仕向地ミニ情報 | アジア
国際輸送のエキスパート ジー・ティー・シー エイシア株式会社

アラブ首長国連邦 (U.A.E.)

XML RSS

アラブ首長国連邦 (U.A.E.) : 

公式国名「アラブ首長国連邦(United Arab Emirates)」。西アジア・中東の国。面積、83,600平方`。人口(2015年)、9,157,000人。人口密度、111.27人/平方`。1998年の人口調査では、2,303,088人、2008年には4,599,000人と増加し、17年たらずで4倍近い急激な増加をしている。連邦首都は、「アブダビ」

アラビア半島東部、ペルシャ湾の出口に位置する7つの首長国からなる連邦国家でアラブ世界の中で最も安定した国である。東部ではオマーンと、南部と西部ではサウジアラビアと隣接する。カタールとは国境を接していないものの、サウジアラビアの一部地域の領有権をめぐり論争がある。

1971年に6首長国により建国され、翌年、「ラス・アル・ハイマ=ラサールカイマー首長国(ラス・アル・ハイマ市)」も加入した。7首長国名(主要都市名)は、「アブダビ首長国アブダビ市アルアイン市)」、「ドバイ首長国(ドバイ市)」、「アジュマーン首長国(アジュマーン市)」、「シャルジャ首長国(シャルジャ市)」、「ウンム・アル・カイワイン首長国(ウンム・アル・カイワイン)」、「フジャイラ首長国(フジャイラ市)」、「ラス・アル・ハイマ=ラサールカイマー首長国(ラス・アル・ハイマ市)」である。

各首長国名とその首都(市)名は同じであり、最大の国であるアブダビ首長国の首都のアブダビが、連邦全体の首都として機能している。また近年は、外国資本の流入によるドバイの急激な発展により、政治のアブダビ、経済のドバイと言われるようになってきている。他の首長国は国際社会ではあまり著名でない。

主要港として、ドバイ首長国に「ポートラシード = ポートラシッド」「ジェベルアリ」とアブダビ首長国の「アブダビ(アル・ミーナ=AL MEENA)」港がある。

気候は、高温乾燥の砂漠気候で降水量は一般に年250_以下。気温の比較差が大きく、所により60℃以上におよぶ。

GDPの約40%が石油と天然ガスで占められ、日本がその最大の輸入国である。原油確認埋蔵量は世界5位の約980億バレル。天然ガスの確認埋蔵量は6兆600億立方bで、世界の3.5%を占める。一人当たりの国民所得は世界のトップクラスである。

言語は、アラビア語が公用語である。日常会話はアラビア語の湾岸地方方言となる。但し、イギリスの植民地であった事と、外国人労働者が大半を占める為に、共通語として英語もよく用いられる他、ペルシャ語、ヒンズー語、ウルドゥー語、マラヤーラム語やタガログ語なども使われている。宗教は、イスラム教(スンナ派80%・シーア派20%)を国教としているが、他の湾岸諸国と違って戒律規制は緩い。外国人労働者によって、ヒンズー教、キリスト教、仏教なども信仰されている。

人種は、アラブ人。但し、現在アラブ首長国連邦国籍のアラブ人(国民)は全体の13%にすぎない。その他は外国籍の住民であり、他のアラブ諸国から来た人々や、イラン人、南アジア系50%(インド人140万人、パキスタン人、バングラデシュ人、スリランカ人)、東南アジア系(フィリピン人)、欧米系、東アジア系の人々などがいる。

これらの外国籍の多くは、石油収入によって豊かなアラブ首長国連邦に出稼ぎとしてやってきた人々であるが、単身が条件で家族を連れての居住は認められていない。失業者は強制送還するなど、外国人へは厳格な管理体制がなされている。

外国人への厳しい管理体制と裏腹に、旧来のUAE国民とその子孫(UAEナショナルと呼ばれる)へは、手厚い支援体制がとられている。教育は無料で、所得税もなく、民間に比べて高給である公務員への登用が優先的になされる。この為、UAE国籍の労働人口のかなりの割合が公務員である。

また、国民同士が結婚すれば国営の結婚基金から祝い金が交付され、低所得者や寡婦などには住宅や給付金などの保障が手厚くなされる。これは国民への利益分配の面と、全住民の1/8に過ぎない連邦国民の増加策の面もある。

しかし、政府はあくまでも現在のUAE国民とその子孫の増加を望んでいる為、UAE国民以外の国籍取得は大変難しい。一般の長期在住者がUAEの国籍を取得する資格を得るには、30年以上の継続した国内在住を要する。アラブ系国家出身者であれば条件は緩和され、7年の継続居住で国籍取得申請ができ、兄弟国とも言えるカタール、バーレーン、オマーン出身者であれば3年の継続居住で国籍取得申請は可能である。

また、近年では若年層人口の増加により公務員の仕事をすべての希望する国民に割り振ることができなくなる可能性が指摘されており、政府は外国人によって占められている職場に自国民雇用義務を導入し、労働力の自国民化を目指している。しかし、厳しい競争に晒されてきた外国人に比べて、これまで保護されてきたUAEナショナルは高給だが能力に劣る事が多く、また国民も厳しい仕事を嫌い、高福祉に頼り無職のままでいることも多い。

原油のほとんどは「アブダビ首長国」で採掘され、ドバイやシャルジャの採掘量はわずかで、「ドバイ」の経済の主力は貿易と工業、金融で、ビジネス環境や都市インフラを整備する事で経済成長の礎を築いてきた。1983年に「ジュベル・アリ」港が建設され、1985年にはその地域に「ジュベル・アリ・フリーゾーン」が設立された。このフリーゾーンには、外国企業への優遇制度があり、近年、日本や欧米企業の進出が急増して、物流拠点となっている。

