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トルコ (TURKEY)

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トルコ (TURKEY) : 

公式国名、トルコ共和国(the Republic of Turkey)。「西アジア(アジア大陸西端)」の「アナトリア半島(小アジア)」から東ヨーロッパ東のバルカン半島東端の「東トラキア地方」を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。面積、783,562平方`(日本の約2.07倍)。人口(2012年)、75,627,384人。言語、公用語は、トルコ語、他、クルド語、アラビア語。宗教は、イスラム教99.8%(大半がスンニー派)。北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリアギリシャと、東でジョージア(グルジア)アルメニアイランイラクシリアと接する。首都は、アナトリア中央部の「アンカラ」

地方行政区画は、1999年以降、81県が存在する。主な都市は、イスタンブル(イスタンブル県)イズミル(イズミル県)メルスィン(メルスィン県)エスキシェヒル(エスキシェヒル県)ゲムリク (ブルサ県)カイセリ(カイセリ県)コンヤ = コニヤ(コンヤ県)等。

国土は黄土色に染まっているヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがり、北の黒海と南のエーゲ海・地中海を繋ぐボスポラス海峡マルマラ海ダーダネルス海峡によって隔てられる。アナトリア半島は中央に広大な高原と海沿いの狭小な平地からなり、高原の東部はチグリス川・ユーフラテス川の源流である。東部イラン国境近くには「ヴァン湖」と国内最高峰の休火山「アララト山」(標高 5,137b)がある。

エーゲ海・地中海沿岸地方は温暖で、地中海性気候に属し夏は乾燥していて暑く、冬は温暖な気候で保養地となっている。黒海沿岸地方は温暖湿潤気候に属し、年間を通じてトルコで最も降水量が多い場所で深い緑に覆われている。一方、国土の大半を占める内陸部は大陸性気候で寒暖の差が激しく乾燥しており、アンカラなどの中部アナトリア地方はステップ気候に属する。夏は乾燥していて非常に暑くなるが、冬季は積雪も多く、気温が−20℃以下になる事も珍しくない。東部アナトリア地方は亜寒帯に属し、冬は非常に寒さが厳しい。標高の高いエルズルムでは気温がしばしば−30℃を下回り、−40℃に達する事さえある程の酷寒地である。

農業の主要作物は、小麦、米、綿、タバコ、ヘーゼルナッツ、果実。羊は主要な家畜で、綿および羊毛製品の世界有数の産地。主要な天然資源鉱物は、石炭、クローム、鉄、銅、ボーキサイト、大理石、硫黄で石炭、クロームは主要な輸出品。産業面では農業製品、冶金、繊維、自動車や農場機器の生産等を推進中。

アジアとヨーロッパの接点に位置し、交通の要衝、宗教・文化の接点として歴史的には波瀾万丈の時代を送って来た。ヒッタイト、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、東ローマなど色々な国が興亡を繰り返し、11世紀頃東方からきたセルジュク・トルコが勢力を張ったが、1200年代後半のモンゴルの侵入により弱体化。幾つかの小さな国家に分裂したが、オスマン1世(1258〜1326年)率いる西アナトリアの「オスマン・トルコ」が勢力を伸ばし、1299年、帝国を設立。

1453年、コンスタンチノープル(現イスタンブール)のビザンティン帝国を滅ぼし、1520年に即位したスレイマン大帝下で絶頂期を迎え、その支配はバルカン半島、東ヨーロッパ、西アジア、北アフリカまで拡大し、約200年繁栄した。

1768〜74年のロシアとの戦争を契機に衰退し始め、1789〜92年、第2次「トルコ・ロシア戦争」により領土は縮小。1829年、ギリシャが独立。エジプト独立戦争で1839年独立。1878年、ルーマニアブルガリアが独立。チュニジアは1881年、フランスの保護国となった。アルバニアマケドニアは1912〜13年の「バルカン戦争」後に独立。

第一次世界大戦に敗北後、近代トルコの建国の父と「ムスタファ・ケマル・アタテュルク」の指導で帝政を廃し、ギリシャ軍等を撃退、1923年、共和制を宣言。翌1924年にオスマン王家のカリフを追放し、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家「トルコ共和国」を建国した。

第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、NATO、OECDに加盟。イスラムの復活を望む人々等の国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、死刑制度の廃止など西洋化を邁進してきたが、その最終目標であるEUへの加盟にはクルド問題やキプロス問題、アルメニア人虐殺問題、ヨーロッパ諸国の反トルコ・イスラム感情等が大きな障害となった。

