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メキシコ (MEXICO)

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メキシコ (MEXICO) : 

公式国名、メキシコ合衆国(the United Mexican States)。中央アメリカ北部にある共和国。面積、1,972,550平方`(日本の5.2倍)。人口(2013年)は、122,330,000人。人口密度は、61人/平方`。人種、メスティーソ(ヨーロッパスペイン系白人とインディオの混血)55%、インディオ30%、ヨーロッパ系スペイン人15%。首都はメキシコ・シティー

公用語は定められていないが、事実上の公用語はスペイン語(メキシコ・スペイン語)であり、先住民族の65言語(ナワトル語、サポテカ語、マヤ語など)も政府が認めている。メキシコは世界最大のスペイン語人口を擁する国家である。

宗教はローマ・カトリックが82.7%、プロテスタントが9%、その他(ユダヤ教、仏教、イスラーム教など)が5%である。メキシコはブラジルに次いで世界で二番目にカトリック人口が多い国である。また、メキシコのカトリックは、もともとメキシコに存在していた先住民の土着信仰と融合したカトリックとしても知られる。メキシコで活動するプロテスタントの宗派にはペンテコステ派、セブンスデー・アドベンチスト教会などが挙げられる。新宗教としては、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の信者が存在する。

北米大陸南部に位置する高原の国。海岸平野を除き全土の1/3は東西のシエラマドレ山脈に挟まれた平均高度1,700bのロッキー山脈に連なるメキシコ高原で、横断火山帯が走り地震も多い。平野はアメリカ国境のグランデ河(リオ・グランデ)下流部とユカタン半島にみられる程度。太平洋岸にはカリフォルニア湾をはさんで低平な高原状のカリフォルニア半島が本土に並行して伸びている。

北部は高温乾燥の砂漠気候、東西の海岸は熱帯サバナ気候、中央高原はステップ気候、ユカタン半島には熱帯雨林気候もみられる。5〜11月が雨季で、メキシコ湾岸は特に高温多湿となる。

カリフォルニア半島の大部分とメキシコ高原中央、回帰線より北のほとんどの地域はステップ気候に分類され、いずれも乾燥気候である。北部の高原地帯には大きなサボテンやリュウゼツランなどしか生育しない広大な不毛の土地が広がっている。リュウゼツランの一種であるマゲイは、テキーラの原料であり、輸出産品の一つである。

中西部に広がっているリュウゼツラン生産地帯は、『テキーラの古い産業施設群とリュウゼツランの景観』の名称で、2006年に世界遺産に登録されたテキーラ地帯となっている。北回帰線よりも南では、海岸線に沿って熱帯気候に分類されるサバナ気候が伸びる。ユカタン半島南部にのみ弱い乾期の存在する熱帯雨林気候が見られる。熱帯雨林気候はテワンテペク地峡北部にのみ存在する。メキシコ湾岸沿いの一部の地域には温帯気候である温暖湿潤気候が、山岳部は温帯気候である温帯夏雨気候と高山気候が卓越する。

平均的には非常に温暖な気候で、沿岸部には世界的に有名なビーチリゾートがたくさんある。東部・カリブ海沿岸ではカンクンなど、太平洋沿岸の西南部ではアカプルコやイスタパなど、西端にあり太平洋に面する細長いバハカリフォルニア半島のカボ・サンルーカスやラパスなどがこれに該当し、世界中から観光客を引きつけるとともに、貴重な外貨の収入源となって多くの雇用をもたらしている。

地方行政区画は、1連邦区(Distrito Federal)、首都「メキシコシティー」(どの州にも属さないメキシコ連邦直轄区)と、アグアスカリエンテス州、バハ・カリフォルニア州、バハ・カリフォルニア・スル州、カンペチェ州、チアパス州 、チワワ州、コアウィラ州、コリマ州、ドゥランゴ州、グアナファト州、ゲレーロ州、イダルゴ州 、ハリスコ州、メヒコ州、ミチョアカン州、モレーロス州、ナヤリット州、ヌエボ・レオン州、オアハカ州、プエブラ州 、ケレタロ州、キンタナ・ロー州、サン・ルイス・ポトシ州、シナロア州、ソノラ州、タバスコ州、タマウリパス州 、トラスカラ州、ベラクルス州、ユカタン州、サカテカス州の31州に分かれる。連邦区庁長官=メキシコ市長は、大統領によって指名・任命される。

