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ブラジル (BRAZIL)

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ブラジル (BRAZIL) : 

公式国名、ブラジル連邦共和国(Federative Republic of Brazil)。アマゾン川上流域の低地と南東部の高原および南西部のラプラタ川上流のつくる沖積平野からなる南アメリカ大陸の東部を占める連邦共和国。面積、851万2千平方`(日本の約22.5倍)、人口(2010年)1億9,373万4千人。移民を中心に形成された国で、住民の大多数は白人。欧州系白人55%、混血38%、その他アフリカ系東洋系等。言語、ポルトガル語。宗教、カトリック教徒約90%。首都、「ブラジリア」。通貨、レアル。世界一のコーヒー産出国。

ポルトガル語では「Brasil」と綴られるが、英語では「Brazil」と綴られる。但し、首都のブラジリアについては英語でも「Brasília」と表記される。気候は、ケッペンの気候区分によると、国土の93%は熱帯地域に属す。大西洋沿岸は全体的に温暖な為、「リオデジャネイロ」や「レシーフェ」等のリゾート地が多い。南部三州では雪が降る事もある。

チリとエクアドル以外の全ての南米諸国と国境を接している。また、大西洋上のフェルナンド・デ・ノローニャ諸島、トリンダージ島、セントピーター・セントポール群島もブラジル領に属する。

南アメリカ大陸・ラテンアメリカ最大の面積と人口を擁する国家で、面積は世界第5位である。国土面積はで、アメリカ合衆国よりは約110万平方`小さいが、ロシアを除いたヨーロッパ全土より大きい。南北アメリカ大陸で唯一のポルトガル語圏の国で、世界最大のポルトガル語使用人口を擁する国でもある。ラテンアメリカ最大、世界で6番目の経済規模でもある。

行政区分は、5つの地域に別れ、それらの地域は26の州と、1連邦直轄区(首都ブラジリア)から構成されている。州名と州都は「アクレ州(リオ・ブランコ)」、「アラゴアス州(マセイオー)」、「アマパー州(マカパ)」、「アマゾナス州マナウス)」、「バイーア州(サルヴァドール)」、「セアラー州フォルタレザ)」、「エスピリト・サント州ヴィトーリア)」、「ゴイアス州(ゴイアニア)」、「マラニョン州(サン・ルイス)」、「マット・グロッソ州(クイアバ))」、「マット・グロッソ・ド・スーウ州(カンポ・グランデ)」、「ミナス・ジェライス州(ベロオリゾンテ)」、「パラー州(ベレン)」、「パライバ州(ジョアン・ペソア)」、「パラナ州クリチバ)」、「ペルナンブコ州(レシーフェ)」、「ピアウイー州(テレジーナ)」、「リオデジャネイロ州リオデジャネイロ)」、「リオ・グランデ・ド・ノルテ州(ナタール)」、「リオ・グランデ・ド・スーウ州ポルト・アレグレ)」、「ロンドニア州(ポルト・ヴェーリョ)」、「ロライマ州(ボア・ヴィスタ)」、「サンタ・カタリーナ州(フロリアノーポリス)」、「サンパウロ州サンパウロ)」、「セルジッペ州(アラカジュ)」、「トカンティンス州(パルマス)」である。州はムニシピオ(市・郡に相当)に分けられ、全国で5,564のムニシピオが存在する。

1500年、ポルトガル人「ペドロ・アルヴァレス・カブラル」によって発見される。1822年、ポルトガルから独立。独立時は「ウルグアイ東方共和国」であったが、1831年に「ペードロ1世」の退位により「ブラジル帝国」が二代に渡り60年近く続いた。1889年、王制を廃し共和制に移行。更に2年後に共和国憲法を制定して連邦制・大統領制となった。

独立後もブラジルでは、大農園主の意向で、奴隷制が維持され続けたが、アメリカ合衆国「南北戦争」後は西半球で只一つの奴隷制を採用する国となった為、「三国同盟戦争(1864-1870年)」後から、哲学者「オーギュスト・コント」の「実証主義」の影響を受けた知識人により、奴隷制批判が始まり、軍の青年将校達も、次第に奴隷制と帝政の廃止を含めた国民運動を生んだ。1888(明治21)年に「黄金法」が公布され、奴隷制が廃止され「ペードロ2世」も奴隷制廃止により大農園主からの支持をも失い、翌1889年のクーデターにより、帝政は終わりを遂げた。その後、ブラジルは、労働力確保の為、ヨーロッパで移民誘致を行い、1892(明治25)年には日本人、中国人の移民も誘致する事となり、移民団に参加した日本人の苦悩に満ちた、移民の歴史へと繋がって行く。1964年、「カステロ・ブランコ」による軍事政権が樹立し21年続いたが、1985年、民政移管された。1990年には、29年振りの直接選挙が実施された。