2009年、自治体の首長や議員を選ぶ選挙が行われ、イスラム系与党・公正発展党が世俗派野党・共和人民党等を押さえ勝利した。2010年には、与党・公正発展党 (AKP) が提起した、1980年のクーデター後の1982年に制定された憲法の「憲法改定案」の是非を問う国民投票が実施された。軍や司法当局に大幅な権限を与え、国民の民主的権利を制限するこの憲法改定案は民主主義を求める国民の声や欧州連合(EU)加盟の条件整備などを踏まえ、司法や軍の政治介入を押さえ、国会や大統領の権限を強める事などを提起している。

投票率は73%の国民投票の結果、憲法改正案は58%の支持で承認され、エルドアン首相は民主主義の勝利だと宣言。また、この結果について「発達した民主主義と法治国家に向けトルコは歴史的な一線を乗り越えた」と評価した。欧米諸国はこの改憲国民投票結果を歓迎し、欧州連合(EU) の執行機関欧州委員会も、トルコのEU加盟に向けての一歩だと讃えた。

トルコには、ユネスコの世界遺産に登録された文化遺産が9件、複合遺産が2件存在する。

◎『文化遺産』: ◆「イスタンブルの歴史地区」: トルコ最大の都市イスタンブルの旧市街にある歴史的建造物群で1985年に登録。 ◆「ディヴリーイの大モスクと病院」: 1985年に登録。「大モスク(ウル・ジャミィ)」は、1228〜1229年にかけて、メンギュジェク朝の「アフメッド・シャー」の手によって、スィヴァス県のディヴリーイに建設された。碑文にはルーム・セルジューク朝の「カイクバード一世」を称える文章が記されている。付属する「病院(ダリュシュシファ)」は、エルズィンジャンの支配者「ファフレッディン・ベフラム・シャー」の娘「トゥラン・メレク・スルタン」の発願により建設された。 ◆「ハットゥシャ」: 首都アンカラより東に145`の「ボアズカレ(旧・ボアズキョイ)」近郊、海抜1,000b程の丘陵地帯にある遺跡。紀元前17世紀〜紀元前13世紀に繁栄したヒッタイト帝国の都。発掘調査により、大神殿跡、突撃門や上の街神殿群跡、獅子門などが確認されている。1986年に登録された。 ◆「ネムルト・ダウ」: アディヤマン近郊のキャフタから40`北に位置する、トルコ東部の標高2,134 bのネムルト山。19世紀後半にオスマン帝国軍が偶然山頂付近を行軍した際に、山頂部が人工的な建造物であった事が発見され、1881年にドイツ出身の技師「カール・ゼシュター」によって本格的な発掘調査が行われ「コンマゲネ王国」の王「アンティオコス一世」が紀元前62年に建てた、王自身の座像を含む8〜9bの巨大像が並ぶ巨大墳墓があるとさ、1987年に登録された。 ◆「クサントス・レトーン」: 古代リュキアの都市で、トルコ南部で地中海に面するアンタルヤ県にあり、早い時代の文献では、「クサントス」の言葉自体が、リュキア全体を意味した。1988年に、「レトーン」と共に、登録された。 ◆「サフランボル市街」: カラビュック県に属し、2000年現在47,257人が住む。黒海から100`離れた場所に位置する。町の歴史は11世紀に遡る。1994年に登録された。 ◆「トロイの考古遺跡」: 1998年に登録。現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南(同海峡の東側、アジア側、トルコ語ではトゥルヴァ)にあったとされる。遺跡の入り口には、あの有名な「トロイの木馬」の複製が建てられている。 ◆「セリミエ・モスクとその社会的複合施設群」: オスマン帝国時代に建設されたモスクの一つで、エディルネにある。皇帝セリム2世の命で、1568〜1574年に建設。イスラーム建築の最高到達点の一つとされ、2011年に登録。 ◆「チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡」: アナトリア地方南部、コンヤ市の南東数10`のコンヤ平原に広がる小麦畑をみおろす高台に位置する新石器時代から金石併用時代の遺跡である。その最下層は、紀元前7500年に遡ると考えられ、遺跡の規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡と称される事もある。

◎『複合遺産』: ◆「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」: 「ギョレメ国立公園」は、トルコのカッパドキア地方ネヴシェヒル県にある。奇岩群には古代ローマ時代にギリシャ人のキリスト教徒によって建設された「地下都市」があり、1985年に登録。 ◆「ヒエラポリス-パムッカレ」: トルコ西部・デニズリ県にある「パムッカレ」は石灰華段丘からなる丘陵地の名前であり、2世紀頃「ヒエラポリス」というローマ帝国の都市の遺跡で1988年に登録。

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2015年03月21日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

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