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中華人民共和国・中国 (CHINA)

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中華人民共和国・中国 (CHINA) :

「中華人民共和国」は、東アジアのユーラシア大陸東部に位置する1949年に「中国共産党」により建国された社会主義国家である。総面積、9,634,057平方`、総人口(2015年)、(2012年)、137,462,000人。人口密度、145人/平方`。首都は北京市

最大の民族は、漢(汉)族で人口の92%を占め、その他の55の少数民族が残りの8%を占める。少数民族のなかではチワン(壮)族(1,600万人)、満(满)族(1,000万人)、回族(900万人)、ミャオ(苗)族(800万人)、ウイグル(维吾尔)族(700万人)、イ(彝)族(700万人)、モンゴル(蒙古)族(500万人)、チベット(藏)族(500万人)、プイ(布依)族(300万人)、朝鮮族(200万人)が比較的大きな民族集団である。

行政区分は、23省(台湾を含む)・5自治区・4直轄市・2特別行政区に分けられ、計34の一級行政区が存在する。 §23省: 安徽省福建省甘粛省広東省貴州省海南省河北省黒竜江省河南省湖北省湖南省江蘇省江西省吉林省遼寧省青海省陝西省山東省山西省四川省雲南省浙江省 (省名に付く漢字は、河が黄河、湖が洞庭湖、江が長江、山が太行山脈を意味する)。 §5自治区: 広西チワン族自治区内モンゴル自治区寧夏回族自治区新疆ウイグル自治区チベット自治区。 §4直轄市: 北京市重慶市上海市天津市。 §2特別行政区: マカオ香港

行政区分は2008年国勢調査による出稼ぎ労働者を含まない人口上位22の都市名・人口を表示すると、 §1位:上海(直轄市)・1,446万人、 §2位:北京(直轄市)・1,277万人、 §3位:広州・1,181万人、 §4位:深圳・1,171万人、 §5位:東莞・765万人、 §6位:天津(直轄市)・720万人、 §7位:香港(特別行政区)・6,985,200人、 §8位:武漢・524万人、 §9位:瀋陽・456万人、 §10位:南京415万人、 §11位:重慶(直轄市)415万人、 §12位:成都386万人、 §13位:杭州341万人、 §14位:西安・334万人、 §15位:青島・333万人、 §16位:哈爾浜・298万人、 §17位:長春・244万人、 §18位:長沙・239万人、 §19位:南昌・231万人、 §20位:石家荘・227万人、 §21位:大連・227万人、 §22位:済南・223万人である。

3,000年以上にわたり、中国では幾多の王朝が興亡を経た。「殷王朝」滅亡の後、中原に栄えた「周王国」の統治の形骸化後、春秋戦国時代の群雄割拠を経て帝国として最初の統一を果たしたのは「秦の始皇帝」の時代であり、以後、中国大陸では「前漢」、「新」、「後漢」「隋」「唐」「北宋」「南宋」など中国文明の正統を自任する中華帝国が興亡を繰り返してきた。漢族の王朝「明朝」が1644年に滅亡し、満州人の王朝「清朝」が最後の王朝として中原王朝の座を掌握し、「康熙帝」「雍正帝」「乾隆帝」らの治世によって、清朝は中国史上最大の版図を達成した。

清朝が1840〜1842年の「アヘン戦争」でイギリスに敗れ、香港を割譲すると、以後西洋列強による半植民地化が始まった。1856年にイギリス、フランス相手に勃発した「アロー戦争」で敗北。1858年には、外満州はロシア領に組み込まれた。1884〜1885年の「清仏戦争」でフランスに敗北し、1894〜1895年の「日清戦争」で日本に敗れ列強による本格的な植民地化が進行した。1900年に義和団による民衆反乱「義和団の乱」、清朝は列強に宣戦を布告したが、「北清事変」で八ヵ国連合軍に敗北。1904〜1905年の「日露戦争」に敗れたロシアは満洲から撤退。1911年の「孫文」率いる「辛亥革命」勃発で、1912年に中華民国が成立、「宣統帝」が退位し、清朝は滅亡した。