オイルショック後のオイルマネーによって潤う様になった周辺アラブ諸国であるが、それら諸国には適当な投資先がなく、自国に距離的にも文化的にも近く積極的な開発の行われているドバイに余剰資金が流入したのが、ドバイの爆発的発展の原動力となった。それ以外にアルミや繊維の輸出も好調である。アルミ工場は石油や電力の優遇措置を受けている為、極めて安価なコストでの生産が可能であり、主力輸出品の一つとなっている。また、貿易、特にインド・イラク・イランに向けての中継貿易の拠点となっている。

近年では、ドバイのみならず国内全体において産業の多角化を進め、石油などの天然資源の掘削に対する経済依存度を低め、東南アジアにおける香港やシンガポールのような中東における金融と流通、観光の一大拠点となる事を目標にしている。

また、特にドバイにおいて近年は観光客を呼び寄せる為のリゾート施設の開発に力を入れており、世界一高いホテルである「ブルジュ・アル・アラブ」「ブルジュ・ハリファ」等の建設や、「パーム・アイランド」と呼ばれる人工島群、世界地図をかたどった「ワールド・アイランズ」等、急速に開発が進んでおり、中東からだけでなく世界中から観光客を引き寄せる事に成功している。この成功を見たアブダビやシャルジャなど他首長国も観光に力を入れ始め、豪華なリゾートホテルや観光施設の建設が相次いでいる。

また、食糧安保の為に農業にも多大な投資をおこなっている。デーツなどを栽培する在来のオアシス農業の他に、海水を淡水化して大規模な灌漑農業をおこなっており、野菜類の自給率は80%に達している。

現在のアラブ首長国連邦の領域で最古の人類居住遺跡は紀元前5,500年頃のものである。やがて紀元前2,500年頃にはアブダビ周辺に国家が成立。この国は、メソポタミア文明とインダス文明との海上交易の中継地点として栄えた。紀元前6世紀頃には対岸にある現在のイランに興ったアケメネス朝ペルシャの支配下となりペルシャ文明の影響を受けていた。7世紀にイスラム帝国の支配を受けイスラム教が広がり、その後オスマン帝国の支配を受けた。

16世紀、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見し、ポルトガルが来航、オスマン帝国との戦いに勝利し、その後150年間、ペルシャ湾沿いの海岸地区を支配する。現在のアラブ首長国連邦の基礎となる首長国は17〜18世紀頃にアラビア半島南部から移住してきたアラブの部族によってそれぞれ形成された。

18世紀、現、シャルジャとラス・アル・ハイマの首長の先祖で、船乗りだった「カワシム」と1793年内陸部のオアシスからアブダビに移動した内陸部のベドウィンの主要勢力で、現アブダビとドバイの首長の先祖である「バニ・ヤス」という2つの部族の連合が勢力を拡大した。彼らは現在のU.A.E.を構成する7つ首長国の内、4人の首長の先祖である。

18〜19世紀には、この地域がペルシャ湾を航行するヨーロッパ船を襲う『アラブ海賊』の拠点、『海賊海岸(Pirate Coast)』として恐れられた。彼らはオマーン王国の海賊並びにその同盟者「イギリス東インド会社」と激しく対立し、1809年にはイギリス艦船HMSミネルヴァ(HMS Minerva)を拿捕して(Persian Gulf campaign)、海賊団の旗艦としたが、1819年にイギリスのボンベイ艦隊に破れた。

1820年、イギリスが「カワシム」を打ち破り、この地域の海上勢力と休戦協定を結び、9つの首長国にイギリスの守備隊が常駐し、この地域は「休戦海岸(トルーシャル・コースト)」と呼ばれるようになる。1835年、イギリスと首長国は「永続的な航海上の休戦」に関する条約を結び、イギリスの支配権がこの地域に確立した。

1892年までに全ての首長国がイギリスの保護下に置かれ、トルーシャル・コースト諸国は、沿岸の中継交易と真珠採集と、ドバイやシャルジャ等で行われていたわずかな中継貿易を中心とした細々とした経済が維持されたが、真珠採集も1920年代の日本の養殖真珠の成功により衰退し、益々経済活動が縮小していった。

しかし、1950年代中盤、石油探査が始まり、ドバイとアブダビにて石油が発見された。ドバイはすぐさま交易国家としての基盤固めを開始したが、アブダビでは消極的だった為、その状況に不満を持った首長の弟が宮廷クーデターを起こし政権を握ると一気に急速な開発路線をとる様になり、1960年代後半には「アブダビ」での石油産出が本格化し、経済構造が一変し湾岸諸国中の有力国家へと成長した。

1968年、イギリスは、湾岸から撤退すると発表し、直にバーレーン、カタール及びトゥルーシャル・コーストの全首長国による単一の連邦国家を作るべく活動したが、地域の国境紛争によって難航、イギリスが3年間交渉を続けたがバーレーンとカタールが参加を拒否した。1971年7月、全てのトゥルーシャル・コーストの首長が同意し、臨時憲法が発表され、アラブ首長国連邦が、1971年12月2日に建国された。

世界遺産として、◆『アル・アインの遺跡群』が、2011年にユネスコの世界文化遺産に登録されている。

「アラブ首長国連邦」の風景はこちら

※それでは、GTC ASIAのFCL・LCLコンテナ小口混載(コンソリデーション)・国際複合一貫輸送サービスのご利用を宜しくお願い致します。

2017年02月22日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

Copyright 2007- GTC ASIA CORPORATION. All rights reserved