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パキスタン (PAKISTAN)

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パキスタン (PAKISTAN) : 

公式国名、パキスタンイスラム共和国(Islamic Republic of Pakistan)「パキスタン」は、ウルドゥー語で「清らかな国」の意味。面積、803,940平方`(日本の約2.1倍)。人口(2012年)、180,710,000人、人口密度、224人/平方`。首都、イスラマバード。最大人口都市は、カラチ。国花はジャスミンである。

インド亜大陸北西部にあるイスラム共和国。民族は、パンジャブ人56%、パターン人16%、シンド人13%、バローチ人4%。宗教は、イスラム教徒 97% 、ヒンズー教徒1.5%、キリスト教徒1.3%、拝火教徒0.2%。言語は、ウルドゥー語(国語)、英語(公用語)、パンジャーブ語、シンディー語など。

地方行政区分は、 4州(バローチスターン州、カイバル・パクトゥンクワ州、パンジャーブ州、シンド州)と、 2連邦直轄地区(イスラマバード首都圏、連邦直轄部族地域(FATA))を行政管轄する。 その他、カシミール地方のパキスタン実効支配領域に、2行政区(アザド・カシミール、ギルギット・バルティスタン州)がある。

人口100万人以上の都市が7都市ある。1998年の人口順では、カラチラホールファイサラバードラワルピンディムルターンなど。 なお、首都イスラマバードは人口順では10番目に位置する。 その他の主要都市としては、ペシャーワルスィアールコート等がある。

アラビア海に臨み、インダス川の流域とその北方の山岳地帯から成る。南北に長く、風土、気候はとても多様。北は「エベレスト」の様な7,000〜8,000b級の山々が連なり、南はアラビア海に面した海抜4bの砂漠地帯。国土のほぼ中央を北から南に大河「インダス川」が流れ、インドイラン中国、そしてアフガニスタンの4ヶ国と国境を接し、昔から他の国や民族との交流が盛ん。

国土の北部には世界の屋根カラコルム山脈ヒンズークシ山脈が連なり、K2(標高8611b)ナンガ・パルバット(標高8126b)がそびえる。国の中央を南北に走るのはスライマン山脈である。アフガニスタン国境はカイバル峠、インドとの国境には大インド砂漠タール砂漠)が広がり、その南にはカッチ大湿地が分布する。

パキスタンには、四季があり、12月〜2月が冷涼乾燥な冬、3月〜5月が高温乾燥の春、6月〜9月が高温多雨・モンスーンの夏、10月〜11月が移行期の秋である。この時期は地域によって若干異なり、洪水と旱魃がしばしば生じる。気候は、中南部が砂漠気候、北部がステップ気候、北部山岳地帯が温帯夏雨気候となっている。

この国には、古代都市が栄えた「*インダス文明」や、「ヘレニズム文化」と「仏教」が融合して生まれた「*ガンダーラ美術」など、非常に古い歴史があり、「モヘンジョダロ」「ハラッパー」の古代都市遺跡や、北部の山岳地帯など、素晴らし文化や自然がある。

19世紀には英領インドとしてインドと同一の政府の下に置かれており、独立運動も本来は同一のものであった。しかし、独立運動の中で「イスラム教徒」と「ヒンドゥー教徒」との対立が深まり、イスラム教徒地域を「パキスタン」として独立させる構想が浮上した。これを避ける為の努力は独立寸前までなされたものの、最終的にはヒンドゥー教徒地域がインド、イスラム教徒地域がパキスタンとして1947年分離独立をすることとなった。

しかしこの時、インド東部の東ベンガル州がイスラム多数派地域としてパキスタンに組み込まれ東パキスタンとなったものの、遠く離れた両地域を宗教のみで統一しておくことは困難であり、1971年、第三次印パ戦争の結果、東パキスタンがバングラデシュとして分離独立の道を歩んだ。

1972年、イギリス連邦脱退。1977年、クーデターによりズルフィカール・アリー・ブットー大統領兼首相が職を追われ、後に処刑された。1978年、四月革命が起こり社会主義体制に移行したことを切っ掛けに、「ムジャーヒディーン(イスラム義勇兵)」が蜂起し、「アフガニスタン紛争」が始まった。

