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レソト (LESOTO)

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レソト (LESOTO) : 

公式国名、レソト王国(Kingdom of Lesotho)。アフリカ南部の内陸、南アフリカ共和国に周囲を囲まれている立憲君主国。面積、30,355平方`(四国の1.7倍)。人口(2011年)、2,190,000人。人口密度、61人/平方`。2000年の推計人口は2,143,141人で、2008年には2,067,000人とHIV(エイズウイルス)感染により一時減少したが、その後増加している。通貨は、ロチ。首都は、マセル

レソトとは『ソト語を話す人々』という意味。人種、バンツー系のソト族99.7%。レソトの国民は、単数形では、モソト(Mosotho)、複数形では、バソト(Basotho)と呼ばれる。言語、ソト語(セソト、南部ソト語)と英語が公用語とされている。宗教、キリスト教80%、原始宗教20%。イギリス連邦加盟国であるが、非同盟中立を宣言している。

周囲を南アフリカ共和国に囲まれた内陸国である。いったん周囲の南アフリカ共和国を経由しないと行き来できない地域すらある為、「アフリカのスイス」、「南部アフリカの屋根」とも言われている。交通は、マセル〜ブルームフォンテーン間に鉄道が通っているが、レソト国内の路線の距離はわずか1`ほどを占めているだけである。空の玄関口として、市内の南緯29度27分44.12秒 東経27度33分09.01秒に国際空港「モショエショエ1世国際空港」があり、「南アフリカ航空」が、南アフリカ共和国のヨハネスブルグ間を定期就航している。空港名は初代国王である「モショエショエ1世」に因んで命名された。

その他にマフェテング県とモハレス・フーク県にまたがる高低差が600bある断崖絶壁の上に、「マテカネ飛行場」があるが、全長400bという極めて短い滑走路が設置されているのみである為、「世界で最も恐ろしい空港」の1つに挙げられることもある。この空港は僻村へ医師を派遣する慈善団体などによって利用される他、小型機による人員・軽貨物の輸送(ブッシュ・フライング)に用いられている。崖とは反対側の滑走路26の端部に、ターニングパッドが設けられている。

レソトは、周囲を南アフリカ共和国に囲まれた、世界最南の内陸国である。地方行政区画は、10県で構成されている。国家元首は、国王の「レツィエ3世(本名:デーヴィッド・モハト・レツィエ・ベレン・セーイソ)」で、立憲君主制をとっている。国民統合の象徴的地位で、政治的権力を有さない。国王の位はセーイソ家による世襲制である。議院内閣制で行政執行権は、首相を長とする内閣が行使している。

全土がドラケンスバーグ山脈の山中に位置する為、平地が一切なく、全土の標高が1,400b以上で、平均2,000bの高原である。最高峰は、「タバナントレニャナ山」で、その標高3,482bはアフリカ大陸南部の最高峰でもある。主要河川は、南アフリカ共和国との国境付近を源流とする「オレンジ川」で、国土を縦断した後、南アフリカ共和国とナミビアを経由して大西洋に注ぐ。レソトの最低地点はオレンジ川が南アフリカ共和国に流れ出す南西部にある。

地形とは異なり、気候には恵まれている。全土が温暖湿潤気候と西岸海洋性気候であり、イタリア北部に似ている。夏冬の気温格差は大きい。雨季は存在しないものの、10月〜4月にかけての夏季に降雨が多く、冬季は乾燥している。降水量は700_程度。この快適な気候が「南アフリカのスイス」といわれる由縁の一つでもある。

経済は、農業と南アフリカ共和国向けの繊維製品を中心とした輸出、南アフリカ共和国への出稼ぎで支えられている。放牧は盛んで1994年時点には国土の65.9%が放牧に振り向けられていた。家畜の頭数は人口よりも多い。気候には恵まれているものの、地形の制約の為、耕地面積は国土の10.5%にとどまる。その為、農業従事者人口は国民の18%と少ない。これは南アフリカ共和国への出稼ぎ人口の2倍弱にすぎない。失業率は40%以上と高い。

