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インド (INDIA)

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インド (INDIA) : 

公式国名、インド共和国。面積3,287,590平方`。人口(2015年)13億1,000万人(世界第2位)。人口密度368人/平方`。2008年の人口調査結果が11憶9,800万3千人で確実な増加を見せている。言語、公用語はヒンディー語、他に憲法で公認されている州の言語が17ある、英語は準公用語。首都ニューデリー。仏教、発生の国。

地方行政区分は、28州と6連邦直轄領と、デリー首都圏から構成される。但し、「ジャンムー・カシミール州」はその全域をパキスタンとの間で、また「ジャンムー・カシミール州」の一部と「アルナーチャル・プラデーシュ州」のほとんどを中国との間で、それぞれ領有権をめぐって外交・国際政治の場で激しく争われている。

主要都市としては、「ムンバイ(マハーラーシュトラ州)」、「パナジ(ゴア州)」、「ジャイプル(ラージャスターン州)」、「ラクナウ(ウッタル・プラデーシュ州)」、「バンガロール(カルナータカ州)」、「ナーグプル(マハーラーシュトラ州)」、「コルカタ(西ベンガル州)」、「インドール(マディヤ・プラデーシュ州)」、「チェンナイ(タミル・ナードゥ州)」、「パトナ(ビハール州)」、「ハイデラバード(アーンドラ・プラデーシュ州)」、「ボーパール(マディヤ・プラデーシュ州)」、「アフマダーバード(グジャラート州)」、「ターネー(マハーラーシュトラ州)」、「ブネー(マハーラーシュトラ州)」、「ルディヤーナー(パンジャーブ州)」、「スーラト(グジャラート州)」、「アーグラ(ウッタル・プラデーシュ州)」、「コーチン(ケララ州)」、「マドゥライ(タミル・ナードゥ州)」、「ナバシェバ(マハーラーシュトラ州)」、「カーンプル(ウッタル・プラデーシュ州)」、「バローダ = ヴァドーダラー(グジャラート州)」、「ツチコリン = トゥーットゥックディ(タミル・ナードゥ州)」など。

紀元前26世紀〜16世紀頃、インダス川の広大な流域に高度な文明、インダス文明が繁栄。紀元前16世紀頃、中央アジアの草原地帯からアーリア人がインド亜大陸へ侵入。紀元前6世紀、ガンジス川流域にマガダ国、コーサラ国など16王国が繁栄。紀元前5世紀頃、仏教、ジャイナ教がマガダ国で誕生。紀元前4世紀頃からシルクロードの全盛期となった。紀元1世紀頃、クシャン朝が起こり紀元2世紀までに領土を拡大、4世紀まで繁栄、仏教国で数千の僧院やストゥーパを建て首都のガンダーラが仏教の聖地として貿易と宗教的学問の中心地となり栄え、「ガンダーラ美術」を形成した。

1526年、ムガール帝国が設立。1600年、イギリスが東インド会社を設立、徐々に勢力を拡大しムガール帝国は衰退。1757年、ムガール帝国に追放されたイギリスが1年後、カルカッタを奪回した「プラッシーの戦い」が起こった。1857年、一般市民を含む「セポイ(東インド会社が編成したインド人兵)」の反乱(民族解放闘争)が起こり、反乱の鎮圧後、イギリスが東インド会社に代わり直接統治、インドは完全なイギリスの植民地となった。1858年、ムガール帝国が滅亡。

1918年、人民を弾圧する「ローラット法案」を発表、各地で農民運動、労働争議を指導していたガンジーが反対派の指導者と成った。「同盟休業」(インド全域で商店、工場は閉じ、学校が休校)を実施。イギリスは、2万人近い集会の民衆に発砲、死者397名、負傷者1,200名を出した。1920年、国民会議派は「選挙のボイコット、公立学校からの子弟の引き上げ、イギリス製品ボイコットなど」の非協力運動を決定、選挙では有権者の80%がボイコット。1922年、ガンジー逮捕「禁固6年」が決まったが、1924年、急性盲腸炎になり釈放。

