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ベラルーシ (BELARUS)

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ベラルーシ (BELARUS) : 

公式国名、:ベラルーシ共和国(Republic of Belarus)。東ヨーロッパに位置する共和制国家。東にロシア、南にウクライナ、西にポーランド、北西にリトアニア、ラトビアと国境を接する。面積、20万7,600平方`(本州の90%)。人口(2008年)963万4千人。2000年の推計は、1,036万6,719人で減少している。人種、ベラルーシ人78%、ロシア人13%、ポーランド人4%、ウクライナ人3%。言語、ベラルーシ語、ロシア語(ともに公用語)。宗教、東方正教会80%、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教、イスラム教。

首都は「ミンスク」。主要都市は、「フロドナ(グロドノ)」「ノヴァフルデク(ナヴォグルデク、ナウガルドゥカス)」、「スロニム」、「ブレスト(ブレスト・リトフスク)」、「ピンスク」、「ヴィツェプスク(ヴィテプスク)」、「マヒリョウ(モギリョフ)」、「ホメリ(ホミェリ、ゴメリ)」、「マズィル」、「バラーナヴィチ」など。
           
旧ソビエト連邦の構成国で、1991年8月ソ連より独立。大半がロシア平原に属す平坦な内陸国。国土の大部分が低地であり、中部から北部にかけてベラルーシ丘陵が東西に延び、氷河時代の氷食作用による湖沼が点在している。最高点のジェルジンスカヤ丘陵でも海抜345bである。南部は「ドニエプル川」の支流地帯で、「ポレーシェ湿地」が広がり湿地は国土の20%を占める。約1万1千もの湖があり、それを突き通す様に、北部を通る「ダウガバ川」、西部を通る「ネマン川」、東部を通る「ドニエプル川」とその支流である「プリピャチ川」、「ベレジナ川」、「ソジ川」等の主要河川がある。

大陸性気候だが、北部と西部は大西洋からの西風の影響で、湿潤大陸性気候で、冬の寒さもそれほど厳しくない。おおむね温暖で湿度が高いが、東部は冷涼で、大陸性気候の特徴が見られる。年間降水量は600〜800_ほど。

主な天然資源は森林で、国土の45.3%もの面積を占めている。その他、地下資源は泥炭、花崗岩、泥灰岩、チョークと、少量の石油と天然ガスが採れる。農業は、ライ麦、ジャガイモ、テンサイ、亜麻などを栽培、酪農も盛ん。工業は、食品、木材製品、繊維、農業機械、自動車、石油化学製品を製造。エネルギーはほとんどロシアからの輸入に頼っていた。

6〜8世紀に「スラヴ民族」が移住開始したと一般に言われていたが、近年では古代から既にスラヴ民族はこの地に定住し続けていたという説が有力である。9世紀の「ポロツク公国」がベラルーシの始まりとされ、バルト海と黒海を結ぶ通商路として繁栄した。10〜11世紀に公国は領域を拡大し、「キエフ・ルーシ」や「ノヴゴロド公国」と争った。南部には10世紀末に「トゥーロフ公国」が成立。一時、「モンゴル」に征服される。12〜13世紀前半には、10前後の公国が存在し、ベラルーシ人の民族意識が高まり、団結し「ドイツ騎士団」や「モンゴル帝国」と戦った。

13世紀までにベラルーシ地域の公国は全て「リトアニア大公国」に併合された。1385年、ポーランド・リトアニア合同が成立。1430年に最初のリトアニア大公である「ヴィータウタス」が滅亡。1569年に、「ポーランド・リトアニア共和国」が成立すると、リトアニア人とベラルーシ人を含むリトアニア大公国のほぼ総ての貴族がポーランド化し、1795年までの三度に渡るポーランド分割によりベラルーシ地域が「ロシア帝国」に併合されるまで続いた。

ロシア帝国の支配時代、貴族達は独立をめざす蜂起を2度起こした。1830年11月に行われた大蜂起「11月蜂起」が失敗に終わり、1863年に2度目の大蜂起「1月蜂起」を起こすがロシア帝国により再び鎮圧されると、ポーランド貴族や商工民やインテリは徹底的な迫害され、中産階級以上の人々は亡命するか、財産を没収されて無産者となり、中産階級が滅亡した。その結果、ベラルーシに残った人々の大半は農民となり、ロシア帝国による直接支配が進んだ。

