仕向地ミニ情報 | アジア
国際輸送のエキスパート ジー・ティー・シー エイシア株式会社

ネパール (NEPAL)

XML RSS

ネパール (NEPAL) :

ネパール連邦民主共和国(Federal Democratic Republic of Nepal)。2008年に王制を廃止した南アジアの共和制国家。面積、140,800平方`。人口(2008年)、2,933万1千人。東、西、南の三方をインドに、北を中国のチベット自治区に接する西北〜東南方向に細長い内陸国である。国土は世界最高地点エベレスト(サガルマータ)を含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成る。ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしている。インド・アーリア系の民族と、チベット・ミャンマー系民族の多民族・多言語国家であり、民族とカーストが複雑に関係し合っている。また、宗教もヒンドゥー教(元国教)、仏教、アニミズム等とその習合が混在する。経済的には後発開発途上国である。農業を主たる産業とする。ヒマラヤ観光等の観光業も盛んである。

ネパールの中心、「カトマンズ盆地」には旧石器時代から人が住んでいた事が明らかになっている。「ドゥマカールの遺跡」で発見された木具を放射性同位元素で測定した結果、紀元前27,400年頃のものと推定された。また、旧インド文化圏の各地でも旧石器時代の遺物が発見されている。伝説では、カトマンズ盆地は太古の昔湖を、「スワヤンブー寺院」を参詣しに来た「マンジュシュリ(文殊菩薩)」が湖を囲む山を剣で切り開き、湖水を流し出し人が住める様にしたという。また「ネ」(ne) という名の牟尼(聖者)が、最初にこの地を「統治」(pal) したので、「ネパール」(nepal)の名が付けられたという伝説もある。その他、ネパールの起源に関する伝説は数多く存在する。

ネパールの古い歴史については「バンシャバリ」といわれる5つの王朝があったとされるが、信憑性は低い。紀元前6世紀、現在ネパール領の「カピラヴァストゥ共和国」の統治者の子として「釈迦(仏陀)」ルンビニで生誕し、北インドに教えを広めた。紀元前3世紀、インドの「アショーカ王」が釈迦の生誕地である南ネパールに巡礼を行い、仏塔を建立した。

4世紀、インド・アーリヤ語派の王族によるネパーラー王国「リッチャヴィ王朝」が成立。チベットと文化的、経済的、政治的の密接な交流があり、宗教・商業上の中心地として繁栄した。9世紀、「デーヴァ朝」が興る。13世紀から「マッラ朝」が統治し、ネワール文化が栄える。1450年頃、マッラ朝から「カトマンズ王国」が独立。1619年までに「パタン王国」も独立し、「三王国並立時代」となる。1769年、第10代ゴルカ王「プリトゥビ・ナラヤン」がネパールを統一し、「シャハ王朝」を作る。

1814〜1816年、ネパールとイギリス「グルカ戦争」が起こり、善戦したが敗北し、西はマハカリ川以西、東はメチ川以東、および全タライ地方を放棄する代わりに、イギリスから毎年20万ルピーの支払いを受ける事になったが、講和条約締結の9ヶ月後には、タライの大部分をネパールに返還し、ほぼ現在の国境ラインに落ち着いた。なお条約にネパール兵がイギリス軍傭兵に志願できるという条項を加えた。イギリスはネパールを「グルカ(Gurkha=ゴルカ)」と呼んでいたので、ネパール人傭兵は「グルカ兵(ゴルカ兵)」と呼ばれた。これが現在まで続き、ネパールは英印両国に毎年「グルカ兵」を提供している。

1846年、宮廷内の虐殺事件を機に「ジャンガ・バハドゥール・ラナ」が宰相となって以後、宰相はラナ家の世襲となり、1951年まで 「シャハ王家」は傀儡となる。1854年、近代的な大法典「ムルキー・アイン」を公布。第一次世界大戦と第二次世界大戦に連合国側として参戦した。

1947年、現在のネパール会議派の前身「ネパール国民会議派」が結成。1949年「ネパール共産党」が結成。1951年、ラナ家の支配は終わり王政が復古、立憲君主制国家となる。1955年「マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ」が国王に即位し、1956年に日本との外交関係を樹立。

1959年、初の総選挙が行われ、ネパール会議派の「B.P.コイララ」が政権をとり、封建的諸制度の改革を急速に進め、国王との間に溝ができる。1960年に「マヘンドラ国王」がクーデターを起こし議会を解散、政治活動を禁止、全閣僚を逮捕し、1962年に、新憲法制定。政党の禁止、国王に有利な複雑な間接民主主義「パンチャヤット制」、ヒンドゥー教の実質国教化等を行った。1972年、「ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ」が国王に即位。