政府は、慢性的な貿易赤字を解決し、発展が望めない農業以外に産業を振興する為、繊維加工業に着目した。貿易優遇措置を講じた結果、アメリカ市場向けの繊維産業誘致に成功し、2000年以降、年率3%を超える国内総生産の成長を果たした。近年は、観光業にも力を入れており、主に欧州からの保養客を受け入れている。アフリスキーではスキーも楽しめる。

主な輸出品は、全体の53%を占める衣類、ついで履物、飲料水。主な輸出先は南アフリカ共和国53.0%、アメリカ合衆国33.4%、ベルギー、カナダである。水は豊富で、20世紀末には大規模な水力発電所も完成している。主な輸入品は、穀物、自動車、木製品、肉類。主な輸入先は96.5%を占める南アフリカ共和国、ついで中華人民共和国、アメリカ合衆国である。日本との貿易関係は、衣類のみを輸出し、工業用ミシンと乗用車、繊維加工機械を輸入するというものである。

1966年の独立直後から教育、特に初等教育に力を入れており、女性の識字率は2001年時点で90.3%に達するが、男性の識字率は71.3%にとどまっている。これは男子児童が放牧の労働力として組み込まれている事による。女性の識字率が男性を上回るのは他に例が少ない。

HIV(エイズウイルス)感染者が1990年代以降激増し、国民の約1/4がHIV感染者である。その為、1990年には220万人あった人口が、2006年には180万人と一時激減した。平均寿命は60歳から35歳におちており、農業生産も減り続けている。

現在のボツワナから南アフリカ共和国北部にかけては、「サン族(ブッシュマン)」の居住地だった16世紀、「バントゥー系ソト族」が北方より移動してきてサン族と競合が始まる。1818年、ソト族の国家ができ初代国王「モショエショエ1世」がサン族を排除。1840年代、南アフリカのオレンジ自由国から「ボーア人」の進入に対抗する為、イギリスの保護を受け、1868年、イギリスの保護領となり「イギリス領バストランド」と呼ばれた。1871年、イギリスの植民地となるが、1884年にはイギリスの保護領に戻る。

1966年、イギリスから独立し、「モショエショエ2世」を国王とするレソト王国を建国。イギリス連邦に加盟する。1970年代、周囲の南アフリカ共和国との関係が悪化し、経済制裁を受ける。1986年、クーデター発生、王政を残したまま、ジャスティン・レハンヤ軍司令官が軍事評議会議長に就任。政党の活動が禁止された。1990年3月に、レハンヤ議長が国王「モショエショエ2世」を追放したが、11月にモショエショエ2世の皇太子である「レツィエ3世」が即位.

1991年4月、無血クーデターが発生、評議会議長レハンヤが追放され、政党制が復活する。1994年8月、レツィエ3世が全閣僚と議会を解散、憲法を停止したが、9月ゼネストや抗議デモによりレツィエ3世が退位。1995年1月、モショエショエ2世が復位する。1996年1月、モショエショエ2世、交通事故により死去。レツィエ3世が復位する。

1998年9月、クーデター未遂事件発生。9月22日、「南部アフリカ開発共同体(SADC)」に要請し、南アフリカ軍ボツワナ軍が国内で治安維持活動を行う。1999年5月、治安回復を受け、南アフリカ軍とボツワナ軍が撤退。2001年、小選挙区比例代表並立制を柱とする下院関連法が改正する。

2002年と2007年に下院再選挙が実施され、与党LCDが勝利し、モシシリ内閣が継続した。2012年5月、下院総選挙で全バソト会議、バソト国民党などによる連立政権が成立。トーマス・タバネが首相に就任した。2014年8月、軍部によるクーデターが発生。トーマス・タバネ首相が南アフリカへ出国。2015年2月、下院総選挙が実施されている。

「レソト」の風景はこちら

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2017年04月10日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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