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オマーン(OMAN)

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オマーン(OMAN): 

公式国名、オマーン首長国(Sultanate of Oman)。アラビア半島の東南端部にある中東および西アジアの絶対君主制国家。首都はマスカット。面積、312,460平方`。人口(2012年)、2,588,000人、人口密度、14人/平方`。2008年の人口統計が、2,845,000人であり減少している。

住民は半数以上がアラビア半島に祖先を持つアラブ人である。その他にバローチ人(パキスタン南部が起源)、アジャム人(中央アジアやイランを起源とする)、インド人(印僑)など。2010年の調査によると、全人口に占めるオマーン国籍人の割合は70.6%、外国人労働者は816,000人を数え、29.4%を占める。外国人労働者の内インド人が465,660人を数える他、バングラデシュ人が107,125人、パキスタン人が84,658人などとなっている。家政婦として働くインドネシアフィリピンから来た東南アジア人女性も多い。また、外国籍のアラブ人は68,986人を数える。

言語は、アラビア語(公用語)だが、英語も多用される。その他バローチ語、ウルドゥー語なども使われている。宗教はおよそ3/4がイスラム教のイバード派、1/4がスンナ派に属している。ヒンドゥー教やキリスト教を信仰している者もいるが少数である。

アラビア半島南東部に位置する本土と飛地としてアラビア湾とホルムズ海峡に突出した「ムサンダム半島」「マダ」を領有する。マスカットソハール(スハール)、スルといった都市が北部に、サラーラが南部にある。北西にアラブ首長国連邦、西にサウジアラビア、南西にイエメンと隣接する。なお、石油ルートとして著名なホルムズ海峡の航路もオマーン領海内にある。

東アフリカ・中東・ペルシア湾岸・インドを結ぶ航路を扼する、戦略的に重要な位置にある。特に南部のサラーラには経済特区や大きなコンテナ港が設置されている。

これらの経済政策で外資企業の誘致を進めている。オマーン国内に鉄道は通っていない。

北の海岸線にそってオマーン山脈が走る険しい山岳地帯があり、北西部にはハジャル山地、南部にはカラー山地が連なる。南部にワジ(涸れた川)が多数ある。最高地点は、アフダル山地シャムス山(標高3,075b)である。本土北部はオマーン湾アラビア海(インド洋)に面する。南西海岸沖の40`には「クリアムリア諸島」がある。 全土が砂漠気候に属し、ワジを除き通常の河川が存在しない。

全土が砂漠気候に属し、河川が全く存在しない。古代より乳香の産地として知られる。マスカットの年間降水量は100_で、降雨は12月〜4月である。最高気温は5月〜9月にかけ35℃を超える。南部のドファール地域はインド洋のモンスーンの影響を受け6月〜9月にかけ降雨が多く、海岸で霧が発生し、ココナツヤシの成長を助けている。

「ムサンダム半島」:

「カブース国王」(スルターン)は絶対君主制を維持しつつも、政治的実権を持たない「諮問議会」の設置や毎年の地方巡幸を通じて民心の掌握に努め、その政権の基盤は安定している。産油による、高い国内総生産も政治の安定に寄与している。行政区画は、7地方と4特別行政区に分かれる。それらは、更に62の行政単位(ウィラヤット、州)に分かれる。特別地区の中心都市(面積・2013年人口)は、「マスカット(シーブ)(3,671平方`・1,155,861人)」、「ムサンダム(ハッサブ)(1,724平方`・37,259人)」、「ドファール(サラーラ)(99,697平方`・369,625人)」、「ブライミ(ブライミ)(7,604平方`・96,613人)」である。

IMFの統計によると、2011年のオマーンのGDPは556億jで、日本の青森県とほぼ同じ経済規模である。一人当りのGDPは18,657jで、台湾チェコなどと同水準である。

先代「サイード国王」のもとで鎖国的政策が行われ、経済は停滞していたが、1970年に就任した「カブース国王」は開国を進め、国内経済は大きく成長を遂げた。原油関連設備の近代化による収入の安定はオマーンの成長に大きく寄与している。オマーンの鉱業の中心は原油生産(2003年時点で4,469万d)で、輸出額の76.7%を占めており、天然ガスも産出する。金属資源としては、クロム鉱石、銀、金を採掘するものの、量が少なく重要ではない。

