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イラン (IRAN)

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イラン (IRAN) :

公式国名、イラン・イスラム共和国(Islamic Republic of Iran)。アジア大陸南西部のイスラム共和国。国名は「アーリア人の国」の意。旧名ペルシャ。面積、1,648,195平方`(日本の約4.37倍)。人口(2012年)、7,560万人。人口密度、43人/平方`。言語、ペルシャ語、トルコ語、クルド語ほか。宗教、シーア派イスラム教89%、スンニー派イスラム教10%。首都、「テヘラン」。外港としては、ペルシャ湾岸に「バンダル・アッバース」港がある。

北は「カスピ海」アゼルバイジャンアルメニアトルクメニスタン、東にパキスタンアフガニスタン、西にトルコイラクと境を接し、南は「ペルシャ湾」「オマーン湾」を挟んでクウェートサウジアラビアバーレーンカタールアラブ首長国連邦と面している

国土の大部分は「イラン高原」が占め、その大部分が砂漠であり、その北部と西部を山に縁取られている。カスピ海及びペルシャ湾の海岸沿いはとぎれとぎれに狭い平地がある。石油、ガス、石炭、クロム、銅、鉄鉱石、鉛、マンガン、亜鉛、硫黄が天然資源。

気候は、大陸性気候で標高が高いため寒暖の差が激しい。特に冬季はペルシャ湾沿岸部やオマーン湾沿岸部を除くとほぼ全域で寒さが厳しい。国土の大部分が砂漠気候或はステップ気候であるが、ラシュトに代表されるイラン北端部カスピ海沿岸平野は温暖湿潤気候に属し、冬季の気温は0℃前後まで下がるが、年間を通じて湿潤な気候であり、夏も29℃を上回ることは稀である。

年間降水量は同平野東部で680_、西部で1,700_以上となる。テヘラン等の内陸高地はステップ気候から砂漠気候に属し、冬季は寒く、最低気温は氷点下10℃前後まで下がる事もあり降雪もある。一方、夏季は乾燥していて暑く日中の気温は40℃近くになる。イラン西部の高地は、ステップ気候から亜寒帯に属し、冬は非常に寒さが厳しく、山岳地帯では豪雪となり厳しい季節となる。特に標高1,850bに位置するハマダーンでは最低気温が-30℃に達する事もある。

イラン東部の中央盆地は乾燥しており、年間降水量は200_に満たず、砂漠が広がる砂漠気候となる。特にパキスタンに近い南東部砂漠地帯の夏の平均気温は38℃にも達する酷暑地帯となる。ペルシア湾、オマーン湾沿岸のイラン南部では、冬は穏やかで、夏には温度・湿度ともに非常に高くなり平均気温は35℃前後と酷暑となる。年間降水量は135〜355_程である。

紀元前9〜7世紀に「アーリア人」が移住。前6世紀、「アケメネス帝国」を建国。以来、「ペルシャ帝国」、「サラセン帝国」等が栄え、また「アラブ族」、「モンゴル族」等の支配を受けた。1502年、イラン(ペルシア)の名家「サファビー家」の「イスマイル一世」が、ペルシア全土を統一し、イスラム教シーア派を国教とする「サファビー王朝」を創設した。

1736年、サファビー王朝が「アフガン人」によって滅ぼされた後、半世紀に渡る混乱期が続いた。1796年、「カジャール王朝」が樹立したが、第一次世界大戦中に、「オスマン帝国」を敵対する帝制ロシア、イギリスが、中立を宣言していた「イラン(カジャール朝)」で軍事作戦を行い事実上両国が支配した。1920年と1921年、ロシア革命の影響で地方都市に三つの革命政権が樹立し、ロシアの勢力を恐れたイギリスの支援で、陸軍将校「レザー・ハーン・パフラヴィー」が1926年に軍事クーデターを起こし、「パーレビ朝」を創建した。

1935年、国名をペルシャからイランと改称。1939年に第二次世界大戦が勃発すると、当初は中立を維持しようとしたが、1941年に連合国がイラン進駐し、イラン軍は敗北し、イギリスとソ連によって領土を分割された。イラン進駐下では同年レザー・パフラヴィーが息子の「モハンマド・レザー・パフラヴィー(22歳)」に帝位を譲位した。