1939年、第二次世界大戦が勃発するとイギリスはインドを参戦させ、インド各地の会議派の指導者2万人以上を投獄。1940年代中頃、ヒンズー教徒とイスラム教徒の間の暴力が激化。1946年、カルカッタで両教徒が衝突し、4日間で5,000人の死者を出し決定的に対立化。

1947年、イギリスはインド(中央部のヒンズー教徒地域)とパキスタン(北部東西のイスラム教徒地域)を自治領として分離独立させたが、カシミール(ジャンムー・カシミール国)の領有をめぐり、インドとパキスタンで戦闘が勃発。1949年、国連が調停しそれぞれにカシミールを分配したが、なお国境は未明確のまま。1950年、共和国となる。1961年、ポルトガルの植民地であったゴアを、強行接収。

1965年、「印パ戦争」再発。1971年、インドが東パキスタン(バングラディッシュ)独立に協力して印パ戦争が再々発。1972年7月、シムラー協定でバングラデシュ独立をパキスタンが承認。

1974年5月、コードネーム『微笑むブッダ』が成功し、世界で6番目の核保有国となった。1976年11月、憲法前文を改訂し議会制民主主義国家であると同時に社会主義の理念が入った。

インディラ・ガンディーは、1977年〜80年にかけて一時的に政権を奪われつつも、長期に渡り首相の座を維持したが、1984年10月シク教徒により暗殺された。息子のラジーヴ・ガンディーが後任となるも、1991年5月に当時内戦状態にあった隣国スリランカのタミル系武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」の自爆テロで同じく暗殺された。

後を継いだナラシンハ・ラーオ政権では、1991年7月から始まった経済自由化によってIT分野で急成長を遂げた。2014年5月開票の総選挙でインド人民党が大勝して、10年ぶりに政権交代が実現。5月26日、ナレンドラ・モディが第18代首相に就任し、人民党政権が発足した。

インド国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が21件、自然遺産が5件存在する。登録名称(登録年)は、

◎『文化遺産』: §「アジャンター石窟群(1983年)」、 §「エローラ石窟群(1983年)」、 §「アーグラ城塞(1983年)」、 §「タージ・マハル(1983年)」、§「コナーラクのスーリヤ寺院(1984年)」、 §「マハーバリプラムの建造物群(1984年)」、 §「ゴアの教会群と修道院群(1986年)」、 §「カジュラーホーの建造物群(1986年)」、 §「ハンピの建造物群(1986年)」、 §「ファテープル・シークリー(1986年)」、 §「パッタダカルの建造物群(1987年)」、 §「エレファンタ石窟群(1987年)」、 §「大チョーラ朝寺院群(1987年、2004年拡張)」、 §「サーンチーの仏教建造物群(1989年)」、 §「デリーのフマーユーン廟(1993年)」、 §「デリーのフマーユーン廟(1993年)」、 §「インドの山岳鉄道群(1999年、2005年)」、 §「ブッダガヤの大菩提寺(2002年)」、 §「ビンベットカの岩陰遺跡群(2003年)」、 §「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧ヴィクトリア・ターミナス駅)(2004年)」、 §「チャンパネール=パーヴァガドゥ遺跡公園(2004年)」、 §「赤い城(レッド・フォート)の建造物群(2007年)」、 §「ジャイプルのジャンタル・マンタル(2010年)」。

◎『自然遺産』: §「カジランガ(カージランガー)国立公園(1985年)」、 §「マナス野生生物保護区(1985年)」、 §「ケオラデオ(ケーオラーデーオ)国立公園(1985年)」、 §「スンダルバンス国立公園(1987年)」、 §「ナンダ・デヴィ国立公園及び花の谷国立公園(1988年、2005年拡張)」である。

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2016年01月05日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

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