各個制圧されていった。

沿岸部からタンガニーカ湖までを結ぶ鉄道(Tanganjikabahn)は、1905年にダルエスサラームを起点に着工し、1914年には終点キゴマに到達して完成。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、東アフリカ戦線ではゲリラ部隊がイギリス軍などを相手に本国の降伏時まで交戦を行った。

第一次世界大戦がドイツの敗北で終結しドイツ領東アフリカは解体され、大半はイギリスの委任統治領タンガニーカとなり、中央鉄道には複数の支線が敷設され、その一つはヴィクトリア湖のムワンザにまで延長された。

1961年12月イギリスより独立したタンガニーカは、1963年12月に同様に独立したザンジバルと、1964年4月に統合成立したタンガニーカ・ザンジバル連合共和国は、同年10月にタンザニア連合共和国と改称した。

独立後、社会主義の建設を目指し、対外的にはタンザン鉄道の建設などを通じて中華人民共和国との関係を深め、アフリカ諸国との関係においても白人支配を続ける南アフリカ共和国やローデシア、ポルトガルと敵対し、1964年に「モザンビーク独立戦争」が始まると、「モザンビーク解放戦線(FRELIMO)」を支援し、解放区を提供した。この時期にタンザニアはFRELIMOのみならず、ナミビアの「南西アフリカ人民機構(SWAPO)」やジンバブエの「ジンバブエ=アフリカ人民族同盟(ZANU)」を支援した。

1977年に「タンザニア革命党(CCM)」が成立し、国内でも一党制に移行した。1978年にそれまで対立していたウガンダがタンザニアに侵攻するとこれを撃退した後、タンザニア軍はウガンダの首都カンパラを攻略した。こうした政策によってタンザニアはアフリカ内外で第三世界を指導する国家の一角としての信望を集めたが、その一方で1970年代に入ると旱魃による農業の衰退や、ウジャマー村の建設の失敗が各地で報告され、経済面で社会主義の失敗が明らかになる。

1980年代に入ると経済の衰退は深刻化し、日用品や飲料水の不足に起因する国民の不満が高まる中、IMFの勧告を受け入れるなど経済の自由化が進められた。1995年に与党タンザニア革命党から就任したベンジャミン・ウィリアム・ムカパ大統領の時代には、1994年に民主化した南アフリカ共和国からの投資が盛んに行われ、経済は復興を遂げた。

1996年に立法府の議事堂が法律上の新首都ドドマに移転されたが、その他の政府官庁は旧首都ダルエスサラームに残った。

1998年8月にはアルカイーダによって首都ダルエスサラームのアメリカ大使館が攻撃される「アメリカ大使館爆破事件」が発生。2005年、与党タンザニア革命党(CCM)からジャカヤ・キクウェテが大統領に就任。2015年、同じくCCMからジョン・マグフリが大統領に就任。

2016年9月10日午後3時27分頃、マグニチュード5.7の地震が発生し、少なくとも16人が死亡、253人が負傷した。

タンザニア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が3件、複合遺産が1件存在する。

◎文化遺産: ◆『キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群』: 1981年登録。キルワ島は中世には重要な交易地として栄えた。現在は木々に埋もれて廃墟と化した遺跡が残るのみであるが、イスラム教徒のコミュニティが今もある。 ◆『ザンジバル島のストーン・タウン』: 2000年登録。タンザニアの東に浮かぶ群島の主島ウングジャ島(ザンジバル島)のストーン・タウンはその旧市街地である。10世紀頃からアラブ商人が定住し、ポルトガル、後にオマーン、更にイギリスへと支配者が代わった。アフリカからの奴隷・象牙・金などの輸出、東西交易の中継、クローブ栽培などで栄えた。ヨーロッパとアラブ双方から文化の影響を受け、3階建て以上の石造建築物が連なる街並みは、東アフリカ地域において特異な歴史的景観をなしている。 ◆『コンドアの岩絵遺跡群』: 2006年制定。ドドマ州コンドア地区にある洞窟壁画群を中心とする遺跡である。コンドアの岩絵は、赤い絵と白黒の絵に大別でき、前者の方がより古く弓矢を携えた狩人やレイヨウ、ゾウなどの狩猟対象の獣が描かれている。後者は一転して、家畜が中心となっている為、狩猟民から牧畜民へと変化したことが伺える。鉄の精錬所跡なども発見されており、その年代調査の結果、白黒の絵は1,500年ほど遡るものである事が明らかになっているが、赤い絵の継続年代は未詳のままである。

◎自然遺産: ◆『セレンゲティ国立公園』: 1981年に登録。マラ州・アルーシャ州・シニャンガ州にまたがる国立公園。「セレンゲティ」とはマサイ語で「果てしなく広がる平原」の意。キリマンジャロの裾野に広がる大サバンナ地帯にあり、面積は14,763平方`で、四国や関東平野の8割程度に及ぶ。代表する動物は、ヌーで雨季と乾季で草原を求めて、隣接するケニア側のマサイマラ国立保護区へと1,500`の移動を繰り返す。 ◆『セルース猟獣保護区』: 1982年登録。大型哺乳類が万単位で生息し、動物保護区としては世界最大級の面積を誇る。その動物相の多彩さと規模、および人の手がほとんど入ってこなかった。元々は狩猟用の保護区として設定されたが、現在は狩猟が禁止された純粋な保護区となっている事から、日本では「セルース動物保護区」と意訳される事もしばしばある。 ◆『キリマンジャロ国立公園』: キリマンジャロ山域の国立公園。標高別に、砂漠、高山湿地帯、高地草原、草原、熱帯雨林と広がっている。キリマンジャロ山とその周囲の森林は、ドイツ植民地時代の20世紀初頭から保護対象となっていた。1921年に、法的な保護対象となり、タンザニア独立後の1973年、山域の一部753.53平方`が国立公園として指定され、1987年に世界遺産に登録された。

◎複合遺産: ◆『ンゴロンゴロ保全地域』: 1979年登録、2010年拡張登録。最も近い都市アルーシャから西へ180`にあり、北西のセレンゲティ国立公園に隣接する。数百万年前に出来た火山のカルデラに広がる平野で、ンゴロンゴロ・オルモティ・エンパカーイという3つのクレーターが並び、これら活動を停止したものも含め9つの火山が分布する。外輪は標高2,400bある為、カルデラ内部は外部と遮断されており、生息する大型動物のほとんどはカルデラの外にでることはなく、周囲と隔離された生態系が形成されるに至ったが、キリンやインパラ以外の東アフリカのサバンナに生息する動物はほぼ観察することができる。

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2017年04月17日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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