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ロンドン (LONDON)

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ロンドン (LONDON) : 

イギリスの首都。面積、1,577.3平方`(グレーター・ロンドン)。グレーター・ロンドン人口(2011年)、8,174,100人(イギリス全人口の12.7%)、都市部人口、8,278,251人、都市圏人口、13,709,000人。人口密度、13,466人/平方`。世界の金融、保険市場の中心の一つとして大きな役割を果たしている「*テムズ川」沿いの大都市である。文化的な多様性があり、300以上の言語が使われている。

民族(2009年)は、69.7%が白人(英国人59.5%、アイルランド人2.2%、その他8.0%)、南アジア系13.2%、インド系6.2%、パキスタン系2.8%、バングラデシュ系2.2%、その他のアジア系2.0%。黒人は10.1%である。宗教の割合は、キリスト教58.2%、無宗教15.8%、イスラム教8.5%、ヒンドゥー教4.1%、ユダヤ教2.1%、シク教1.5%、仏教0.8%、その他である。

気候は、海洋性気候で、雨が多い都市という評判があるが、実際の降水量はローマの 834_やボルドーの923_より少ない。冬は11月〜3月にかけ郊外で霜が平均2週間発生する。降雪は通常、年4〜5回12月〜2月にかけてある。冬の気温は−4 ℃以下や14 ℃以上を超えることは滅多に起こらない。夏は通常適度に温かく、時折暑い。平均気温は 24 ℃で、年に7日は 30 ℃を超え2日は32 ℃を超える。雨は夏に、2日〜10日の範囲で見られる。春や秋は季節が混在し、快適である。ヒートアイランドによりロンドン中心部の気温は郊外より5 ℃高い。

イギリスや欧州連合域内で最大の都市圏を形成している。2,000年前のローマ帝国によるロンディニウム創建が都市の起源であり、当時の街の中心部は、現在のシティ・オブ・ロンドンに当たる地域にあった。シティの市街壁内の面積は約1平方マイルあり、中世以来その範囲はほぼ変わっていない。

かつて大英帝国の都としてその名を世界に轟かせたビクトリア王朝時代の荘重感ある建物と緑豊かな公園、大英博物館等を有する古い歴史と伝統が生き続ける都市である。屈指の世界都市として、芸術、商業、教育、娯楽、最先端のファッション、金融、ヘルスケア、メディア、専門サービス、調査開発、観光、交通といった広範囲にわたる分野において強い影響力があり、世界的な文化の中心でもある。

ロックやアートのエンターテイメントなどが息づき、流行を生み出す魅力あふれる大変刺激的な大都市。また、世界で最も来訪者の多い都市で、世界で最も航空旅客数が多い。欧州では最も高等教育機関が集積する都市で、大学が43校ある。また、1908年、1948年、2012年の3度、オリンピックが開催され、同一都市としては史上最多となる。

2010年に紀元前4500年の中石器時代の木材の建物が発見され、ロンドンは考えられていたより古くから人が住んでいたことが分かった。ロンドン周辺には先史時代・古代のケルト系のブリトンの集落跡が点在した形跡があり、最初の大きな開拓は「ローマ帝国」による西暦43年。2世紀には6万人の人口があったが、5世紀初期にはローマは、ロンドンを放棄している。

6世紀から「アングロ・サクソン人」の開拓地が築かれ、人口は10,000〜12,000人程度に達した。ヴァイキングの襲撃が増加し、886年まで続いた。10世紀、国内最大の都市で、貿易面でも最も重要な都市となり、イングランド統一により更に政治面での重要性も高めた。

11世紀、ウェストミンスター寺院を建設され、「ヘイスティングズの戦い」に勝利し、イングランドを征服したノルマンディ公「ギヨーム2世」は、1066年に、ここでイングランド王「ウィリアム1世」として即位し、ホワイト・タワー (後のロンドン塔)を建設し、市民を威圧した。

1097年、「ウィリアム2世」が、ウェストミンスター宮殿の基礎となるウェストミンスター・ホールを建設。12世紀、政府機関がここに集中したが、国庫の機能はロンドン塔に置かれた。ウェストミンスターが首都として政府機能を果たす一方、シティは自治機能を有するイングランド最大の商業都市に発展していた。

その経済力を背景として、12〜13世紀に市長を選出する権利や独自の法廷を持つ権利を獲得し、14世紀半ばからは市参事会を選出し、王権から独立した高度な自治都市となった。人口は1,100年に18,000人、1300年までには100,000人程にまで成長していたが、14世紀半ばにペストが発生し、人口は1/3程度減少した。

1565年、イギリスとオランダとの貿易が急成長し、翌年、王立取引所が設立され、重商主義が進展した。「イギリス東インド会社」を始めとする勅許会社が設立され、貿易は新世界へと拡大した。ロンドン港は北海において重要性を増し、国内外から移住者が来航した。1530年の人口は推計で50,000人、1605年には225,000人に上昇した。

1605年、「ジェームズ1世」の暗殺計画を企てた「火薬陰謀事件」が発生。17世紀初頭や1665〜1666年にはペストが流行し、100,000人または人口の1/5が死亡した。1666年、「ロンドン大火」が発生し、市内の家屋の約85%が焼失し、再建に10年かかった。

1708年、セント・ポール大聖堂が完成。1762年、「ジョージ3世」バッキンガム・ハウスを手中に収め、以後75年間、同邸宅は拡張を続けバッキンガム宮殿となった。18世紀の犯罪率は高く、1750年にはロンドン最初の専業警察として「バウストリートランナーズ」が設立され、総計で200件以上の犯罪に死刑判決が下され、小規模な窃盗罪でも女性や子供も絞首刑に処された。