中華民国成立後も列強による中国大陸の局地的な支配が続き、中国内も軍閥の群雄割拠で、統一国家の体をなさない混乱状態が暫く続いた。一方で、1914年に勃発した「第一次世界大戦」中の1919年には反帝国主義を掲げる「五四運動」が発生し、ロシア内戦中にはシベリアに軍を派遣し赤軍と連携して駐留日本軍を殲滅した事もある。また、非漢族居住地のモンゴル・東トルキスタン等の支配も目論んだが、活発な抵抗運動があった。

満洲では、1929年にソ連赤軍の侵攻で敗北。1930年代の「満洲事変」により、日本の支援を受けた「満州国」の建国後、中国国民党と中国共産党が1936年の「西安事件」で第二次国共合作したが、「日中戦争」で中国大陸の多くが日本の影響下におかれ、南モンゴルでは蒙古聯合自治政府による自治が認められた。

1945年の「ソ華友好同盟条約」で、旅順大連南満州鉄道がソ連に引き渡され、1945年の第二次世界大戦での日本の敗北で日本は中国大陸から撤退し、中華民国が香港マカオ・旅順・大連等を除く中国大陸を改めて完全統治した。しかし、1930年代から断続的に起きた国共内戦で、毛沢東が率いる中国共産党の中国人民解放軍が中華民国国軍に勝利し、1949年に共産主義政党による一党独裁国家「中華人民共和国」を樹立、翌年までに台湾および福建省の一部島嶼を除いて中華民国の統治地域を制圧した。

毛沢東時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進し、毛沢東思想に基づき、中国共産党を軸にした世界革命路線を強固に推進し、建国直後の1949年にウイグルを占領。1950年にはチベットを併合。1951年にはソ連から旅順・大連・南満州鉄道が返還された。1952年には「朝鮮戦争」に介入し、韓国軍・アメリカ軍を主体とする国連軍の朝鮮統一を阻止した。

大躍進政策と核開発を行い、多くの餓死者と被爆者を出しながらも核保有国としての地位を確保。1959年のチベット蜂起を鎮圧すると、1962年にはチベットからインドに侵攻。1969年には中ソ国境地帯の「珍宝島(ダマンスキー島)」を巡って「中ソ国境紛争」が勃発した。また、内政では毛沢東が、1966年より「プロレタリア文化大革命(文革)」を発動し、紅衛兵が呼応した為、宗教関係者等の「反革命派」と目された人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。

内モンゴルや満洲の先住民族には「内モンゴル人民革命党粛清事件」等の粛清を行い、外交では1971年の「国際連合総会」で、それまで国際連合常任理事国だった中華民国(台湾)に代わって国連安全保障理事会常任理事国となった。また、1972年のニクソン大統領訪中を契機にソ連と対立するアメリカ合衆国との関係が緩和され、日本の田中角栄首相と日中国交正常化を果たし、ソ連の影響から離れて資本主義諸国との関係を改善した。1974年には南シナ海に侵攻し、ベトナム支配下の西沙諸島を占領した。

文化大革命は1976年の毛沢東の死と共に終結し、華国鋒が毛沢東の後を継いだが、1978年に、ケ小平が実権を掌握した。ケ小平時代以降の中国は、ケ小平理論に基づいて政治体制は中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつも、市場経済導入等の経済開放政策を取り、中国の近代化を進めた。

中ソ対立の中、1978年「カンボジア・ベトナム戦争」で「カンプチア救国民族統一戦線」と「ベトナム人民軍」が侵攻し、1979年に中国が支援する「ポル・ポト政権」を打倒すると、親ソ派のベトナムに侵攻し「中越戦争」を起こした。1984年に再び「中越国境紛争」をお越し、1988年にベトナム支配下のジョンソン南礁を占領。

1980年代以来の改革開放で、「世界の工場」と呼ばれ経済が急成長した。また、政府は、共産党の一党体制維持の為、1989年の「六四天安門事件」等が起きた。共産党員の中にも「政治開放が必要」との声も上がる程であったが、ケ小平は、天安門広場の学生に戦車と銃を向け「経済は開放しても、共産党独裁は変えない」という強い姿勢を示した。

