仕向地ミニ情報 | ヨーロッパ
国際輸送のエキスパート ジー・ティー・シー エイシア株式会社

ハンガリー (HUNGARY)

XML RSS

ハンガリー (HUNGARY) : 

公式国名、2012年から「ハンガリー」(新憲法「ハンガリー基本法」による)。1989〜2011年までは、「ハンガリー共和国(Republic of Hungary)」。ヨーロッパの中央部、ドナウ川中流域のハンガリー盆地を中心とする内陸の共和国。面積、93,030平方`(日本の約1/4)。人口、(2011年)9,985,722人、人口減少国である(2000年人口、10,138,844人)。住民の民族構成は、大多数はアジア系のマジャル人で95%、ドイツ人1%、その他4%。言語はハンガリー(マジャール)語(公用語)。宗教は、カトリック67.5%、カルビン主義20%、ルター派5%。各地に温泉が湧き出ており、公衆浴場が古くから建設・利用されてきたヨーロッパ有数の「温泉大国」であり、多くの観光客が温泉目当てに押し寄せる。「トランシルヴァニア地方」等、ルーマニアとの国境係争地帯を持っている。

西にスロベニア、北にスロバキア、東にウクライナルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国であり、「カルパティア山脈」の麓に広がる「カルパート盆地」の内の平野部をなす。「ハンガリー平原」又は「ハンガリー盆地」と呼ばれる国土の中心は、中央を流れる「ドナウ川」によってほぼ二分され、東には大きな支流の「ティサ川」も流れている。東部と南部の平野部には肥沃な農地が広がる。西部には中欧最大の「バラトン湖」がある。南部には「アルフェルド」と呼ばれる低地、盆地内には「プスタ」と呼ばれる大草原が広がっている。

大陸性気候に属する気候は比較的穏やかで、四季もある。緯度が比較的高く、冬季は寒さが厳しく乾燥するが、地中海から海洋性気候の影響を受け、冬も湿潤で、曇りがちである。年間平均気温は10℃前後。年間降水量は600_程度と少なめで一年を通して平均している。

ハンガリーは40の地方行政区分に区分される。首都ブダペスト=ブダペシュトは独立自治区である。県名と県都名の内訳(9主要都市は人口表示(2005年))は、 ◎『西部』: ヴァシュ県(ソンバトヘイ)、ザラ県(ザラエゲルセグ)、ショモジ県(カポシュヴァール)、ヴェスプレーム県(ヴェスプレーム)、ジェール・モション・ショプロン県(ジェール)。 ◎『中部』: コマーロム・エステルゴム県(タタバーニャ)、フェイェール県(セーケシュフェヘールヴァール)、ペシュト県(ブダペスト=ブダペシュト)、ノーグラード県(シャルゴータールヤーン)。 ◎『南部』: トルナ県(セクサールド)、バラニャ県(ペーチ)、バーチ・キシュクン県(ケチケメート)、チョングラード県(セゲド)。 ◎『東部』: ベーケーシュ県(ベーケーシュチャバ)、ヘヴェシュ県(エゲル)、ハイドゥー・ビハール県(デブレツェン)、ヤース・ナジクン・ソルノク県(ソルノク)、サボルチ・サトマール・ベレグ県(ニーレジハーザ)、ボルショド・アバウーイ・ゼンプレーン県(ミシュコルツ)である。

産業は農業、工業ともに発展し、生産性や技術力も東欧随一で、市場経済への移行は最終段階まで進んでいる。農業では小麦、トウモロコシ、ワイン、食肉が生産され、「欧州の穀倉」とも呼ばれる食糧輸出国である。ドナウ川西岸のドゥナーントゥール地方では、古くからフォアグラの生産が盛んである。ワインの生産も盛んで、トカイワインなどが有名である。地下資源はボーキサイト、石炭、鉄鋼石が産出される。工業は重化学工業が発達し、アルミニウム、鉄鋼、機械、化学肥料、医薬品を製造している。1990年に市場経済へ移行した直後は混乱したが、1994年頃から復調している。

