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バマコ (BAMAKO) - マリ (MALI)

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バマコ (BAMAKO) : 

アフリカ、マリ共和国の首都。ニジェール川の景色の河岸に位置し、同国内では南西部に位置する。人口(2006年)、1,690,471人。マリ南西部、ニジェール川上流の左岸にある。内陸アフリカの交通・経済・文化の中心地。

綿花、タバコ、落花生、皮革類の集散地として活気がある。取引商品には織物、肉製品、金属加工品などが多い。また、ニジェール川では漁業が盛んである。高層ビルのほとんど無く、平屋建てや2階建てが多いのんびりとした雰囲気がある。マリ共和国の行政上の中心地である他、河港と通じた商業交易上の結節点でもある。

年間を通じ最高気温は30℃以上で、3月〜5月は平均39℃に達する。雨季は6月〜9月で月間200_を超える。12月〜3月は雨が全く降らない。

この都市においては、旧石器時代から居住の痕跡が見られる。マリ帝国の時代においては、重要な交易都市であり、イスラム文化の拠点の一つであったが、19世紀になる頃には衰退していた。1883年に、この地域はフランス軍が占領し、1908年にはバマコはフランス領スーダンの首府となった。1960年には、都市の人口は16万人であったが、その後、人口は急速に増大している。

建造物としてはTour BCEAO「バマコ・グランド・モスク」「ファハド王橋」等がある。娯楽・教養施設としては、マリ国立博物館、クソクンダ博物館、バマコ国立博物館、バマコ動物園、バマコ植物園、ポイントG丘や、洞穴壁画等がある。

交通施設については、同国最大の空港であるバマコ・セヌー国際空港が市内から15`のところにあり、クリコロとダカールを結ぶ鉄道(ダカール・ニジェール鉄道)が通っている。市内ではソトラマと呼ばれる個人営業のバン型乗合タクシーが公共交通機関の役割を果たす。

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マリ (MALI) :

公式国名、マリ共和国(Republic of Mali)。アフリカ西部の内陸にある共和国。面積、総面積、124万平方`(日本の約3.3倍)。人口(2008年)、1,301万人。人種、マンデ系 (バンバラ人、マリンケ人、ソニンケ人)50%、プル人17%、ヴォルタ人12%、ソンガイ人6%、ベルベル人(トゥアレグ族)10%、その他(ドゴン人等)5%。言語、公用語はフランス語であるが、国内の多数部族が使用している4つの言語を、国語と定め、教育その他の分野で使用している。2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は46.4%(男性:53.5% 女性:39.6%)である。宗教、イスラム教90%、伝統的宗教が5%、キリスト教が5%。首都はバマコ。

植民地時代はフランス領スーダンと呼ばれていたが、独立時に現在の国名となった。マリの名は、かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられた。マリとは、バンバラ語で「カバ」という意味で、首都バマコにはカバの銅像がある。地方行政は、8州とバマコ特別区で構成されている。クリコロまでは、隣国セネガルからの鉄道、ダカール・ニジェール鉄道が敷設されている。

西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソ、コートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国である。地理的には3区分される。北部のサハラ帯、中部のサヘル帯、南部のスーダン帯である。国の65%が砂漠(サハラ砂漠)と半砂漠であり、南部の低地サバナから北東部丘陵で標高1,000bに達する。南西部にはセネガル渓谷がある。最高地点はトンド山(1,155b)。ニジェール川以北はサハラ砂漠の一部である。中央を貫流するニジェール川の景色は大きな内陸デルタと湖沼群を中央部に形成している。

全般に熱帯気候で、北部は砂漠気候、中部はステップ気候である。南西部は亜熱帯気候である。南部はサバナ気候で6〜9月が雨季となり、年間1,000_の雨量がある。11〜1月は寒く乾燥、2〜4月は乾燥するが酷暑。農牧業が主体。

国土のほぼ中央部を流れるニジェール川流域に人口が集中しており、食料・飲み水・農業・輸送など国民生活を支えている。農耕がおこなわれているのは南部とニジェール川流域だけで、ほかは放牧のみである。穀物、綿花、落花生が栽培されているがしばしば干ばつに襲われる。主食の一つであるトウジンビエの栽培も盛ん。ニジェール川を中心とする河川漁業も重要。鉱物資源は、金が輸出の上位を占め、リン鉱石、金、ウランなどの鉱物資源が豊富。中でも、ウランは日本が独占契約を結んでいる。

輸出入の経路は、独立以前はセネガルのダカール港からダカール・ニジェール鉄道経由が圧倒的だったが、マリ連邦崩壊時の政治的対立によりコートジボワールとの結びつきを強め、1997年には輸出入の1997がコートジボワールのアビジャン経由、30%がダカール経由となった。

国内産業では労働力が吸収しきれず、出稼ぎが盛んである。出稼ぎ先はコートジボワールやフランスが多い。コートジボワールでは地元民と移民してきたブルキナファソ人・マリ人との対立が激しく、コートジボワール内戦の一因ともなった。

