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スロベニア(SLOVENIA):

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スロベニア = スロヴェニア (SLOVENIA) :

正式名称は、スロベニア共和国(Republic of Slovenia)。スロベニア語では「レプブリカ・スロヴェニヤ(Republika Slovenija)」。面積 20,273平方`、人口(2008年)、202万9千人。アルプスとアドリア海の両方を持つ風光明媚な国である。首都は、「リュブリャナ」。同国唯一の港湾は、「コペル」である。

西にイタリア、南と東にクロアチア、北東にハンガリー、北にオーストリアと接する。南西でアドリア海に面している。アルプス山脈の南端、オーストリアとの国境ともなっている「スロベニア・アルプス」の山々の麓に位置する山岳国で、登山や山岳スキーに世界中から観光客がやってくる。

また、イタリアの「トリエステ」クロアチアの世界遺産「プーラ」に挟まれたアドリア海の最奥の海岸線も国土であり、ヴァカンス向きのリゾート地となっている。

これに対し、クロアチアへと続く内陸部は石灰岩からなるカルスト地形で荒涼とした風景が広がる不毛の土地である。もともと地理用語の「カルスト地形」はスロベニアの地名に由来しており、クロアチア国境に近いクラス地方(ドイツ語名:カルスト)が語源である。

カルスト地形の窪地・穴を表すドリーネも、スロベニア語の谷に由来する。スロベニアは鍾乳洞の宝庫で、「リュブリャナ」の西には延長24`に及ぶ巨大な「ポストイナ鍾乳洞」がある。また、スロベニア南部のクラス地方にある『シュコツィアン洞窟群』には、巨大な「陥没ドリーネ」や、深さ200b以上、長さ約6`の地下川洞窟、滝などがあり、1986年に、ユネスコの世界(自然)遺産に登録されている。「リュブリャナ」からハンガリーにかけてはハンガリー大平原の西端の穀倉地帯である。また、ハンガリーと共に隠れた温泉国でもある。

地方行政は、193の市に区分され。特に人口の多い11市は、日本の政令指定都市に相当する特別な地位にある。その11の市は、「ヴェレニェ」、「クラーニ」、「コペル」、「スロヴェン・グラデツ」、「ツェリェ」、「ノヴァ・ゴリツァ」、「ノヴォ・メスト」、「プトゥイ」、「マリボル」、「ムルスカ・ソボタ」、「リュブリャナ」である。

イタリアやオーストリアに隣接し、冷戦中は西側諸国に近いという地理的条件にあった。スロベニア人の気質は勤勉で秩序的と言われており、文化的にはドイツ語圏の影響を強く受けている。こうした条件の為に、ユーゴスラビア連邦時代は連邦の中で最も経済的に豊かな先進地域となっていた。1991年、ユーゴスラビア連邦から独立した後、初期の経済的混乱から直ぐに立ち直り、「欧州連合(EU)」内でもギリシャ、ポルトガルに匹敵する水準となった。これは、2004年にEUに加盟した旧社会主義諸国の中では最も高い水準で、2008年には旧社会主義諸国で初めて欧州連合の議長国となった。政治面でも、民主的な政体を安定して維持しており、その地理的・経済的特徴が良い影響を与えているとみられる。

6世紀頃に南スラヴ人が定着し、7世紀に南スラヴ系のカランタン人の国家「カランタニア公国」が成立。その後、バイエルン人、ついで「フランク王国」の支配下に入る。その後もフランクの遺領として扱われ、14世紀以降、「東フランク王国」、後の「神聖ローマ帝国」に編入された。その為、現在のチェコ共々西方文化とカトリック教会の影響を強く受け、他の南スラヴ人地域と異なった歴史をもたらす事になる。

15世紀には「*ハプスブルク家」の所領となり、以降「オーストリア大公領」、1867年に「オーストリア・ハンガリー帝国」が成立し「オーストリア帝国」領となった。19世紀初頭、「ナポレオン」の「フランス帝国」による支配を受け、その統治下で「イリュリア州」が設置され、スロベニア語が州の公用語の一つとなり、スロベニア語の発展が勢い付いた。ナポレオンが去ると、「ウィーン会議」で締結された議定書により再びオーストリア領となった。

1918年に「第一次世界大戦」が終了し「オーストリア・ハンガリー帝国」が解体すると「南スラヴ人連合王国」構想に参加。「セルビア・クロアチア・スロベニア王国」となり、1929年に「ユーゴスラビア王国」と改称した。

1941年、ナチス・ドイツの占領下に置かれ、西に接するイタリア王国に、首都「リュブリャナ」を占領され、北東の一部の地域はハンガリーの占領下となり、スロベニア人の住む地域は3つの勢力によって分断されたが、共産主義者達は「パルチザン」に加わり、ドイツ軍等と戦い、スロベニアを含むユーゴスラビア全土を武力でドイツ軍から解放した。大戦前、イタリア領だったイストリア半島を取り返し、スロベニアはコペル周辺で海岸線を手に入れた。

1945年、社会主義体制となったユーゴスラビアに復帰し、ユーゴスラビアの構成国「スロベニア人民共和国」となる。ユーゴスラビアでは戦後一貫して政治・経済の分権化が進められ、ソ連の影響下に置かれた東側諸国とは異なる独自の路線をとり、典型例的な政治の分権化と自主管理社会主義で、自治体へと権限が移管し発展した。

ソ連と距離をおき、西側諸国との友好関係を維持し、西側諸国に隣接した先進的工業地帯という利点を最大限に発揮できた為、経済は大きく発展し、1980年代に、他のユーゴスラビア内の諸地域に大きく差をつけた。

連邦からの独立を求める声は次第に高まり、1980年代にユーゴスラビア連邦が経済苦境に陥ると、経済先進地域であるスロベニアが連邦に支払う負担金が、コソボやマケドニア等の貧しい地域の為に使われている不満から、連邦政府の経済改革を妨害し、連邦に対して支払う負担金を一方的に削減した。

更に、連邦内でのセルビア人の支配力拡大を狙う勢力が、モンテネグロ、ヴォイヴォディナ、コソボの政府を乗っ取って支配力を強め、スロベニア政府に対しても圧力を強めていた事により、連邦からの離脱を決意し、連邦からの離脱権を明記した新しい共和国憲法を制定すると、議会での決定と住民投票を経て、1991年に連邦解消と独立を宣言した。

短期的、小規模な十日間戦争を経て、完全独立を果たし、1992年、連邦構成国だったクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナと同時に国連に加盟。2004年3月にはNATOに、同年5月には「欧州連合(EU)」にも加盟した。

代表的な観光資源は、首都「リュブリャナ」、アルプス山脈の「トリグラウ山(2,864b)」、「ブレッド」「ボーヒニ」等と、アドリア海の「コペル」「ピラン」、温泉等である。

「スロベニア」の風景はこちら

※≪『ハプスブルク家』とは、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系である。中世の血縁制度による政略結婚で、広大な領土を獲得し、南ドイツ最大の大貴族に成長した。中世から20世紀初頭まで強大な勢力を誇り、オーストリアスペインナポリトスカーナ、ボヘミア地方、ハンガリー等の大公・国王・皇帝を輩出し、後半でも、ほぼドイツ全域を統べる神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)の皇帝位を保持、ビスマルクによる統一ドイツ帝国になるまで全ドイツ人の君主であったヨーロッパ随一の名門王家であった。≫

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2013年12月21日 | 仕向地ミニ情報 | ヨーロッパ一覧

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