ハンガリー平原には、古来より様々な民族が侵入し、定着してきた。古代には「パンノニア」と呼ばれ「パンノニア族」等が住んでいた。紀元前1世紀には「ローマ」に占領され、4世紀後半には「フン族」が侵入し独立国家が初めて誕生した。6世紀には「アヴァール」が侵入。その後、8世紀には「フランク王国」の支配下に移るがほどなく後退した。9世紀には「ウラル山脈」を起源とする「マジャル人」が移住してきた。10世紀末に即位したハンガリー人の君主「イシュトヴァーン一世」は、西ヨーロッパのカトリック諸王国の一員となる「ハンガリー王国(アールパード朝)」を建国し、やがて「トランシルヴァニア」、「ヴォイヴォディナ」、「クロアチア」、「ダルマチア」等を広く支配する大国に発展する。

13世紀には「モンゴル帝国」の襲来を受け大きな被害を受けたが、14〜15世紀頃には周辺の諸王国と同君連合を結んで中央ヨーロッパの強国となった。しかし、15世紀後半から「オスマン帝国」の強い圧力を受け、1526年に「モハーチの戦い」に敗れ、国王「ラヨシュ2世」が戦死。1541年にブダが陥落し、東南部と中部の2/3をオスマン帝国、北西部の1/3を「*ハプスブルク家」の「オーストリア」によって分割支配され、両帝国のぶつかりあう最前線となった。

オスマン帝国が後退した、1699年にはオーストリアに割譲されたが、度々独立運動が繰り返された。1848年の「3月革命」では、ロシア帝国の介入により独立運動は失敗したが、1867年の「キエッジェズィーシュ(和協)」で、「ハプスブルク家」がオーストリアとハンガリーの二重君主として「オーストリア=ハンガリー帝国」となり、この体制下で、資本主義経済が発展し、ナショナリズムが高揚したが、第一次世界大戦で敗戦国となり、オーストリアと分離された。1918年に共和制国家である「ハンガリー民主共和国」が成立した。その後「ハンガリー革命」で「ハンガリー・ソビエト共和国」が成立したが「ハンガリー・ルーマニア戦争」で打倒され、1920年、72%の面積と、64%の人口を失った。

1920年「ハンガリー王国」の成立を宣言、ドイツの後押しもあり「ミュンヘン協定」や「ウィーン裁定」、「スロバキア・ハンガリー戦争」等で一部領土を回復した。第二次世界大戦では、失地回復の為と「ナチスドイツ」からの圧迫を防ぐため枢軸国に加わったが、戦局は次第に劣勢となっていった。1945年には、ナチスドイツが降伏・崩壊し、全土は「ソビエト連邦」に占領され、王国は事実上崩壊し、共産化の推進で1946年に王制が廃止。ソ連占領下では「ハンガリー共和国(第二共和国)」が成立したものの、1949年に「ハンガリー人民共和国」が成立し、共産党一党独裁国家としてソ連の衛星国となり、冷戦体制の中では東側の共産圏に属したが、ソ連に対する反発も根強く、1956年に「ハンガリー動乱」が起こり、ソ連に鎮圧された。

1980年代後半になると、ソ連のペレストロイカと共に、共産党独裁の限界が明らかとなり、1989年に、西側のオーストリアとの国境に設けられていた鉄条網「鉄のカーテン」を撤去し、国境を開放した。これにより西ドイツへの亡命を求める東ドイツ市民が殺到、「汎ヨーロッパ・ピクニック」を引き起こし、冷戦を終結させる大きな引き金となった。そして、1980年代後半の「ハンガリー民主化運動」の結果、1989年8月には「人民共和国」は崩壊、同年10月、新憲法の施行によって「ハンガリー第三共和国」が成立。1990年代、ヨーロッパ社会への復帰を目指して改革開放を進め、1999年に「北大西洋条約機構(NATO)」に、2004年に「欧州連合(EU)」 に加盟した。

2011年に新憲法「ハンガリー基本法」への改正が行われ、2012年から国名も「ハンガリー共和国」から単に「ハンガリー(ハンガリー語:Magyarország、英語表記:Hungary)」と変更された。

