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ブサン = プサン (釜山・BUSAN = PUSAN)

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ブサン = プサン (釜山・BUSAN = PUSAN): 

朝鮮半島南東端に位置する韓国の広域市。古くから朝鮮半島と日本とを結ぶ交通の要衝として栄えてきた港湾都市である。面積766.12平方`。人口(2010年)3,414,950人。首都ソウルにに次ぐ韓国第2の都市として、政治・経済・文化の面で重要な役割を担ってきた、商業及び観光のゲートウェイとなっている貿易港かつ近海漁業の基地である。

ブサン港の航空写真:

コンテナ船バース・ターミナルの航空写真:


新ブサン港の航空写真:

国際貿易港と国際空港を備え、海上交通の要衝として古くから外国との文物交流の中心地として栄えてきた。釜山港は1876年の開港以来、国際貿易港として世界に伸びゆくアジアの物流拠点都市として発展してきた。気候は温暖で、ビーチリゾート、古刹、温泉、海水浴場、遊園地、鳥類観察など、資源に恵まれた国際観光都市としても注目を集めている。エステ、汗蒸幕など韓国ならではの女性に人気のアクティビティも充実している。

朝鮮半島南東端に位置し、韓国の主要都市中で最も日本に近くに位置する。対馬海峡西水道(朝鮮海峡)を挟んで50`先の対馬を望む事ができ(海雲台区の冬柏などから肉眼で見える日が年間約60日あり)、福岡市までは200`程の距離である。この為、日本とは高麗王朝初期(10世紀)から通商関係がある。特に下関市・福岡市等の北部九州や山口県との関係が深い。

古代は「任那(伽耶)」に含まれる地域である。「統一新羅時代」の757年に「良州(現、梁山市)」所属の「東莱郡」を設置されていたが、地域の中心は金海にあった。「高麗時代」の「富山浦」は蔚州の東莱県に所属する漁村であった。「李氏朝鮮(朝鮮王朝)時代」には、始め「東莱県」、後に「東莱府(東莱都護府)」が置かれた。

対日防衛の要衝である事から「慶尚左道都万戸」が置かれた。また、対日交易の拠点としても重要な位置を占め、15世紀始めには富山浦に日本人居留地である「倭館(浦所倭館)」が設置された。以後、釜山地域は「三浦の乱」や「文禄・慶長の役」など中世日朝関係の曲折の舞台となった。朝鮮王朝と江戸幕府の交渉が復活すると、龍頭山一帯に「対馬藩」の「草梁倭館」が設置された。江戸時代、鎖国下の日本では、唯一日本人が海外に居住できる場所となった。

1877年の「日朝修好条規」によって朝鮮が開国した際、3ヶ所の開港地(他の2港は仁川・元山)の一つとなり「倭館」は引き続き日本人居留地となった。以後、貿易港としての整備と共に、港湾都市釜山は発展する事になる。1905年には鉄道(京釜線)が開通し、釜山駅が開業。この間、行政面では1896年に慶尚道が慶尚南道になり、道庁が釜山に置かれた。

「日本統治時代」、1914年に行政区画の整理が行われ、東莱郡から釜山港周辺の日本人居留地一帯が分割されて「釜山府」が設置された。以後、日本統治下では1936年、1942年の二度にわたって府域拡張を行っている。1949年に釜山府は釜山市に改称した。1950年に朝鮮戦争が勃発し、ソウルが陥落すると、釜山は1953年まで大韓民国の臨時首都となった。釜山には戦争を避けた難民が多く移り住んで人口が増加し、1963年には「釜山直轄市」に昇格した。

「朝鮮戦争後」は、金海郡の一部を編入するなど数次の市域拡大を行っている。1995年に釜山広域市に名称を改めると共に、梁山郡内の旧東莱郡域を市域に編入した。長らく市庁は港に近い旧市街地の古い建物を使っていたが、1999年に蓮堤区に市庁庁舎を建設して移転、裁判所等も蓮堤区に所在している。市庁跡地には高層ビルのロッテワールドが建設中で、2013年に完成する予定である。市の人口は近年まで増加の一途をたどり、一時400万人前後に達したが2000年以降徐々にドーナツ化現象によって減少傾向にあると言われる。

「釜山(BUSAN)」の景色はこちら

観光名所として、 「梵魚寺」、 「釜山タワー」、 「龍頭山公園」、 「釜山アクアリウム」、 「BEXCO(ベクスコ)」、 「太宗台」、 「南浦洞」、 「国際市場」、 「チャガルチ市場」、 「西面市場」、 「東莱温泉」、 「海雲台」、 「広安里」などがある。

※「韓国」のミニ情報はこちら

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2012年05月17日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

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