メキシコシティー以外の主要都市として、アグアスカリエンテスクリアカンシウダード・オブレゴンセラヤクリアカングアダラハラエルモシージョラ・パスラサロ・カルデナスレオンマンサニーヨマサトランメヒカリモンテレイナボホアプエブラケレタロティフアナベラクルスサン・ルイス・ポトシメリダ、トルカ、シウダー・フアレス、トレオン、クエルナヴァカなどがある。

産業の基本は農業で、トウモロコシ、小麦、綿花、サトウキビなどが栽培される。地下資源は輸出の柱になっている石油と銀が豊富で、ほかに天然ガスと金、銅、鉛などを産出する。1992年にアメリカ・カナダと「北米自由貿易協定(NAFTA)」を創設すると、賃金格差の大きいアメリカからの工場移転が増加している。

この地域は、紀元前2万年頃の人間が居住した形跡があると言われ、先古典期中期の紀元前1300年頃、メキシコ湾岸を中心に「オルメカ文明」が興った。彼らの支配者の容貌を刻んだとされているネグロイド的風貌の巨石人頭像で知られる。先古典期の終わり頃、メキシコ中央高原のテスココ湖の南方に、円形の大ピラミッドで知られるクィクィルコ、東方にテオティワカンの巨大都市が築かれたその後も後期「マヤ」及び「アステカ」の様な複数の高度な先住民文明の拠点として繁栄を極めた。

14世紀後半、「テスココ湖」の西岸にあるアスカポツァルコを首都とする「テパネカ王国」に「テソソモク」という英傑があらわれ、その傭兵部隊だったアステカ族は、テソソモク没後、15世紀前半、「テスココ」、「トラコパン」と共に三都市同盟を築き、テスココの名君「ネサワルコヨトル」の死後は、完全にリーダーシップを握って周辺諸国を征服し、「テノチティトラン」を中心に比類なき軍事国家「アステカ帝国」を形成し、現コスタ・リカにまで隆盛を轟かせていた。

1492年の「コロンブス」のアメリカ大陸到達後、16世紀初頭の1519年にスペイン人「エルナン・コルテス」がメキシコに上陸した。コルテスら征服者達は、アステカの内紛や、神話の伝承を有利に利用して戦闘を行った末に、テノチティトランを征服し、1521年に皇帝「クアウテモック」を処刑してアステカ帝国を滅ぼした。

その後スペイン人達は、この地にヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)副王領を創設。ペルー副王領と並ぶインディアス植民地の中心として、滅ぼされた「テノチティトラン」の上にメキシコシティが築かれた。

スペインによる支配は300年続いたが、18世紀を迎えるとアメリカ独立戦争やフランス革命、ナポレオン戦争に影響され、土着のクリオーリョ達の間に独立の気運が高まった。

1808年、「ナポレオン」が兄のジョゼフをスペイン王「ホセ1世」として即位させると、それに反発するスペイン民衆の蜂起を契機としてスペイン独立戦争が始まり、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否。1809〜1810年にかけて、各地で蜂起が始まる中、メキシコでも 1810年に「ミゲル・イダルゴ神父」等により「メキシコ独立革命」が始まり、長い戦いの火蓋が切られた。「モレーロスの乱」が王党派軍に鎮圧された後の1820年頃には南部の「シモン・ボリーバル」と「ホセ・デ・サン=マルティン」等に率いられた解放軍が各地を解放し、植民地は島嶼部とブラジルを除けばペルー、中米、メキシコのみとなっていた。

スペイン本国で自由派が政権を握ると(リエゴ革命)、1821年に保守派クリオーリョの指導者「アグスティン・デ・イトゥルビデ」がメキシコシティに入城し、反自由主義の立場から独立し、皇帝に即位する形で第一次「メキシコ帝国」が建国され、中央アメリカを併合した。

しかし独立後は混乱が続き、1823年には帝政が崩壊して連邦共和国の「メキシコ合衆国(19世紀)」となった。独立後は内戦による農業生産力の低下、鉱山の生産力低下、カウディーリョの群雄割拠、流通の混乱など問題が多発し、政治的には不安定な時代が続き、1835年〜1846年まで中央集権国家である「メキシコ共和国」となっていた。

また、「コアウイラ・イ・テハス州」にアメリカ合衆国人の入植を認めると、1835年にはアングロサクソン系入植者が反乱を起こし、1836年にテハスは「テキサス共和国」として独立。1846年から48年の間の「米・墨(メキシコ)戦争」の結果、国土の半分近くを米国に割譲した。

