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イスラエル (ISRAEL)

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イスラエル (ISRAEL) : 

公式国名、イスラエル共和国(State of Israel)。西アジアの地中海東岸にあるユダヤ人の共和国。面積、22,072平方`。人口(2014年)、8,157,300人、人口密度、369.58人/平方`。言語、ヘブライ語。2004年のデータではユダヤ教76.2%、ムスリム16.1%、キリスト教2.1%、ドゥルーズ派1.6%、その他3.9%。首都、エルサレム

行政区分とその中心都市は、北部地区(ナザレ)、ハイファ地区(ハイファ)、中央地区(ラムラ)、テルアビブ地区(テルアビブ)、エルサレム地区(エルサレム)、南部地区(アシュドッド)の6地区以外に、ヨルダン川西岸地区占領地をユダヤ・サマリア地区(マアレ・アドゥンミーム)と呼び、行政区画に含んでいる。

イスラエルは宗教の自由を認めている。信仰のあり方についても多様で、戒律を厳しく守ろうとするユダヤ教徒は20%、ある程度個人の自由で守るものが多数派で60%、全く守ろうとしないものも20%いる。キリスト教徒の多くは東方正教会のエルサレム総主教庁ないしはローマ・カトリックの信者が多いがコプト正教会、アルメニア正教会等の信者もいる。一部のユダヤ人の中にはイエス・キリストをメシアとする「メシアニック・ジュダイズム」の人々もいる。

北はレバノン、東はシリアヨルダン、南はエジプトと国境を接している。ガザ地区とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府(パレスチナ国)とは南西および東で接する。西に地中海があり、南は紅海につながっている。ヨルダンとの国境付近に、世界的にも高濃度の塩湖である「死海」がある。

国土は狭く、南北に細長い。南北には470`あるが、東西は一番離れた地点間でも135`である。地中海沿岸地域は低い平野部は肥沃な農地地帯となっている。また、平野部に国民の大半が住んでおり、工業施設の大半も平野部に存在する。北部のガラリヤおよびゴラン地方は比較的豊富な雨量で常に緑が保たれている。中央部は山、ヨルダン渓谷がある。温和な気候だが、南部と東部の砂漠地帯は暑く乾燥している。南部のネゲブ(ネジブ)砂漠は国土のかなりの割合を占めており、乾燥し切り立った山々が存在する。

イスラエルとは、旧約聖書の、ヤコブの子12人に始まる12部族の名。セム系の遊牧民で、パレスチナからエジプトに移住した。紀元前13世紀頃、「モーゼ」に導かれて「カナン(パレスチナ地方の古名)」に至り、紀元前10世紀頃の「ダビデ王」、「ソロモン王」の時代に「ユダヤ王国」は最盛期を迎えた。紀元前63年、「ローマ帝国」に征服され、その支配下にあって抵抗したが独立に失敗し、徹底的に鎮圧されて分散し、以後流浪の民族となった。

19世紀、「パレスチナの地にユダヤ民族の国家を公的に建設する」事を目標とする「シオニズム」が起こり、1897年、スイスで第一回「シオニスト会議」が開催された。20世紀に入り、ヨーロッパから「パレスチナ」へのユダヤ移民が急増、1917年のイギリスが「シオニズム」を支援する「バルフォア宣言」をした事もあり、1930年代にはユダヤ人口は16万人に達した。

1947年、国連は「パレスチナ分割案」を採択したが、反対票を投じたアラブ諸国が決議に強く反発、ユダヤ人国家の武力阻止を宣言。1948年、テルアビブでのイスラエル国家樹立宣言を機に、シリアエジプトレバノンヨルダンイラクがイスラエルと戦争突入(第一次中東戦争)したが、イスラエルの戦力が圧倒した。1949年の休戦協定によりイスラエルは領土を増やし、数十万人のアラブ人が難民化した。

1956年、スエズ運河をめぐって、「イギリス・フランス・イスラエルの共同戦線」がエジプトを攻撃(スエズ動乱=第二次中東戦争)。1964年、「ファタハ(1950年代末、ヤセル・アラファトがエジプト、カイロ大学のパレスチナ学生を中心に結成した)」がイスラエルにゲリラ攻撃し、「パレスチナ人組織(PLO)」を結成し、ゲリラ攻撃が繰り返された。

1967年、イスラエルは、紅海とアカバ湾を結ぶ「チラン海峡」の封鎖宣言をし、エジプトを空爆、エジプト空軍に壊滅的打撃を与えた(6日間戦争=第三次中東戦争)。イスラエルは更に領土を広げ、約40万人のパレスチナ人がヨルダンに逃亡した。1972年、イスラエルのテルアビブの空港で、3人の「日本赤軍」自動小銃の乱射事件を起す。1973年、「エジプトとシリア」がイスラエルを攻撃(10月戦争=第四次中東戦争)し、同月、「アラブ石油輸出国機構(OAPEC)」が、「石油戦略」を発動した為、世界で原油価格が70%も値上、日本では「石油ショック」が起こり、トイレットペーパーまで店頭から無くなると言うパニックが起こった。

1980年、イスラエルとエジプトは国交を回復。1982年、イスラエル軍がレバノン領内に侵攻、PLOとゲリラを西ベイルートから追放した。1987年、「ガザ地区とヨルダン川西岸」の各地でパレスチナ人が、石や火炎ビンでイスラエル軍と衝突し、多数の負傷者や逮捕者を出しゼネストも頻繁化した。

1988年、「パレスチナ民族評議会(PNC)」が、「パレスチナ国家」の独立を宣言。「アラファト議長」は、テロの放棄、イスラエルの生存権を承認し、国連安保理もこれを受諾したが、パレスチナとの泥沼の争いは今も続いている。

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2015年02月21日 | 仕向地ミニ情報 | アジア一覧

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