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ハイチ = ハイティ (HAITI)

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ハイチ = ハイティ (HAITI) : 

公式国名、ハイティ共和国。中央アメリカの西インド諸島の大アンティル諸島内のエスパニョーラ島の西側1/3占める共和国。面積、27,750平方`(四国の1.5倍)。人口(2008年)、10,033,000人。人口密度、362人/平方`。人種、アフリカ系(90%)、ムラート=白人と黒人との混血(10%)。言語、クレオール語、仏語(ともに公用語)。宗教、カトリック(80%)、プロテスタント(16%)、半数がブードゥー教(西インド諸島の黒人に信仰されている多神教)も信仰。首都は、ポルトー・プランス

東にドミニカ共和国と国境を接し、カリブ海のウィンドワード海峡を隔てて北西にキューバが、ジャマイカ海峡を隔てて西にジャマイカが存在する。北と南に東西に走る山脈があり、平地は国土の20%に満たない。本島の他にゴナブ島などの小島がある。熱帯海洋性気候だが北東貿易風の影響で気温較差が小さくしのぎ易い。雨季は4〜6月と8〜11月の2回あり、この時期にはしばしばハリケーンに襲われる。乾季には特に山間部で乾燥が著しい。

紀元前4,000年〜1,000年までの間にインディアンのアラワク人(タイノ人)が南アメリカ大陸のギアナ地方から移住。1492年に「クリストファー・コロンブス」がイスパニョーラ島を「発見」した時、この島にはアラワク人(タイノ人)が住んでいたが、四半世紀の内にスペインの入植者によって絶滅させられた。

1659年以降、島の西部をフランスが徐々に占領していったが、衰退の一途を辿るスペインにはそれを防ぐ余力は無く、1697年のライスワイク条約で島の西側1/3はフランス領となり「フランス領サン・ドマング」となった。

1789年からフランス本国で革命が勃発したとの報を受けた司祭に率いられ、1791年に蜂起した黒人反乱軍は白人の地主を処刑し、フランスに宣戦布告した。イギリスとスペインの後押しで、派遣してきたフランス軍を撃退し、サン・ドマング全土を掌握した。

1801年、戦乱で疲弊したハイチを立て直そうとしている中、ナポレオンが本国から派遣した軍によって1802年に占領されたが、新たな指導者「ジャン・ジャック・デサリーヌ 」の下で再蜂起した反乱軍は、イギリスの支援を受けて、1803年にフランス軍を領内から駆逐し、1804年1月1日に独立を宣言し、ハイチ革命が成功した。

国名を「ハイチ帝国」に変更し、皇帝に即位したデサリーヌは、残った白人を追い出し、1805年に憲法を制定したが、北部の「アンリ・クリストフ」と南部の「アレクサンドル・ペション」等の勢力に圧迫され、1806年に暗殺された。「デサリーヌ」はハイチ建国の父として後の世まで敬愛されている。

南部の初代大統領「ペション」は、農地改革を行い、独立闘争の兵士達に土地を分け与え、沢山の小農が出現した。この後、北部の「クリストフ」によって世界で初の黒人による共和国、かつラテンアメリカ最初の独立国が誕生した。しかし共和国は南北に分かれての争いになった。

共和国の北部では「ハイチ王国」として「クリストフ」が王政を宣言し、圧政を敷き、住民を酷使して豪華な「宮殿」や「城塞」を建てた。1820年、クリストフの自殺に伴い南部のペションの後継者、大統領「ジャン・ピエール・ボワイエ」がハイチを再統一した。

1821年、イスパニョーラ島の東2/3(現在のドミニカ共和国)を支配していたスペイン人達が「スペイン人ハイチ共和国」の独立を宣言し、コロンビア共和国への編入を求めて内戦に陥ると、ハイチは軍を進めてこれを併合し、以後1844年まで全島に独裁体制を築いた。この時期、フランス艦隊から圧迫を受け、独立時にフランス系植民者達から接収した農園や奴隷等に対する莫大な「賠償金」を請求された。

ハイチはフランスからの独立の承認を得る代償として賠償金の支払いに応じ、この賠償金は長年借金としてハイチを苦しめる事となる。1843年、クーデターが蜂起しボワイエを亡命させたが、1844年にフランスへの賠償金の為の重税に苦しんでいた東部のスペイン系住民が、再度独立を宣言し、これに敗北して東部を手放す等、内政混乱が続いた。

この状況を収拾したのは、元奴隷だった将軍で、大統領に就任したが、後に帝政(ハイチ帝国)を宣言、皇帝として君臨し、国内に秘密警察の監視網を張り巡らせて圧政を敷き、隣国ドミニカへの侵入を繰り返した。

1859年、クーデターの蜂起で皇帝を追放し、共和制が復活したが、フランスに対する巨額の賠償金による経済の崩壊、小作農達の没落、列強の圧迫、相次ぐ大統領の交代や内戦、国家分裂で混乱し続けたが、この時期、憲法はより良く機能するよう何度も改正され、後の安定の時期を用意した。