1910年、メキシコ革命が勃発し、1917年、現行の憲法が公布される。1938年、石油産業の国有化。1982年、鉄鋼、石油化学、自動車工業など重化学工業化を急ぎすぎた為に、巨額の対外債務を抱え込んで経済危機が発生。1986年、「GATT(関税と貿易に関する一般協定)」に加盟。1993年、「APEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)」に加盟。1994年1月、「北米自由貿易協定(NAFTA)」発効。同年5月、「OECD(経済協力開発機構)」に加盟したが、同年12月、通貨危機発生した。

NAFTAは、アメリカ、カナダとの貿易を拡大する一方で貧富の格差を一時的に拡大し、伝統的な共同体に住むインディオの共有地を解体し、更にはアメリカ産のトウモロコシに競争で敗北する農民の権利を侵害した為、同年「マルコス副司令官」等の率いる「サパティスタ国民解放軍(EZLN)」が最貧州の「チアパス州」から蜂起し、チアパス州を解放区にして反グローバリゼーションの筆頭的存在として内外の支援を受け、現在も政府軍とのにらみ合いが続いている。

その後、2000年にPRIは蔓延する汚職や停滞する経済失策の責任、EZLNの蜂起等の責任を問われて総選挙で敗退し、国民行動党の勝利により71年の独裁に終止符が打たれた。しかし、現在も強力な政党として大きな影響力を維持している。2000年代、特に2005年以降は「麻薬カルテル」の抗争により治安が悪化する一方、原油価格の高騰やNAFTA締結後の輸出量の増加、更に内需拡大傾向を受けて中流層が増加している。

2010年7月、全国32州の内14州で地方選挙が実施された。2000年まで政権党だった野党のPRI が前進した。現政権のカルデロン政権は、麻薬カルテルと癒着した警察幹部や州知事すらも逮捕するという強硬姿勢で臨み、軍を導入して「麻薬犯罪組織」を取り締まっている。

これに伴い、カルテルの暴力による死者が激増、2010年には毎年1万5千人以上の死者を出す事態になっている(メキシコ麻薬戦争)。経済政策では原油価格高騰に伴いガソリン価格を連続して値上げして、国民から不満の声が上がっている。

メキシコには、ユネスコの世界遺産に登録された文化遺産が27件、自然遺産が4件存在する。それらの名称と登録年は、

◎『文化遺産』: 
古代都市パレンケと国立公園(1987年)、◆メキシコシティ歴史地区とソチミルコ(1987年)、◆古代都市テオティワカン(1987年)、◆オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡(1987年)、◆プエブラ歴史地区(1987年)、◆グアナフアト歴史地区と鉱山(1988年)、◆古代都市チチェン・イッツァ(1988年)、◆モレリア歴史地区(1991年)、◆古代都市エル・タヒン(1992年)、◆サカテカス歴史地区(1993年)、◆シエラ・デ・サン・フランシスコの岩絵群(1993年)、◆ポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群(1994年)、◆古代都市ウシュマル(1996年)、◆ケレタロの歴史史跡地区(1996年)、◆グアダラハラのオスピシオ・カバーニャス(1997年)、 ◆カサス・グランデスのパキメ遺跡地帯(1998年)、◆トラコタルパンの歴史遺跡地帯(1998年)、◆ショチカルコの考古遺跡地帯(1999年)、◆歴史的城塞都市カンペチェ(1999年)、◆ケレタロ州シエラ・ゴルダのフランシスコ会伝道所群(2003年)、◆カンペチェ州、カラクムルの古代マヤ都市(2002年)、◆ルイス・バラガン邸と仕事場(2004年)、◆テキーラの古い産業施設群とリュウゼツランの景観(2006年)、◆メキシコ国立自治大学の大学都市の中央キャンパス(2007年)、◆サン・ミゲル保護街区ヘスス・デ・ナサレノ・デ・アトトニルコの聖域(2008年)、◆エル・カミーノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ(2010年)、◆オアハカの中部渓谷にあるヤグルミトラの先史時代の洞窟(2010年)。

◎『自然遺産』: 
シアン・カアン(1987年)、◆エル・ビスカイノのクジラ保護区(1993年)、◆カリフォルニア湾の島嶼および保護地区群(2005年)、◆オオカバマダラ生物圏保護区(2008年)。

「メキシコ」の風景はこちら

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2016年04月07日 | 仕向地ミニ情報 | 中南米・カリブ一覧

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