1831〜1925年頃、世界最大の都市となり、著しく高い人口密度によりコレラが大流行し、1848年に14,000人が死亡、1866年には6,000人が死亡した。渋滞が増加し、1855 年からインフラを整備し、世界初の公共鉄道ネットワークである「ロンドン地下鉄」が開通した。

第二次世界大戦時、ドイツ空軍による空爆により、30,000人の市民が死亡し、市内の多くの建築物が破壊された。終戦直後の1948年、ロンドンオリンピックが開催され、戦後復興をわずかに果たした。1951年、「フェスティバル・オブ・ブリテン」が開催された。

1940年代以降、大量のイギリス連邦加盟国(旧イギリス植民地)出身の移住者が流入し、欧州屈指の多様性をもたらした。1960年代半ば、以降は世界的なユースカルチャーの中心地となり、スウィングロンドンと言ったスタイルが流行し、流行の発信拠点となった。

1965年、都市的地域の拡大した。1981年のブリクストン暴動では、人種差別問題が注目を集めた。また、国際的な金融センターとしての役割は増加の一途をたどった。2000年、ミレニアム記念事業の一環として、「ミレニアム・ドーム」「ロンドン・アイ」「ミレニアム・ブリッジ」が建設された。2005年、「ロンドン同時爆破事件」が発生し地下鉄車両とバスが爆破された。

2012年、ロンドンで三度目の第30回オリンピックが開催された。ビジネス・人材・文化・政治といった分野を対象とした総合的な世界都市ランキングで、ニューヨークに次ぐ世界第2位の都市となった。

観光は、主要な産業の一つであり、海外からの観光客は年間1,400万人にも上りヨーロッパでは最も人が訪れる。観光客の延べ宿泊日数は年間2,700万泊である。様々な博物館が立ち並び、芸術・文化の宝庫であり、見所十分で何日いても見て回れない。英国王室の衛兵達の交代や伝統ある有名店本店などを見て回り、最新の音楽やファッションも楽しい。

2009年に最も観光客が訪れた場所は、「大英博物館」「ナショナル・ギャラリー」「テート・モダン」「ロンドン自然史博物館」「ロンドン・アイ」「サイエンス・ミュージアム」「ロンドン塔」「国立海洋博物館」「ヴィクトリア&アルバート博物館」「マダム・タッソー館」であった。

他の有名なランドマークとしては、「バッキンガム宮殿」「ピカデリーサーカス」「セント・ポール大聖堂」「タワーブリッジ」「トラファルガー広場」「ウェンブリー・スタジアム」がある。多数の博物館、美術館、図書館といった文化施設や、スポーツイベント、文化機関も存在する。「大英図書館」「ウィンブルドン選手権」、40軒の劇場が軒を連ねる「ウェスト・エンド・シアター」は代表的なものである。

また、ロンドンには、 ◆『ロンドン塔』、 ◆『キューガーデン』、 ◆『ウェストミンスター宮殿聖マーガレット教会を含む)』、 ◆『グリニッジ(グリニッジ天文台跡をグリニッジ子午線が通る)』の4つのユネスコの世界文化遺産がある。

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※≪『テムズ川 = テームズ川(River Thames En-uk-Thames.ogg)』: 南イングランドを流れる川で、ロンドンを海とつないでいる。英国で単に「the River」と言えば「テムズ川」のことである。代表的なエスチュアリー(三角江)の入り江をつくる河川である。

この川の名は、ルネサンス期にギリシャ語が語源であるという誤った認識が広まり、読み方を変えずにTemeseからThamesに名前が変更されている。オックスフォード市の中では、テムズ川のラテン語名Thamesisを短くしたアイシス (Isis) と呼ばれている。

川の全長は346`。グロスターシャーのコッツウォルズ丘陵の近くのケンブル村に源泉がある。オックスフォード市の中を流れ、ウォーリングフォード、レディング、ヘンリー・オン・テムズ、マーロウ、メイデンヘッド、イートン、ウィンザー、そしてロンドンの順に流れていく。

流域で伝統的な郡の境界線として使われており、次の郡で境界線となっている。グロースターシャーとウィルトシャー、南岸のバークシャーと北岸のオックスフォードシャー、バークシャーとバッキンガムシャー、バッキンガムシャーとサリー、サリーとミドルセックス、エセックスとケントの6つの境界線である。現在でもテムズ川で行政区分を設定していることが多いが、以前より少なくなってきている。

大ロンドン市にたどり着くと、ハンプトン・コートリッチモンドサイオン・ハウスキューの横を流れ、ロンドン市内を通過し、グリニッジダートフォードを流れ、ノアと呼ばれている河口にたどり着く。

ロンドン市内より更に上流、河口から90`の距離まで、北海の潮汐の影響を受ける。ロンドンはローマ帝国支配下の紀元前43年に満潮時に潮が達した地点に築かれたという逸話があるが、2000年ほどの時間の間に更に上流まで遡るようになって仕舞っている。ロンドン市内では、水は海水と混ざり少し黒い色をしている。

テムズ川の主な支流は、ダレント川、レイベンズボーン川(またの名をデプトフォード・クリーク)、フリート川、ブレント川、リー川ウェストボーン川、エフラ川、ケン川、モール川、ウェイ川、ロッドン川、ケネット川、テーム川、チャーウェル川、ウィンドラッシュ川、コール川、チャーン川、それにワンドル川である。

洪水を防ぐ為にメイデンヘッドとウィンザーの間にジュビリー川という人工河川があり、テムズ川をつないでいる。ロンドンの西側の地区は時々テムズ・バレーと呼ばれており、東側の地区はテムズ・ゲートウェイと呼ばれている。この2つの呼び名は地区開発業者や政策文章によく登場する。≫

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2014年02月17日 | 仕向地ミニ情報 | ヨーロッパ一覧

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