1980年「パンチャヤット制」の是非を問う国民投票により僅差で存続決ったが、1990年にパンチャヤット制廃止と複数政党制復活を求めて民主化運動「ジャナ・アンドラン」が起こり、国王がパンチャヤット制の廃止を宣言し、ネパール会議派の「クリシュナ・プラサド・バッタライ」を首相に指名。国民主権を謳った新憲法が制定。1991年、複数政党制による30年ぶりの総選挙が行われ、ネパール会議派の「ギリジャ・プラサド・コイララ」が首相となる。

1996年、ネパール共産党毛沢東主義「マオイスト」派が王制を打破すべく、ネパール内戦「人民戦争」を開始、2001年、人民解放軍を創設。2001年の「ネパール王族殺害事件」により、「ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ」が王位につき、政変により議会停止し、国王・議会・マオイストによる混乱状態となる。国軍を掌握する国王派とマオイストによる内戦が続き、アメリカが国王を支援したが、武装した農民がマオイストに合流するなど混乱に拍車をかける結果となった。

2002年「ギャネンドラ国王」がクーデターをお越し、デウバ内閣を停止させ、王党派の「チャンド」を首相に任命したが、2004年には国民の声に圧されて、再び「デウバ」を首相に任命。

2005年の2月1日〜4月末日まで、「ギャネンドラ国王」が再度、議会・内閣停止し「絶対君主制」を導入。非常事態宣言(実質上の戒厳令)したが、同年12月、議会内の7党連合と議会外の毛沢東派が和解し、共にギャネンドラ国王の独裁と闘う事で合意した。2006年、7党連合が、ゼネラル・ストライキを呼びかけ、民主化運動「ロクタントラ・アンドラン」が高まり、毛沢東派も抗議行動に参加により、国王が直接統治を断念。国民への権力を移譲し、議会を復活させると発表し、政党側に首相推薦を要請し「コイララ政権」が復活した。

2007年、国連安保理は、「国連ネパール支援団 (UNMIN)」を設立する安保理決議を全会一致で採択。国軍と人民解放軍の停戦を監視。ネパール南東部では暫定憲法に反対し地位向上を訴える「マデシ(インド系少数民族)」の抗議行動が続き、地元警察との衝突により少なくとも21人が死亡する事件が起こった。2008年、ネパール制憲議会が招集され、新たな政体を連邦民主共和制と宣言して正式に240年間続いた王制に終止符を打ち、ギャネンドラ国王は退位した。

ユネスコの世界遺産として、文化遺産が2件、自然遺産も2件ある。

◎『文化遺産』: ◆「カトマンズ盆地」: 首都カトマンズのある盆地一帯。標高、約1,300b。盆地内には、ガンジス川の支流であるバグマティ川などの川が流れ、耕作に適した大地が広がっている。カトマンズ盆地は、数千年前までは湖だったと考えられている。湖だった事は、この地の神話にも登場する。また、地層から淡水魚の化石が発掘されている。1979年に登録。但し、急激な都市化により2003〜2007年の間危機遺産の指定も受けていた。 ◆「仏陀の生誕地ルンビニ」: 1997年に登録されている。ネパールの南部タライ平原にある小さな村。仏教の開祖「釈迦(本名・サンスクリット語:ガウタマ・シッダールター)」の生まれたとされる地で、仏教の八大聖地の一つでもある。「マーヤー・デーヴィー寺院」を中心に、アショーカ王が巡礼した時に建立された石柱、釈迦が産湯をつかったという池等が残る。巡礼者で賑わっているが、特に12月〜1月にかけて多い。 

◎『自然遺産』: ◆「サガルマータ国立公園」: ネパール北東部に位置する山岳地帯にある国立公園。1979年に登録。世界の屋根といわれるヒマラヤ山脈でも高い山が連なる。公園内には高山植物やレッサーパンダ、ジャコウジカなどの珍しい動物も生息している。近年は、山頂を目指す登山家以外にも、公園内のトレッキングを楽しむ旅行者が増えている。 ◆「チトワン国立公園」: ネパール南部に位置するジャングルを保護する目的で設置された自然保護公園。標高は、50〜200b程度で亜熱帯気候で、公園内には、インドサイ、ベンガルトラ、ヒョウ、ヌマワニ等の絶滅の恐れの高い動物が生息している。また野鳥の種類は500種類以上で、世界一といわれてもいる。朝には必ずといって良いほど朝靄が立ち込める。ゾウの背中に乗って見る「ジャングルサファリ」や、ラフティング、カヌー、バードウォッチング等のアクティビティを楽しむ事ができ、1984年に自然遺産に登録された。

<ただ今、定期サービスを停止しております。誠に申し訳有りません。尚、特注による輸送はお受けしておりますので、ご相談ください。> 

「ネパール」の風景はこちら

※それでは、GTC ASIAのFCL・LCLコンテナ小口混載(コンソリデーション)・国際複合一貫輸送サービスのご利用を宜しくお願い致します。

2013年04月23日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

Copyright 2007- GTC ASIA CORPORATION. All rights reserved