ソ連のブレジネフはアフガニスタンやソ連国内へイスラム原理主義が飛び火することを恐れ、12月24日にアフガニスタンへ軍事侵攻を開始。アメリカ中央情報局(CIA)はパキスタン経由でムジャーヒディーンを支援した為、アフガニスタンへのパキスタンの影響力が大きくなった。

アメリカがスティンガーミサイルを非公式にムジャーヒディーンへ供与し、ソ連の対ゲリラ戦を苦しめ、ソ連を撤退に追い込んだがその一方で、戦後には武器が大量に残され、ムジャーヒディーンからタリバーン政権が誕生し、更にはアルカーイダが誕生した。

1989年、イギリス連邦に再加盟。1998年、パキスタンによる初の
核実験が成功。これに対し、日米がインド・パキスタン両国へ経済制裁を課した。 1999年5月、インドとのカシミール領有権をめぐる国境紛争が「カルギル紛争」に発展し、核兵器の実戦使用が懸念された。同年10月の無血クーデターで実権を掌握した「パルヴェーズ・ムシャラフ」が、2001年の民政移管でそのまま大統領に横滑りした。

2004年3月以来、連邦直轄部族地域に浸透したターリバーン勢力との間で「ワジリスタン紛争」が始まり、現在も続いている。

2005年、「パキスタン地震」で大きな被害が発生したが、中央政府の弱さから救援体制がたてられず二次被害の拡大につながったとされる。

2007年の大統領選挙で就任した、軍参謀長でもある「ムシャラフ大統領」が、最高裁判所と自身の地位を巡って対立、軍を動員して全土に非常事態宣言と戒厳令を発令する事実上のクーデターをおこなった。

ムシャラフは、11月に陸軍参謀総長を辞職し、文民として大統領に就任し、非常事態宣言を解除するとテレビを通じて発表。しかし、「ベーナズィール・ブットー」が米国の支援を受けて帰国したが、12月27日に演説終了後会場で暗殺されるという「ベーナズィール・ブットー暗殺事件」が起きた為、イギリス連邦の資格停止。

2008年1月、総選挙で人民党と連立するムスリム連盟シャリーフ派などの反ムシャラフ派は、下院議員のほぼ2/3を占めた。5月には、イギリス連邦復帰。8月、それらの影響を受けムシャラフ大統領はついに辞意を表明。人民党総裁の「アースィフ・アリー・ザルダーリー」が新大統領に選出された。

2010年、パキスタン水害が発生。 2011年1月、「ムッタヒダ国民運動(MQM)」が連立から離脱を表明。ギーラーニー連立政権は下院で過半数を割り込む。同年5月、アボッターバードで「ウサーマ・ビン・ラーディン」の殺害が確認された。

同年 11月、アフガニスタン駐留の「国際治安支援部隊(ISAF)」の「北大西洋条約機構(NATO)」軍が北西部の検問所2ヶ所を越境攻撃し、兵士28人が死亡した。この事態に対してギーラーニー首相は内閣国防委員会を招集し、NATO・ISAFの補給経路を遮断した他、南西部バルチスタン州の米軍無人機攻撃の拠点シャムシ空軍基地から15日以内に立ち退くよう米国に求めた。

2012年2月、ザルダーリー大統領の汚職事件を巡って、パキスタン最高裁判所がギーラーニー首相を法廷侮辱罪で起訴し、6月にギーラーニー首相が退任、「ラージャ・パルヴェーズ・アシュラフ」が後任の首相に就任。

2013年5月のパキスタン下院総選挙でパキスタン・ムスリム連盟シャリーフ派が勝利し、6月に「ナワーズ・シャリーフ」が首相に就任。

「パキスタン」の景色はこちら

インダス文明: 紀元前3000〜1500年頃、インダス川流域に栄えた世界最古文明の一つ。モヘンジョダロ、ハラッパーなど総計100以上の遺跡が現存。≫

ガンダーラ美術: 古代インド北西部、インダス川上流のガンダーラ地方(現在のパキスタンのペシャワル)に起こった古代仏教美術。仏教文化とアレクサンドロスの東進に伴い移植されたギリシア文化との融合(インド美術とギリシア美術の融合)により生まれたもので、紀元前1世紀半ばに起こる。紀元1〜2世紀に最盛期を迎え、6世紀頃に衰える。≫

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2016年01月20日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

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