河川もないにも関わらず、オアシスを中心に国土の0.3%が農地となっている。悪条件にもかかわらず、人口の9%が農業に従事している。主な農産物は、ナツメヤシ(2002年時点で25万d、世界シェア8位)。穀物と根菜では、ジャガイモ(13`d)の生産が最も多い。その他、冬場の日本での生鮮サヤインゲンの流通を補う為、日本向けサヤインゲンの大規模生産も行われている。

歴史は古く、紀元前3千年頃のメソポタミアでは、銅の産地として知られていた。オマーン山脈に産するこの銅の源は、今から1億年前にテーチス海の中央海嶺で吹き出していた巨大な熱水泉である。

紀元前2世紀頃 アラブ人が移動・定住。7世紀 イスラームに改宗し、当時影響力を及ぼしていたペルシア人勢力を追放。1509年 ポルトガル人が渡来。16世紀初頭にポルトガルの支配下に入る。1650年 「ヤアーリバ朝」がポルトガルからマスカットを奪回しオマーン全土を回復。この後19世紀末まで、オマーンの商船はインド洋全域を商圏とし、東アフリカ海岸部を勢力下に置いた(オマーン海洋帝国)。

その後、ヨーロッパ列強が東洋進出への拠点として利用した。イギリスフランスの争奪戦が起こり、18世紀の末、イギリスがオマーンと同盟条約を結んだ。1741年「現ブーサイード朝」による支配が始まる。1798年、グワダルがオマーンの飛地となる。1804年、「サイイド・サイード(サイード大王)」が第5代スルタンに即位。1832年、東アフリカ沿岸の奴隷・象牙・香辛料貿易の拠点でもあったザンジバルに遷都し、オマーンは全盛期を迎える。

1856年、サイード大王、死去。国土はオマーンとザンジバルに分割される。帆船から蒸気船の時代となり、オマーンは急速に衰退。1891年、イギリスの保護国となる。

1965年、イエメンに接する南部のドファール地方で「ドファール解放戦線(Dhofar Liberation Front)」によるドファールの反乱(1962年-1976年)が激化する。

1964年に、石油が発見され、1967年から石油輸出を開始し、経済を一気に発展させた。1970年、皇太子「カーブース・ビン=サイード」が、クーデターを起こし、父の王「サイード・ビン=タイムール」を追放、自身は国王に即位。また、国名をマスカット・オマーンから現国名「オマーン」に改めた。それまでの鎖国を解いて以来、名君の誉れ高い「カブース王」のもとで目覚しい近代化を進めたが、「石油輸出国機構(OPEC)」には加盟していない。

1971年、イギリス保護領より独立し、国際連合に加盟。1972年7月19日 「オマーン解放人民戦線」による「ミルバトの戦い」が勃発。

1991年、立法権のない諮問議会の設置。1997年、立法権のない国家評議会の設置。2000年、世界貿易機関(WTO)に加盟。2011年、「アラブの春」に触発されたオマーン人の「抗議活動(2011 Omani Protests)」が起こる。

現国王スルタン・カーブースの祖父に当たる先々代国王「スルタン・タイムール(Taimur bin Feisal)」は退位後日本人と結婚しており、二人の間の子がブサイナ王女で、現国王スルタンカブースの叔母にあたる。

マスカットでは「オマーン・日本友好協会」が日本語教育などの活動を続けている。2011(平成23)年3月に日本で「東日本大震災」が発生した際には、オマーンの王族系の企業から迅速な支援の為に南相馬市の落合工機に26億円の発注がされて話題となった。

また、同年9月には日本人女性書道家「矢部澄翔」がオマーンを訪問、18の学校や機関で書道の指導やパフォーマンスを行った。2012年に、オマーン・日本外交関係樹立40周年を迎えた。外交樹立40周年記念特別企画として、茨城県つくば市にある地質標本館にて特別展「砂漠を歩いてマントルへ-中東オマーンの地質探訪-」が2011年4月〜7月に開催された。

「オマーン」の風景はこちら

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2015年05月12日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

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