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シリア (SYRIA)

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シリア (SYRIA) : 

公式国名、シリア・アラブ共和国(Syrian Arab Republic)。西アジアの地中海に面する共和国。面積、185,180平方`(日本の約半分)。人口(2008年)、2,190万6千人。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都は、「ダマスカス」。外港は、「ラタキア」。「シリア」という言葉は、現在の国家ではなく、周辺のレバノンパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指す事もある。

1516年にオスマン・トルコに侵略され、以降第一次世界大戦まで支配下にあった。19世紀に入りオスマン・トルコの勢力が衰え第一次世界大戦で敗北した為、戦後レバノンと共にフランスの委任統治(第一次大戦の戦勝国がドイツトルコの旧植民地などを国際連盟の委任をうけ統治した)領となった。1920年、一方的なフランス統治に大きな噴飯が起こった為、第二次世界大戦中フランスはシリア、レバノンの独立に同意し、1946年に独立。

独立後、何度かの軍事クーデター等による政情不安期の後、1954年、陸軍内のバース党が政権を握った。1958年、エジプトと合併してアラブ連合共和国を結成したが、1961年離脱、元のシリア・アラブ共和国に戻った。1960年、61年、63年と軍事クーデターが相次ぎ、再び政情不安となったが1966年、バース党が政権を取り戻した。しかし、1967年イスラエルとの「六日間戦争」ゴラン高原を取られ、更に1970年のヨルダン政府がパレスチナ・ゲリラを匿っているとして、国際的非難を浴びて業を煮やしたヨルダン政府がパレスチナ難民を国外追放した「ブラック・セプテンバー」事件の影響による損失で弱体化した。この年のクーデターにより国防相であった「ハフェズ・アル・アサド」が権力を握った。

1976年、シリア軍は宗教問題でレバノンの「ロマン派キリスト教徒」勢力を支援する為、レバノンに軍事介入し「イスラム教徒」左派と「PLO」を攻撃。これに反対するリビア国内の「ムスリム同胞団」は、1982年にハマで内戦ともいえる大規模な暴動を起こし、約一万人の死者がでた。1987年よりレバノン政府の要請でシリア軍がレバノンに駐留している。

1970年以来、アサド大統領が権力を保持し、1992年の大統領選では99.9%の信任を得た。バース党主導の連立政権を維持している。外交面では、当初旧ソ連の軍事援助により体制を保っていたが、ソ連壊滅により、西側諸国、特にアメリカへ接近、「湾岸戦争」で多国籍軍に協力した見返りにテロ支援国のレッテルを外させた。政府は、大統領を議長とする最高司法評議会が置かれているが、実質、アサド大統領による独裁政権である。

シリア国内には、のユネスコの世界遺産リストに登録された「文化遺産」が5件存在する。それらの内訳は、 ◆『古都ダマスクス』: シリアの首都ダマスカスの旧市街に残る歴史的な構造物。1979年登録。 ◆『パルミラ(パルミュラ)の遺跡』: シリア中央部のホムス県タドモルにあるローマ帝国支配時の都市遺跡。シリアを代表する遺跡の一つでもある。1980年登録。ローマ様式の建造物が多数残っており、ローマ式の円形劇場や、公共浴場、四面門が代表的。 ◆『古代都市ボスラ』: シリアの北部にある都市アレッポに残る歴史的構造物。1986年登録。 ◆『古都アレッポ』: シリアの首都ダマスカスの北約300`b、トルコ国境に近くに位置する歴史的建造物郡。アレッポ城が象徴的な建物である。 ◆『クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン』: 十字軍時代の代表的な城で、共に2006年登録。 @「クラック・デ・シュヴァリエ」は、当時の築城技術の粋を究めたものと評価されている。十字軍時代は聖ヨハネ騎士団の本拠であり、名前は「騎士の砦」を意味する。 A「カラット・サラーフ・アッディーン」: 別名、サラディン城。シリアの港湾都市ラタキアの30`東の山中にあり、二つの深い渓谷に挟まれた峰の上に建ち、森に囲まれている。

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2014年04月05日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

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