経済の開放を強力に推し進めた結果、全国民の0.4%が全国家所得の70%を占有する様になり国民所得の格差が年々拡大している。また、著しい環境汚染を引き起こし、空気汚染によるPM2.5が重大な健康被害を引き起こし、交通機関・船舶の航行が出来なくなる程の障害を齎し、近隣の韓国・日本等にもその被害が及んでいる。

中国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が22件、自然遺産が4件、複合遺産が4件ある。名称と登録年の内訳は、 ◆『文化遺産』: §「万里の長城(1987年)」 、 §「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮(1987年、2004年拡大)」、 §「莫高窟(1987年)」、 §「秦始皇帝陵(1987年)」、 §「周口店の北京原人遺跡(1987年)」、 §「承徳避暑山荘と外八廟(1994年)」、 §「曲阜の孔廟、孔林、孔府(1994年)」、 §「武当山古建築(1994年)」、 §「ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群(1994年、2000年・2001年拡大)」、 §「廬山(1996年)」、 §「麗江古城(1997年)」、 §「平遥古城(1997年)」、「蘇州古典園林(1997年、2000年拡大)」、 §「頤和園(1998年)」、 §「天壇(1998年)」、 §「大足石刻(1999年)」、 §「青城山と都江堰(2000年)」、 §「安徽南部の古村落―西逓と宏村(2000年)」、 §「龍門石窟(2000年)」、 §「明・清王朝の皇帝墓群(2000年、2003年・2004年拡大)」、 §「雲崗石窟(2001年)」、 §「高句麗前期の都城と古墳(2004年)」、 §「マカオ歴史地区(2005年)」、「殷墟(2006年)」、 §「福建土楼(2008年)」、 §「五台山(2009年)」、 §「「天地の中央」にある登封の史跡群(2010年)」、 §「杭州西湖の文化的景観(2011年)」、 §「開平楼閣と村落(2007年)」。 ◆『自然遺産』: §「九寨溝(1992年)」、 §「黄龍風景区(1992年)」、 §「武陵源(1992年)」、 §「三江併流(2003年)」、 §「四川省のジャイアントパンダ保護区(2006年)」、 §「中国南方カルスト(2007年)」、 §「三清山(2008年)」、 §「中国丹霞(2010年)」。 ◆『複合遺産』: §「泰山(1987年)」、 §「黄山(1990年)」、 §「峨眉山と楽山大仏(1996年)」、 §「武夷山(1999年)」である。

「中華人民共和国」の風景はこちら

※≪中国とは、中華と同義。ユーラシア大陸の東部を占める地域と、そこに成立した国家や社会を指す。アジア大陸の東部に広がる一帯のことで、近年では「中華人民共和国」の略称となっている。中国大陸とそれに付随する島嶼であり、現代の中国社会の中心的地位を占めている漢民族だが、一時は中国全土を支配していたモンゴル等、様々な民族による複数の王朝の出現、滅亡、戦乱を繰り返してきた。

紀元前には既に「中国(中國)」の文字は史書に現れていた。清代までの中国には「王朝」の概念はあれど「国家」の概念は無く、「天下あって国家無し」と言える状態だった為、王朝の名前が対外・対内的な呼称として用いられていた。19世紀半ば以降、中国が世界的な主権国家体制に組み込まれてゆく過程で、「中国」という用語が主権国家の自称として広く用いられる様になり、次第に固有名詞としての性格を濃くした。また、その地域、文明、民族を広く指し、紀元前からの文明の総体をも含めて用いられている。

中国という用語は、元は漢民族や国家を指す語ではなく、ベトナムでは「阮朝」が自国を「中国(チュンコック)」と呼び、日本でも自国を「葦原中国(あしはらのなかつくに)」或は「中国(なかつくに)」という美称を用いていた。現に、遼(内モンゴル・契丹人(キタイ人))、金(女真族)、元(モンゴル)、清(満州族)の4王朝は漢民族を支配して中華帝国の系統に属する王朝を作ったが、自民族の文化も保持し続け、漢民族に対しては征服王朝として振る舞った。

現在「中国」・「中華」は、「中華民国」及び「中華人民共和国」において、夫々の国号としている。≫

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2017年02月23日 | 仕向地ミニ情報一覧

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