1943年、戦後イランを特徴づける舞台が整えられ、北部のソ連軍占領地では自治運動が高揚し、1945年にアゼルバイジャン自治政府が、1946年にはクルド人によってマハーバード共和国が樹立されたが、両政権は共にテヘランの中央政府によって1946年中にイランに再統合された。

1940年代に「国民戦線」を結成したモハンマド・モサッデク議員が1951年に首相に就任し、それまで独占されていたイギリス系アングロ・イラニアン石油会社の国有化を断行したが、1953年にアメリカ中央情報局(CIA)とイギリス秘密情報部による周到な計画によって失脚させられ、石油国有化は失敗に終わった。

このモサッデグ首相追放事件によってパフラヴィー朝の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーは自らへの権力集中に成功した。1957年にCIAとFBIとモサドの協力を得て秘密警察「国家情報治安機構(SAVAK)」を創設し、政敵や一般市民の市民的自由を抑圧し、「白色革命」の名の下、米英の強い支持を受けてイラン産業の近代化を推進し、大地主の勢力を削ぐ為に1962年に農地改革令を発した。

イランは急速に近代化、識字率は飛躍的に増加し、女性は解放、土地は再分配、保健衛生は改善、工業化が進んだ。しかし、石油収入の活用に失敗して経済が傾き、反政府運動が高まったが、国王は徹底的に反対派を弾圧した。

1963年の大規模なデモで約3,000人が殺された。反政府指導者「アーヤトッラー・ホメイニー」は数ヶ月拘禁の後、1964年からイラクで14年間亡命生活を送ったが、イランの要請で1978年にホメイニーを国外追放し、ホメイニーはフランスへ移動した。イランでは暴動は全土に広がり、1978年、戒厳令を敷き、テヘランでは何百人も死者が出た。

シャーの独裁的統治は1979年の「イラン・イスラーム革命」に繋がり、パフラヴィー朝の帝政は倒れ、新たに「アーヤトッラー・ホメイニー」の下でイスラム共和制を採用する「イラン・イスラーム共和国」が樹立された。

新たなイスラーム政治制度は、イスラーム法学者「ウラマー」による先例のない直接統治のシステムを導入すると共に、伝統的イスラームに基づく社会改革が行われた。ペレティエ『クルド民族』に拠れば同性愛者を含む性的少数者や非イスラーム教徒への迫害を含み、対外的には反欧米的姿勢を持ち、特に対アメリカ関係では、1979年の「アメリカ大使館人質事件」、革命の輸出政策、レバノンのヒズボッラー(ヒズボラ)、パレスチナのハマース等のイスラエルの打倒を目ざすイスラーム主義武装組織への支援により、非常に緊張したものとなった。

革命による混乱が続く1980年には隣国イラクが「アルジェ合意」を破棄してイラン南部のフーゼスターン州に侵攻し、「イラン・イラク戦争」が勃発した。この破壊的な戦争は国際社会の意向を巻き込みつつ、1988年まで続いた。国政上の改革派と保守派の争いは、選挙を通じて今日まで続いている。保守派候補マフムード・アフマディーネジャードが勝利した2005年の大統領選挙でもこの点が欧米メディアに注目された。