1917年に「ロシア革命」が起こり、第一次世界大戦の間占領していたドイツ軍の占領が終わった後、1918年には史上初の独立国となる「ベラルーシ人民共和国」が樹立されたが、1919年には「白ロシア・ソビエト社会主義共和国」が成立し、1922年にはソ連に加盟する。この頃に起こった「ポーランド・ソビエト戦争」での「リガ条約」により西半分がポーランドに割譲された。

1939年の第二次世界大戦の勃発により、ソ連軍はポーランドに侵攻。ポーランド東半分の占領と共に、割譲されていた領土を白ロシアに編入した。1941年から、「ナチス・ドイツ」に占領されていたが、1944年にソ連に復帰する。ナチスドイツとの戦闘は「ベラルーシ作戦」として戦史に残る。1945年に第二次世界大戦が終わると、ポツダム会談での取り決めによってソ連とポーランドの国境が西へ移動され、ベラルーシ全域が「ソ連領ベラルーシ共和国」となった。

1986年、ベラルーシ共和国の南のウクライナの最北部にある「チョルノーブィリ原発事故」が発生し、おりからの南風に乗って放射性物質が国境を越え、南東部の「ホミェリ(ゴメリ)州」を中心とする地域に大きな被害が及んだ。特に、外で遊んでいた子供たちへの被害は甚大で、その1/3が甲状腺癌に侵された。1990年に独立宣言(主権宣言)を行い、1991年に独立が承認された。同年の12月8日にはベラルーシ最西部のベロヴェーシの森で、ロシアの「ボリス・エリツィン」、ウクライナの「レオニード・クラフチュク」、ベラルーシの「スタニスラフ・シュシケビッチ」の三者の間でソ連の解体を宣言、独立国家共同体 (CIS) 創設に関する協定が締結され、9月15日には国名が正式に「ベラルーシ共和国」となった。

1994年に実施された大統領選挙では、ロシア連邦との統合を目指すなどの選挙公約を打ち出したアレクサンドル・ルカシェンコが当選した。ルカシェンコ大統領は、1999年12月8日に、ロシア連邦の「ボリス・エリツィン大統領」との間に、将来の両国の政治・経済・軍事などの各分野においての統合を目指す「ロシア・ベラルーシ連邦国家創設条約」に調印した。しかし、その後、「プーチン」がロシア連邦の新大統領として就任すると、プーチンのベラルーシをロシアに吸収合併する統合構想に反発し、以降何も進展が無い。2010年に「ウクライナ」で親ロシア派の政権が誕生したが、ルカシェンコ大統領の「ベラルーシを大国と認識し、自身をロシアの対等なパートナーと認めよ」と言わんばかりの偉そうな振る舞いに、ロシアのメドベージェフ大統領は、2010年10月3日にルカシェンコ大統領を厳しく批判し、ベラルーシとの関係がこじれている。

一方、2010年12月の大統領選挙では、選挙後に野党の候補者が政権により拘束されたという。この為、EUとアメリカが制裁を決定する等、現在のベラルーシは国際社会からの孤立を深めている。ルカシェンコが四選を果たした直後から2011年7月現在に至るまで、ベラルーシ国内は深刻な経済危機に陥っている。そんな中、SNS等での呼びかけで、市民の間でルカシェンコ政権への抗議運動が発生し始めている。市民達は無言で拍手をしながら街を練り歩くと言う静かで平和的な抗議運動を行っているが、治安当局はデモ隊の徹底した弾圧を実行している。

ベラルーシ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された ◎文化遺産が3件、 ◆『ミール城の建造物群』、 ◆『ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体』 、 ◆『シュトルーヴェの測地弧(他9ヶ国と共有)』、 ◎自然遺産が1件、 ◆『ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森(ポーランドとまたがる)』が存在する。

「ベラルーシ」の風景はこちら

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2014年03月02日 | 仕向地ミニ情報 | ヨーロッパ一覧

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