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アゼルバイジャン (AZERBAIJAN)

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アゼルバイジャン (AZERBAIJAN):

正式名称、アゼルバイジャン共和国(Republic of Azerbaijan)。カフカス地方に位置する旧ソビエト連邦の共和制国家。面積、86,600平方`、総人口(2013年)、9,383,700人。人口密度、108人/平方`。2008年度の人口調査結果が、8,832,000人だった事から急増している。首都は、「バクー」

北緯38度〜42度、東経44度〜55度。南北400`、東西500`に及ぶ。北はロシア、北西はグルジア(ジョージア)、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面している。

また、アルメニアを跨いだ西南方の飛地「ナヒチェヴァン自治共和国」は、飛び地としてアルメニアに囲まれているがアゼリー人の人口が多い地域であり、アルメニア、イランとトルコに接している。

住民は、民族的にはテュルク系のアゼリー(アゼルバイジャン)人が人口の90.6%を占め、圧倒的に多い。アゼリー人の外、レズギン人2.2%、ロシア人1.8%、アルメニア人タート人、山岳ユダヤ人が居住している。国語は、アゼルバイジャン語だが、日常的にはロシア語も使用される。

宗教的にはアゼリー人を含めたムスリム(イスラム教徒)が95%(シーア派85%、スンニー派15%)と圧倒的に優勢で、キリスト教正教会、ユダヤ教会、キリスト教アルメニア教会が少数派として存在する。

地形上、カスピ海大コーカサス山脈中央平原に3区分できる。すべての河川がカスピ海に注ぎ、最長は「Kur川」の1,515`である。最高地点はバザルドュズ山(海抜4466b)である。

アルメニア人が多数居住する西部の「ナゴルノ・カラバフ自治州」では、同地域のアルメニアへの帰属変更を掲げた事でアゼルバイジャンと分裂状態となり、事実上独立した状態となっている。ソビエト解体から1994年に停戦合意をするまで紛争地域となり、停戦合意後も2014年に衝突が起き不安定な状態を抱えていたが、2016年4月2日、でアゼルバイジャンとアルメニア軍による軍事衝突が発生し、戦闘は翌3日も続き、双方で兵士が死亡している。

バクー油田など豊富な天然資源があり、ソ連崩壊やアルメニアとの紛争で落ち込んだ経済を支えている。2013年のアゼルバイジャンの経済は、世界平均の8割ほどの水準にある。天然資源の存在は第二次世界大戦やチェチェン問題とアゼルバイジャンの関係とも大きくかかわっている。

2006年には首都バクー、ジョージアのトビリシ、トルコのジェイハンを結ぶBTCパイプラインが開通した。同パイプラインはBPなどの日欧米企業が出資、輸送能力日量100万バレルの原油パイプラインである。これはロシアに対抗する欧州向け原油輸出パイプラインとして期待され、カザフスタン原油の輸出も計画されている。

カスピ海では油田のほかにガス田も生産を始めている。こういった欧米の直接投資と原油高に伴う多額の収入が国内の経済を急速な勢いで成長させているが、一方で激しいインフレと失業率に悩まされている。また、環境汚染も深刻である。

アゼルバイジャンは、ワインの有名な産地であり、コーカサス有数の上質なワインで知られる。コストやクオリティなどを考えればロシアで人気のグルジアワインに劣らないだけではなく、フランスワインよりも一部の人々には好まれている。庶民が好んで飲むイワノフカは低価格で飲み易くおいしい。

紀元前後には、アゼリー人の祖先と見られるアルバニア人の国家「カフカス・アルバニア王国」が作られていた。17世紀にこの地方を拠点に「サファヴィー朝」が起こり、テュルクメン系の人々がシーア派へ改宗した結果、アゼリー人と呼ばれる民族が形成されていった。

1828年のイラン・ロシア戦争の結果、アラス川北岸地域はロシア帝国に割譲され、ロシアの統治下でアゼリー人の民族意識が高まった。1918年、この地域のアゼリー人民族主義者達は十月革命後の混乱を縫ってアゼルバイジャン民主共和国を打ち立てる事に成功したが、イギリス軍に占領され、これに反応した「*赤軍」がバクーに侵攻、ソビエト政権が成立した。1922年末、ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の一部となり、同連邦の解体にともない1936年よりアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦を構成する共和国の一つになった。

1989年、共和国主権宣言。1991年、「アゼルバイジャン共和国」に国名変更。1991年、共和国独立宣言。1991年、独立国家共同体(CIS)に参加。1993年以来、元アゼルバイジャン共産党書記長のヘイダル・アリエフが大統領として政権を掌握し、強権的な政治を引いてきた。2003年にアリエフは健康不安から引退を余儀なくされたが長男のイルハム・アリエフが後継者に指名されて大統領選挙に勝利し、権力の世襲委譲が果たされた。

アゼルバイジャン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。 ◆『城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔』: カスピ海沿岸の首都バクーの旧市街にある歴史的建造物で、2000年に登録されたアゼルバイジャンにおいて国内最初の世界遺産である。城壁内は一般に「イチェリ・シェヘル(アゼルバイジャン語で「内城」の意)」と呼ばれている。様々な民族の支配を受けた事により、アゼルバイジャン固有の文化はもとより、アラブ、イラン、ロシアなどの影響と文化が共存する独自の景観を持つ。 ◆『ゴブスタンの岩石芸術の文化的景観』: コブスタンの西部にある1966年に設定された「コブスタン国立保護区」で、この地の古代の彫刻物群や泥火山を守る為に、国定史跡に設定した。首都バクー中心部からは40㍄南西にある。2007年にユネスコの世界遺産に登録された。考古学的な記念碑類が多く残っており、岩絵は60万点を超えている。岩絵に描かれているのは、太古の人類や動物、戦い、宗教的な舞踏、闘牛、武装した漕ぎ手の乗る小舟、槍を携えた戦士、ラクダの隊商、太陽や星々など多彩で、平均して5千年〜2万年遡ると考えられている。この国にとってかけがえのない宝庫になっている。

「アゼルバイジャン」の風景はこちら

※≪『赤衛軍(ラボーチェ・クリスチヤーンスカヤ・クラースナヤ・アールミヤ)』: 略称、労農赤軍。1917年より始まったロシア内戦の最中に、ボリシェビキ党(レーニン)指導のもと組織された労働者の武装集団「労働者・農民赤軍」。1918〜1946年にかけてロシアおよびソビエト連邦に存在した軍隊「赤軍」ひいてはソ連軍の原型。1937年に、海軍が赤軍から独立した後はソ連の地上軍(陸軍)を指す呼称となった≫

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2017年01月10日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

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