2013年6月に実施されたイラン大統領選挙では、保守穏健派のハサン・ロウハーニーが勝利し、2013年8月3日に第7代イラン・イスラーム共和国大統領に就任した。

イランには、ユネスコの世界文化遺産が16件存在している。それ等の内訳は、 ◆『エスファハーンのイマーム広場』: 周りを青を基調とした精密な「アラベスク模様」のタイルで覆われた荘厳なモスクや宮殿によって囲まれている。1979年に登録。 ◆『ソルターニーイェ』: 2005年に登録。「イルハン朝」第8代君主「オルジェイトゥ」の命により建設された都市遺跡で、テヘランの北西240`の「ザンジャーン州」東部にあり、遺跡群の中核は、1302〜1312年にかけて建設された「オルジェイトゥ廟」である。8基の「ミナレット」を備えるこの廟は、青タイルで覆われた高さ約50bの2重構造のドームを持つ世界最古のものである。この建築は後のイスラム建築に大きな影響を与えた。 ◆『チョガー・ザンビール』: 古代エラム人が、作った複合遺跡である。メソポタミア地方以外では数少ない「ジッグラト」が存在する。「デズフール」のおよそ25`西、「スーサ」の45`南方に位置する。1979年に登録。 ◆『パサルガダエ』: 古代ペルシャの都市で、2004年に登録されている。 ◆『ペルセポリス』: 「アケメネス朝ペルシア帝国」の都。1979年に登録。「ファールス地方にあり、「ダレイオス一世(ダーラヤーウ一世)」が建設した宮殿群であった。紀元前331年、「アレクサンドロス大王」の攻撃によって破壊され、廃墟となった。 ◆『バムとその文化的景観』: 2004年に登録。「イランのケルマーン州」にある要塞都市の遺跡で近代都市「バム」の近郊に位置する。「バムの城」は「パルティア時代」に遡ると推定されているが、「サーサーン朝ペルシア期」に都市が作られ「サファヴィー朝期(16〜17世紀)」に現在見られる城壁が完成した。アフガン人(パシュトゥーン人)の攻撃で1722年以降に放棄され、廃墟となった。 ◆『ベヒストゥン』: 2006年に登録。「アケメネス朝ペルシア」の王「ダレイオス一世」が、自らの即位の経緯とその正当性を主張する文章とレリーフを刻んだ巨大な磨崖碑で「ケルマーンシャー州」にある。この碑文の楔形文字は、エジプト神聖文字の判読に貢献している。碑文と同じ内容が記されたものがエジプトのエレファンティネ島出土のアラム語パピルス文書群から発見されている。 ◆『イランのアルメニア人修道院建造物群』: 2008年に登録された。「聖タデウス修道院(西アーザルバーイジャーン州)」、「聖ステファノス修道院(東アーザルバーイジャーン州)」、「生神女マリア聖堂」から構成されている。キリスト教の揺籃期から、キリスト教を受容してきた地域で、アルメニア人は、キリスト教を世界で最初に国教とした事で知られ、その信仰の中心地として、修道院が建設されてきた。 ◆『シューシュタルの歴史的水利施設』:  「フーゼスターン州」にある古代以来の要塞都市。州都「アフヴァーズ」より約 92`離れた所に位置する。2009年、登録された。 ◆『タフテ・スレイマーン』: 名称はペルシア語で「ソロモンの玉座」を意味する。テヘランの西400`「西アーザルバーイジャーン州」のタカブの近郊にあるゾロアスター教及びサーサーン朝の聖地。2003年、24の史跡が登録された。渓谷の中にある史跡で、直径約100b、水深約100bの活動を停止した火口湖を中心に建てられており、主に「サーサーン朝」時代に建造された宗教施設郡や「フレグ・ウルス」時代に建造された宮殿遺跡群も含む。 ◆『タブリーズの歴史的バザール施設』: タブリーズにある中東最古のバザールであると同時に、世界中でもっとも長い商業施設である。2010年、ユネスコの世界遺産に登録された。 ◆『アルダビールのシャイフ・サフィーアッディーン廟の歴史的建造物』: アルダビール州アルダビールにある廟建築。2010年、に登録。 ◆『フィン庭園』: カーシャーンにあるペルシャ式庭園。1852年、ガージャール朝・ナーセロッディーン・シャーの宰相を勤めたアミール・キャビールが暗殺された浴場も含まれている。2011年に登録。 ◆『ゴンバデ・カーブース』: ゴレスターン州のゴンバデ・カーヴースの街の中心部にある塔。1006年にズィヤール朝の君主カーブース・ブン・ワシュムギールの命により建設された。塔の高さは約72bで、世界で最も高い「完全レンガ造り」の塔である。2012年に登録。 ◆『エスファハーンのマスジェデ・ジャーメ』: エスファハーンにある会衆のモスク。金曜モスクともいう。771年に建築されたエスファハーンでもっとも古いモスクである。2012年に登録。 ◆『ゴレスターン宮殿』: 2013年に登録。ガージャール朝の王宮として建てられ、パフラヴィー朝時代(1925〜1979年)まで少しずつ建て増しされ、戴冠式など王家のレセプションの場として使用された。ゴレスターンは「花のある場所」という意味で、ペルシャ庭園も有名。

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2014年03月10日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

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