1870年代末以降も、国家分裂や反乱は続いたが、近代化への道を歩み始め砂糖貿易等で経済が発展し始めたが、フランスへの賠償金は完済せず、近代化の為の借金もふくらみ財政を圧迫した。またドイツによる干渉とハイチ占領・植民地化の試みも繰り返された為、カリブを裏庭とみなすアメリカの警戒を呼び、1915年、アメリカは債務返済を口実に海兵隊を上陸させハイチを占領、数十万人のハイチ人がキューバやドミニカ共和国に亡命した。

アメリカ軍は、軍政を続け、合衆国型の憲法の導入、分裂を繰り返さない為の権力と産業の首都への集中、軍隊の訓練等を行ったが、これは現在に続く地方の衰退や、後に軍事独裁を敷く軍部の強化といった負の側面も残した。ハイチの対外財政は、1947年までアメリカが管理し続けたが「ルーズベルト大統領」の善隣外交政策により、ハイチから海兵隊が撤退した。

それ以降、数人のムラートの大統領が交代したが経済苦境は続き、1946年にクーデターが起こり久々の黒人が大統領となり、社会保障や労働政策の改善、多数派黒人の政治的自由の拡大など様々な進歩的な改革を行おうとしたが、ムラートと黒人との対立などの国内混乱を招いた。

1950年、クーデターで黒人エリート軍人による軍事政権が誕生し、経済はコーヒーやアメリカからの観光等の景気で一時活況を呈したが、全土でゼネラル・ストライキが起こり、混乱する中1956年末にクーデターで打倒された。

1957年、クーデターで誕生した軍事独裁政権下で、ゼネストやクーデターが繰り返され政治は混乱したが、9月に黒人多数派の医師で政治家の「フランソワ・デュヴァリエ」が大統領に就任。当初は黒人進歩派とみなされ親しまれたが、翌1958年から突然独裁者に転じ、警察や国家財政等を私物化し近代でもまれに見る最悪の軍事独裁体制を誕生させ、国家財政が破綻した。

戒厳令を敷き言論や反対派を弾圧、秘密警察を発足させ多くの国民を逮捕・拷問・殺害した。1986年のクーデターで息子のジャン=クロード・デュヴァリエが追われるまで30年近い長期に渡り、デュヴァリエ父子の独裁体制の下、秘密警察の暗躍する暗黒時代が続いた。

1987年に新憲法が制定され、1991年に民主的選挙で左派の「アリスティド」が大統領に就任したが、同年9月、またも軍事クーデターで亡命。アリスティド支持派が多数殺害された。これを重く見た、国連(国際連合ハイチ・ミッション)とアメリカの働きかけで、経済制裁などの圧力、更に軍事行動を受けた結果、軍事政権は政権を返上し、1994年にアリスティドは大統領に復帰し、1996年、アリスティド派の「ルネ・ガルシア・プレヴァル」が新大統領になり、2001年には、再びアリスティドが大統領となった。

2004年2月5日「ハイチ解放再建革命戦線」が北部の町ゴナイーヴで蜂起。1994年以降に国軍の解体が進められていた政府軍は、反政府武装勢力に武力で十分に抵抗する事が出来ず、2月29日、アリスティド大統領は辞任し、隣国ドミニカ共和国へ出国し、中央アフリカ共和国に亡命した。

憲法の規定に従い、暫定大統領になった「アレクサンドル」最高裁長官は、国連に「多国籍暫定軍(MIF)」の現地展開を要請し、3月1日には主力のアメリカ軍がハイチに上陸。4月20日には「安保理決議」が採択され、MIFの後続としてブラジル陸軍を主力とする「国際連合ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)」を設立、治安回復等を図る事となった。

2006年2月に大統領選挙が行われプレヴァルが51%の得票率で再び当選し、5月に大統領に就任した。

2010年1月12日午後4時53分(日本時間13日午前6時53分)にポルトープランス南西16`を震源とするマグニチュード7.0の強い「ハイチ地震」が発生し、「ポルトープランス」を中心に甚大な被害が生じた。更に追い打ちをかけるようにコレラが大流行し、多数の死者が出た。地震を機に国連軍「MINUSTAH」の陣容は増強され、2011年現在も活動中である。

2010年11月に大統領選挙が実施されたが、選挙にまつわる不正疑惑から暴動が発生、翌年3月にようやく決選投票が実施された。決戦投票の結果、ポピュラー歌手出身の「ミシェル・マーテリー」が大統領に選出された。

「ハイチ」の風景はこちら

エスパニョーラ島: (小スペインの意)西インド諸島の大アンティル諸島第二の大島。キューバ島の東方にあり、東部はドミニカ共和国、西部はハイチ共和国が占める。別名、ハイチ島。>

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2017年05月08日 | 仕向地ミニ情報 | 中南米・カリブ一覧

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