日本との外交関係は1895年の「修好通商航海条約」調印から始まり、1897年に両国内に公使館を開設。1908年6月には日本からの本格的移民が開始され、「笠戸丸」がサントスに入港した。その後第二次世界大戦中の断交状態となったが、1950年代初頭の国交回復を経て、常に活発な人的、経済的交流が行われ、その距離の遠さに反比例して世界各国の中でも特に日本との縁が深い国である。

1908年に最初の本格的な集団移民、いわゆる「笠戸丸移民」が到着して以降、1950年代に日本政府の後援による移民が停止される迄にブラジルに渡った日本人移民の子孫は5世、6世の世代になり、サンパウロの世界最大級の日本人街「リベルダーデ」を中心に、海外で最大の「日系人社会(約140万人)」を持つなどブラジル社会に完全に溶け込んでいる。

日系ブラジル人は政治や経済等で、高い地位につくものも多い他、特に長年の農業における高い貢献は非常に高い評価を得ている。2007年2月には、2世の「ジュンイチ・サイトウ」空軍大将が空軍総司令官に任命され、ブラジル軍の最高位ポストに就いた初の日系人となった。

また、1950年代以降、日本の高度経済成長期にかけて東芝やトヨタ自動車、東京海上日動、コマツ、ヤクルト本社、日本航空など、重工業から金融、サービス業や運送業にいたるまで、様々な業種の日本企業がサンパウロを中心に数百社進出しており、世界でも有数の規模の日本人学校「サンパウロ日本人学校」等、ブラジル国内に複数の日本人学校がある。

経済面は、建国以来長らく、先進国からの重債務国で、80年代には財政破綻国家となり、インフレと莫大な累積債務に苦しんだ。80年代の後半には1,000%以上のインフレが起こり、1993年には2,500%という途方もない「ハイパーインフレ」を誘発。事実上、通貨は紙切れ同然となり、アメリカ・ドルしか流通しなくなって仕舞った。

1994年に、新通貨レアルとともに「レアル・プラン」と呼ばれるドル・ペッグ制を導入した事により、ハイパーインフレを抑えることに成功したが、1999年に起こったブラジル通貨危機により、国家破綻寸前まで陥るが、IMFと米国の緊急融資により、何とか破綻は回避された。その後、「カルドーゾ政権」下で成長を遂げる様になり、「ルーラ政権」では発展途上国向けの貿易拡大が行われ、長く続いた累積債務問題の解消へ向かう。2007年にはIMFへの債務を完済し、債務国から債権国に転じた。

現在ではロシア、中華人民共和国、インドと並んで「BRICs」と呼ばれる新興経済国群の一角に挙げられる迄に経済復活した。重工業、中でも航空産業が盛んで、エンブラエルは現在、小型ジェット機市場の半分近いシェアを誇り、一大市場である欧米諸国や日本等のアジアなど世界各国へ輸出されている等、その技術力は高い評価を得ている。

公衆衛生・教育等の公共サービスの水準は先進諸国に比べ低く、沿岸部と大陸内部の経済的な格差や貧富の格差が大きいが、経済や財政の好転を背景に近年急速に改善されつつあり、貧困層の生活水準の底上げは内需の拡大にも貢献している。

「ブラジル」の風景はこちら

ブラジルには、ユネスコに登録された18の世界遺産(11文化遺産・7自然遺産)がある。それらの『登録名称と(登録年)』は、

§『文化遺産』: ◆『古都オウロ・プレット(1980年)』。 ◆『オリンダ歴史地区(1982年)』。 ◆『グアラニーのイエズス会伝道所群中の「サン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡」(1983年/1984年)』。 ◆『サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区(1985年)』。 ◆『ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖域(1985年)』。 ◆『ブラジリア(1987年)』。 ◆『セラ・ダ・カピバラ国立公園(1991年)』。 ◆『サン・ルイス歴史地区(1997年)』。 ◆『ディアマンティーナ歴史地区(1999年)』。 ◆『ゴイアス歴史地区(2001年)』。 ◆『サン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場(2010年)』。

§『自然遺産』: ◆『イグアス国立公園(1986年)』。 ◆『大西洋岸森林南東部の保護区群(1999年)』。 ◆『中央アマゾン保全地域群(2000年)』。 ◆『パンタナル自然保全地域(2000年)』。 ◆『セラード保護地域群(2001年)』: 「ヴェアデイロス平原国立公園」と「エマス国立公園」。 ◆『ブラジルの大西洋上の島々(2001年)』: 「フェルナンド・デ・ノローニャ諸島」と「ロカス環礁の保護区群」。

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2013年02月01日 | 仕向地ミニ情報 | 中南米・カリブ一覧

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