「ヘーヴィーズ温泉湖」: 自然温水湖で、ハンガリーにおいて最も古くから知られており、古代ローマ時代の記録に遡り、2,000年の歴史がある。4.4f、水深38b、泉質は硫黄、ラジウム、カルシウム、マグネシウム等のミネラルを含む。泉からは大量に湧き出し、48時間で水が入れ替わる。水温は冬は23〜25℃、夏は33〜36℃である。

ハンガリーにはユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、更にオーストリアにまたがって文化遺産が1件、また、自然遺産はスロバキアにまたがって1件のが登録されている。それ等の内訳は、

◎『文化遺産』: ◆「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区及びアンドラーシ通り」: ハンガリーの首都ブダペストの街並みが、1987年登録されたもので、登録名が示す様に「ドナウ川両岸の歴史地区」と「アンドラーシ通」りが対象となっている。2002年に拡大登録。 ◆「ホッローケーの旧集落とその周辺」: ハンガリーで最も美しい村とも評される伝統的な村落が保たれている。古民家の建ち並ぶ中心的な通りが1987年に古村として世界で初めて登録された。 ◆「パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境」: 1996年に登録。ハンガリーでは最古級の歴史的建造物で、パンノンハルマ市の最も有名なランドマークでもある。この大修道院は町に隣接する小高い丘(282b)の上にあり、トゥールの「聖マルティヌス」がこの丘の麓で生まれたと信じられていて、かつて「聖マルティヌスの丘」と呼ばれ、修道院もそれに因む名前で呼ばれることがあった。 ◆「ホルトバージ国立公園-プスタ」: ハンガリー大平原とも呼ばれる「アルフェルド」の一部で、ハンガリーの東部、デブレツェンの近くに位置する。1973年にハンガリー初の国立公園に制定され、1999年に世界遺産に選出された。ハンガリー内で最大(面積800平方`)の保護地域であり、現存する中央ヨーロッパ最大の牧草地でもある。畜産業者により乳牛、肉牛、羊、馬が飼育され、様々な種類の野生生物(現在までに342種類の鳥類が登録)に適した生息地でもある。 ◆「ペーチの初期キリスト教墓地遺跡」: バラニャ県の都市で、2010年度の欧州文化首都に選ばれた。 ◆「フェルテー湖・ノイジードラーゼー湖の文化的景観」: 面積は315平方`で、うち240平方`がオーストリア領に、残る75平方`がハンガリー領に、それぞれ属している。南北に約36`伸びており、東西の幅はおよそ6〜12`の間である。 ◆「トカイのワイン産地の歴史的・文化的景観」: 「トカイ地方」は遥か以前より、貴腐ワインの名産地としてその名を知られていた。ハンガリー北東部に位置する歴史的なワイン産地で、28の有名な村と7,000fのブドウ畑から成る。ブドウ畑のうち、現在も5,000fで栽培が行われている。2002年に登録されているが、ブドウ畑の文化的景観は珍しい例の一つである。

◎『自然遺産』: ◆「アグテレク・カルストスロバキア・カルストの洞窟群」: ハンガリー北東部の「ボルショド・アバウーイ・ゼンプレーム県」を中心に拡がるカルスト台地。一帯は、「アグテレク国立公園」に指定され、1995年に世界遺産に登録され、更に、2000年に国境を接する「スロヴァキア・カルストの洞窟」とあわせて、共同登録されている。

「ハンガリー」の風景はこちら

※≪『ハプスブルク家』とは、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系である。中世の血縁制度による政略結婚で、広大な領土を獲得し、南ドイツ最大の大貴族に成長した。中世から20世紀初頭まで強大な勢力を誇り、オーストリアスペインナポリトスカーナ、ボヘミア地方、ハンガリー等の大公・国王・皇帝を輩出し、後半でも、ほぼドイツ全域を統べる神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)の皇帝位を保持、ビスマルクによる統一ドイツ帝国になるまで全ドイツ人の君主であったヨーロッパ随一の名門王家であった。≫

※それでは、GTC ASIAのFCL・LCLコンテナ小口混載(コンソリデーション)・国際複合一貫輸送サービスのご利用を宜しくお願い致します。

2014年03月08日 | 仕向地ミニ情報 | ヨーロッパ一覧

Copyright 2007- GTC ASIA CORPORATION. All rights reserved