マリには、ユネスコの世界遺産に登録された文化遺産が3件、複合遺産が1件ある。

◎『文化遺産』としては、 ◆「ジェンネ旧市街」: モプティ地方の都市で、モプティ市からは130`、首都バマコからは574`にある。遊牧民と定住民の橋渡しとなる都市であり、サハラ交易の要衝であった。商業的に結びついているトンブクトゥからは、川伝いに500`離れており、この二つの都市はかつて「双子の姉妹」と称された。「ジェンネ」はボゾ語で「水の精霊」の意味である。特徴的な建築物群が、1988年に世界遺産に登録された。伝統的な建造物群は泥で出来ており、壁には木の断片「テロン(terron)」が組み込まれている。建築家アブドゥレ・トゥレ (Abdoulaye Touré) の研究によって、ファサードは、父、母、子といった家族の様々な構成員を表現していることが明らかにされた。点の数は、子の人数を表している。 ◆「トンブクトゥ」: ニジェール川沿いに位置する、砂漠の民トゥアレグ族の都市で、ティンブクトゥ(Timbuktu)とも呼ばれる。モスクや聖廟を含む歴史地区が、1988年、世界文化遺産に登録された。 ◆「アスキアの墓」: ガオ地方にある15世紀末の遺跡で、「ソンガイ帝国」最盛期の皇帝「アスキア・ムハンマド1世」の墓地と考えられている。西アフリカのサヘル地帯における伝統的な泥の建造物群の優れた例証として、2004年に世界遺産に登録された。この遺跡には、ピラミッド状の墓、2つのモスク、墓地とその周辺が含まれている。ピラミッド状の墓は高さ17bで、この地方の植民地化以前の建造物群の中では最大を誇る。また、同時にこの地方に広がっていく事となるイスラム建築様式を採り入れた最初のものでもある。

◎『複合遺産』として、 ◆「バンディアガラの断崖(ドゴン人の地)」: ドゴン族居住地域となっている断崖。その壮観な自然環境と、マルセル・グリオールの紹介によって広く知られる様になったドゴン族の文化が保持されている地域であることから、1989年、世界遺産に登録されている。この断崖の標高差は500bであり、幅は150`に及んでいる。この断崖の所々や、断崖の裾野に、ドゴン族はおよそ700の村落を作り、25万人程が暮らしている。ドゴン族がこの地に定住を始めたのは700年ほど前の事である。ドゴン族は独自の神話体系を持ち、キリスト教やイスラームに帰依することなくその神話を強固に保持し続けてきた。この神話の中には、決して高度な天文知識ではないがシリウスに関する非常に高度な知見が含まれているとされる。このように伝統文化を重んじて集落を営んできたドゴン族だが、都市への人口流出はこの地域にも見られる。また、観光客が押し寄せることによって、伝統的な儀式の位置づけ等も変容しつつある事などが指摘されている。

古代におけるこの領域での歴史は、4世紀に「ガーナ王国」が興った。8世紀にサハラとの交易(北方の塩と南方の金・象牙と交換)によって絶頂期を迎えた。北アフリカではアラブ人が広範な交易ネットワークを持ちアフリカに文化的影響を与えた。1076年まで栄えたガーナ王国はベルベル人のムラービト朝に攻撃され滅びた。

1240年から北アフリカとのサハラ交易で栄えた「マリ帝国」が興隆したが、1473年からガオに都を置いた「ソンガイ帝国」の属国となり、ニジェール川上流域が豊富な金の産地であったことからムスリム商人らが訪れ、サハラ交易が盛んに行われた。

1591年にソンガイ帝国がモロッコの「サアド朝」に滅ぼされると、大西洋での三角貿易や奴隷貿易の影響で、内陸部のサハラ交易のルートが衰退した為、以後この地に大帝国は興隆しなかった。17世紀にはフルベ族の「マシーナ王国」、バンバラ族の「セグー王国」等、多くの小王国が乱立した。

19世紀半ばには「トゥクロール帝国」が建国されたが、ヨーロッパ列強により、1892年にフランスの植民地となり、フランス領スーダンと呼ばれた。1958年フランス共同体内の自治共和国として、スーダン共和国と称したが、翌年6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立。しかし、その年の8月にセネガルが連邦から離脱した為、翌9月にマリ共和国と国名を改めた。

1962〜1964年にかけて第1次トゥアレグ抵抗運動が起こり、社会主義政策が推進されたが徐々に行き詰まり、1968年にクーデターが発生し、長い軍事独裁体制の時期に入った。1979年に民主化運動が成功し、選挙によって大統領が選出されたが、再度クーデターが起こり、実権はクーデター派に移った。1991年に暫定政府が発足。翌1992年に憲法を制定し、大統領選挙が行われ、軍事政権時代が終わった。

1990〜1995年に、北部ではトゥアレグ人が過激な分離闘争(トゥアレグ抵抗運動)を繰り返してきたが、1996年に武装解除が行われた。しかし、2006年に反政府武装組織「5月23日同盟」が結成され、2007〜2009年、マリ北部において再び武装闘争を展開。2011年リビア内戦に参加する事により更に戦闘能力や武器を強化した。

2012年1月、彼らは新たに独立を求め、トゥアレグ抵抗運動で蜂起し、マリの北部各州(アサワド)を制圧した。戦いの中で政府軍内部からは武器が足りない等といった不満が噴出し、同年3月にマリ軍事クーデターを招く事態となった。更に4月6日にはトゥアレグ人の反政府武装組織「アザワド解放民族運動(MNLA)」とイスラム主義組織「アンサル・ディーン」がアザワドを制圧し、一方的にアザワド独立宣言を発表した。

5月にはアザワドを制圧中の国際テロ組織アルカイダ系武装組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」がトンブクトゥの聖墓を破壊したと発表した。

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2012年09月01日 | 仕向地ミニ情報 | アフリカ一覧

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